第214話・紅の翼
出来のいい作品ほど、ささいなミスで大きく価値を失われてしまう。ルクファールにとって、この場所、そしてこの戦いは、己が完全なる存在へと進化するための神聖なる舞台であった。この舞台にそぐわない者、即ち戦う力の乏しい者はさっさと退場させなければならないと考えていた。
「キッチリ頸動脈切断だ。首の半分がちぎれる程噛みついたから、もうお前の力では治療できまい」
二つの死体を抱くリークウェルへ、無情な言葉を叩きつける。リークウェルは憎悪と怒りの炎を瞳に宿らせ、強く睨みつけてきた。
「貴様……ッ!」
直後に音が爆裂した。素晴らしい連携だ。武骨な爆弾が宙を滑り、暴風が吹き荒れる。風は爆弾を運び、螺旋状に回転させてルクファールへ向かってくる。爆弾の雨だ。
「ふん。やってみろ」
ルクファールはその場から逃げようともせず、降り注ぐ爆弾を見据えて不敵な笑みを浮かべた。第一陣がその足元に落ち、爆風と熱気を吐きだした。続けて第二、第三の陣と間を置いて爆弾の雨が降り注ぐ。
「戦場に咲く怒りの花……か。華麗と呼ぶには乱雑すぎるな」
爆発の炎に包まれても、ルクファールの余裕は少しも影を見せなかった。直に自分に触れる爆弾は素手で叩き落とし、足元に落ちる爆弾には目もくれない。爆弾の雨は止むことなく、徹底的にルクファールを潰すべく降り続く。爆風と炎に覆われてダグラスやユタからはこちらの姿は見えない。より確実に仕留めるために一発でも多く叩き込みたいのだろう。
「愚か者が……。無力はどこまでも無のまま。いくら数を重ねようと有に変わることはない」
思い知らせねばならない。無駄にあがく弱者は嫌いだ。弱者は弱者らしく、絶望と苦悶の顔を浮かべて刈られるべきだ。『フラッド』のうち、ルクファールの敵に値するのはリークウェルのみ。それ以外は全て弱者だ。
「控えろ、蛆共がぁっ!」
ルクファールの一喝が、大気を震撼させた。程なくして爆弾の雨が止まる。単純に声が届いたということもあるが、それと同時発せられる圧力がルクファールの生存を示しているからだ。これ以上撃っても意味はない。ただ体力を消耗するだけだということを直観的に理解させたのだ。これが通じたダグラスとユタはそれなりに賢明だと言えるかもしれない。
舞いあがった噴煙が風に流され、ルクファールの姿が徐々に現される。それは爆発の以前と少しも変化していない。フェニックスの聖炎が防護膜の役目でもしたのか、衣服にも被害の跡はなかった。
「手を止めたのはお利口だ。いいか。お前らがいくら怒りに燃えようと、我が神聖なる炎の前では無力に等し……」
なぜかその言葉が途切れた。噴煙が完全に消えうせることでその謎は解けた。ルクファールの右手、小指と薬指のあたりが削ぎ取られていた。その近くに光輝く蝶が飛んでいた。
「爆発が止むと同時に飛ばしたのか。ふん。こっちは父を殺された怒りか」
蝶を放ったのは、言うまでもなくアフディテだ。ゼブ王サダムの娘であり、現在生存している唯一の将軍。腰を抜かして怯えるサナギとサナミの背後から、ルクファールへ向けて光の蝶を飛ばしている。ついさっきまでルクファールもその場所にいたことを思うと皮肉な笑みを浮かべずにはいられない。
「お前の能力は少し面倒だな。さすがはサダムの娘と言ったところか。父を殺された怒りに加え、自分も騙されていたことに屈辱も感じているのか? ふふん。ついでに一つ、面白いことを教えてやろう」
と声をかけるが、アフディテは聞く耳を持たない。指を削ぐことに成功したのを確認し、蝶の嵐を展開させた。瞬く間にルクファールは蝶の囲まれる。そして間髪入れず、全ての蝶が全方位から襲いかかった。
「聞け。私はお前の父を殺したが、同時にお前の母を殺した男でもあるのだぞ」
そう言って蝶の隙間からアフディテを見れば、明らかに動揺の色が見て取れた。それでも蝶の動きが鈍らないのは大したものだ。しかし、結局意味はない。ルクファールの背中から、紅蓮に輝く六つの翼が生え出た。翼はそれぞれが意思を持つ蛇のように動き、接近する蝶を次々と焼き払った。蝶に触れた部分の炎は一瞬消えるが、すぐに再生する。そして蝶の方は消滅する。結果的に蝶だけが消えていくこととなった。さっきの爆弾もこうして防いだのだ。
「私はある程度サダムの意思を操ることが出来た。お前の人生を変えたあの事件が起こった日に、サダムをお前や女王から遠ざけておくことなど容易いことだった。だがそれだけでない。私は女王さえも操ることが出来たのだ。考えたことはなかったか? なぜ女王がお前の母の存在を知っていたのか。そしてそのことをサダムに言わなかったのかを」
アフディテの困惑は強くなる。だが蝶の無謀な突進は止まない。当たれば確実にダメージがある分、爆弾よりは有意義だと考えているのだろうか。
「私……正確には私の化けていたグックが教え、あの凶行へ導いたのだ。私にとって、サダムにカリスマがある程事を運びやすくなる。平民の想い人がなどあってはならない。そして同時に女王の存在も邪魔だった。あれはサダムの隣に並ぶにはあまりに器が小さすぎる。どう処分しようかと考え、とりあえず二人を鉢合わせてみた。……ふふ。まさかあんな結果になるとはこの私も思いもしなかったがな」
アフディテの顔が硬直した。それがすぐに発狂に近い怒りに変じるだろうことは誰にでも予測がつく。ルクファールは命令を飛ばした。
「サナギ。とっととその娘を殺せ」
「ひぃっ!?」
思いがけず声をかけられ、サナギが引きつった声をあげた。
「メスの一本ぐらい持ち歩いているだろう。それでアフディテの首を斬れ。蝶以外は非力な小娘だ。何も難しいことはないだろう」
「ふえ、ふぇ……。し、しかし……その」
冷徹な令に、狂気の科学者もさすがに躊躇している。これが実験のための解剖や、新作の毒薬を試すといったことならともかく、殺害目的だけで人と格闘することは苦手らしい。
「そいつは私に敵意を向けている。私に忠誠を誓ったお前なら、許すわけがない」
「ひっ」
ついにサナギが白衣の内側からメスを取りだした。と、アフディテが睨みの矛先をサナギに変えた。その凄まじい形相にサナギの手が止まる。
白い光がサナギの顔をかすめたのは、その直後であった。