第212話・傀儡遊戯
私の本当の名はルクファール・サイド。ウシャス南東部にある小都市に産まれた。生家はかつてはそれなりに勢力を振るった貴族だったらしいが、私が産まれる何代も昔に没落したと聞く。だがそれはどうでもいいことだ。姓があることに誇りを感じたことなどないし、自ら本名を名乗ることも少ない。形ばかりの権威にすがって何になる。
六年前、私がフェニックスを手に入れてゼブ国に渡り、まず最初に行ったことは政府に近付くことだった。私の目的のためには、問答無用の軍事力によって着々と勢力を伸ばしていたゼブ国は非常に都合のいい存在だった。利用しない手はない。
私はベールをサナギに預け、単身で王都へ向かった。要塞のような都市、と呼ばれてはいるが、都市はおろかその中央にそびえるフォビア城内に潜入することも容易だった。強大なるゼブの城に忍ぶ者などいないとタカをくくっていたのだろう。警備をかい潜り、私は目的の人物を探した。
『な、何者だ、貴様ッ!』
私がその人物の声を直に聞いたのは、この一言だけだった。首をねじり切ってしまったからそれ以上の声は聞けなかった。だが問題はない。私は男の死体を抱えて人目の付かない場所に移動し、転生の儀式を始めた。
『ようこそ、宰相グック殿。生前、老いた身には何かと気苦労も多かったことでしょう。このホテルに来たからには何も心配はございません。覚めることのない永遠の夢に、深く沈みください』
まずは御持てなしだ。魂となった者に一切の優劣はない。どれもが平等で、私にとって大事な駒となるのだ。ホテルのオーナーとして丁重に迎えるのは当然のこと。
グックを部屋に案内し、私も一緒にその部屋へ入った。そして彼は夢を見始めた。これまで奪ってきたあらゆる魂達と同じく、彼もまた最初は自分の人生を回想した。彼の人生は、まったく絵に描いたように典型的な”忠臣”だった。王族への深い尊敬の念と機敏な政治手腕を誇る父の意思を継ぎ、自身も同じ道を歩んだ。表面だけでなく、心の底から先代の王を信じて仕えてきた。そして王子――現在のサダムが世に産まれたとき、その目付役となった。
『大したものですな。人が他人に対して一片の懐疑や嫌悪の情も持たず、全てにおいて全幅の信頼を預けるなど。そう滅多に出来ることではございませんよ。ですが……』
尊敬。信頼。それこそが私の目標。その点では彼の回想は真に有意義なものだった。”人間は人間を崇拝することが出来る”ことの証明になってくれたのだから。
魂が描く景色に嘘偽りはない。全てが真実で、本人でさえ気付いていない秘密を第三者である私にさらけ出してくれる。それが転生を行う上で非常に重要となる要素なのだ。フェニックスの再生の力を用いれば、一度己の顔や体格の相好を崩して異なる形に組み直すことは出来る。だが、脳の中身まで完全に真似ることは困難だ。だが魂を覗き見すれば敷居は格段に低くなる。
生命と魂の両方を支配する私に、もはや不可能はない。グックを殺害してからそれに成り変わるまで、養鶏が三度鳴くにも足りない時間で済んだ。ホテルの中で過ごす精神時間は現実の時間軸と大きく異なるが故の業だ。私はグックとしてサダムの傍に控えることにした。
結論から言えば、私はサダムに成り変わることも出来たのだ。その気になれば、飯を食らうのと同じ要領でその存在を奪い取ることが出来る。だがそれをしなかったのは、単にサダムという人物に興味を抱いたからだ。この男は、グックが信頼を寄せるのも十二分に納得できるほどのカリスマがあった。剛にして野卑にあらず、賢にして脆弱にあらず。ただの人間であった時分から、世界を統べる王に相応しい人物であった。
(この男に天下を取らせ、それを後から悠々と奪うのも悪くない)
私には余裕があった。フェニックスと一体となった以上、寿命すらも気にかけなくていい。最終的に私の目指す世界へは幾つもの道のりがあり、そのどれを選ぶも自由だった。
それから私の暗躍が始まった。王に進言できる数少ない人物としての権限を最大に利用し、私の個人的配下であったサナギとサナミをゼブ政府の直下に置かせた。無論この時、私がグックに成り変わったことをサナギには伝えておいた。
『いやはや、いやいや。これはまた、また随分と面白いことを……。影で大国ゼブを操る、る。クケケケ。これ以上の遊戯がございましょう、しょう、か』
『せっかくの機会だ。私の存在が世に知らされる前に、精々遊んでおくのも一興。お前たちの大好きな”実験”というやつだ』
そう、それからの私の生活は実験の日々だった。手に入れた力と、私が生来持っていた力。この組み合わせでどれだけの事が為せるのか、興味は尽きない。
サダムにフェニックスの力を与えたのが、その最たる例だった。当然ながら力の全てを与えたのではない。サナギが完成させた『人工紋』の理論を応用し、フェニックスの魂の一部(とはいっても、コサメが持つ力より遥かに強大なもの)をサナギに憑依させたのだ。力と同時に、夢をも与えた。サダムは本当に自分がフェニックスに選ばれた存在だと思いこんだ。滑稽極まりない話だが、そうなるように誘導したのは私だから笑うのは控えてやっている。
誰もに崇められる人格者を操作することは、痛快だった。私自身はあくまでも非力で頭でっかちな老人を装い、政治、軍事の全てを掌握する。いともたやすく計画は進行していった。
だが、その快楽が仇となっていた。万が一の可能性を忘れさせていた。私の持つフェニックスが完全なものでないと知ったのは、成長した『フラッド』が我が軍に打撃を与えた時だった。私は直接その現場に居合わせたわけではないが、リークウェルの持つフェニックスの気配を遠くで感じていた。その時になって初めて自分の迂闊に気づいた。
(フェニックスの保持者は、私とサダムだけでない)
力の大半を持つが故、共鳴の感知能力も他の者より優れていたことが幸いした。ウシャスの小島に気配があることを感じ、そこに軍を差し向けた。そして、失敗だ。……もっと早くその存在に気づいていれば、奴らの力が育たない内に刈りとれたというのに。