第208話・燃ゆる虎、駆ける虎
嵐が吹き荒れる。サダムは炎を纏う虎のように凄まじい攻めを繰り出し続ける。アフディテは『紋』によって破壊の力を得ていたが、サダムは己の肉体で全てを破壊する。
だが一方のテンセイの様子は少し違っていた。いったん腕を休ませることにし、脚を中心とした構成で攻め始めていた。サダムの周囲を獣のように駆けまわり、丸太での殴打にも似た蹴りを放つ。防がれるか、反撃を喰らいそうならばすぐに離れ、また隙を窺う。こんな戦法では、サダムの肉体へ直接与えるダメージは小さい。フェニックスの再生能力がある限り、傷を重ねる戦法は無意味だ。
フェニックスとて全知全能ではない。神やその従者にはそれぞれ役目があるというのが、テンセイの教わってきた知識であった。フェニックスは生命の持続と誕生を司る霊鳥。その力が及ぶのは生物だけだ。
「オラッ!」
翼の生えた虎が吠え、右脚を振り上げる。寺院の鐘突き棒の如く、足裏を真っ直ぐにサダムの鎧へ突き出した。長きに渡ってテンセイの肉体を責苦を支え続けてきた脚は、吸い込まれるように鎧の胸部に張り付いた。鐘ではないからゴォンという荘厳な音は響かなかったが、それよりも痛々しい金属の悲鳴が大気に染み渡った。
右脚を戻すよりも先に、サダムの肘がその脛を打った。焼けるような痛みがテンセイの顔を歪ませるが、懸命にこらえて引き戻す。そしてまた目まぐるしくサダムの周囲を移動し始める。
テンセイの狙いは、言うまでもなく鎧だ。顔面へ頭突きを入れてもサダムを倒すには至らなかった。ならば、他に一撃でサダムを倒せる点を探さなければならない。それは『紋』だ。
コサメやリークウェルを見れば一目瞭然だが、フェニックスの力を所有するものは、必ずその肉体のどこかに『紋』が刻まれている。その『紋』は内側に秘める能力こそ強大だが、基本的な性質は他のそれと変わらない。外見はもちろんのこと、欠点についてもだ。『紋』の欠点は主に二つ。力を引き出すごとに体力を消耗してしまうこと、そして『紋』を傷つけられることで激痛や痺れに見舞われることだ。
(こいつの体のどこかに『紋』がある。それを傷つけることがオレの”一撃必殺”ッ! 『紋』の位置は……)
『紋』が肉体のどの位置に刻まれるのか、その法則はサナギでさえもいまだに解明出来いない。だが、テンセイには大凡予想がついていた。戦いの前にサダムがテンセイの手を治療した際、フェニックスの聖火が肉体からほとばしるのを視認出来た。炎は鎧の内側から肩、腕へ伝わっていた。
(あの鎧の中、たぶん胸のあたりに『紋』がある!)
直感と言えば直感だが、これ以上に確かな算出法はあるまい。かつてフェニックスの住む塔で生活し、コサメとともに暮らしていたテンセイは、フェニックスの力に対する感応性もまた知らず知らずのうちに磨かれていたに違いないのだから。
鎧は剣と異なり、簡単には壊せない(剣を砕くのも容易ではなかったが)。ならば壊れるまでひたすら叩く。テンセイは他に術を持たない。己の肉体で障害を打ち砕きながら進む。
しかし、サダムもまた自分の弱点など知り尽くしている。だからこそ強固な鎧で身を守っているとも解釈できる。テンセイの攻撃が鎧の前面に集中していることにも当然気付いている。故に、烈火の如く攻める。依然としてサダムの圧倒的優位は揺るいでいない。剣は折られた、意表を突かれて傷をも受けた。だが致命傷を喰らうには遠く及ばない。テンセイに投げ技をかけられた際も、仮にまともに投げを喰らい地面に叩きつけられようと、その後の追撃さえしのげば深手にはならなかった。
サダムの拳か蹴りがテンセイを直撃したならば、ほぼそれで決着がつく。防御を突きぬけて顔か腹へ綺麗な一撃が入りさえすれば少なくともテンセイの動きは止まる。たとえ雷光が空から地へ落ちるまでに等しい刹那的な時間であっても、サダムは次の攻撃を加えることが十分に可能だ。そのダメージでまたテンセイが止まり、また攻撃する。多く見積もっても五発以内には心臓か脳を貫くことだろう。
「ぬうっ」
「ラアァッ!」
一秒、また一秒、遠い海の彼方で太陽が這い上っていくのに合わせて、サダムとテンセイは打ち合う。日の高まりとともにテンセイの負傷は増え、サダムの鎧は耳障りなうめき声をあげる。
サダムの一撃は、コサメが無自覚の内に放つ再生の力を軽く凌駕している。同じ箇所に連続してダメージを与えれば必ず破壊へ導いてしまう。テンセイの蹴りもまた、少しずつではあるが鎧に傷を刻んでいる。蹴りを入れる度に脚が爆発するかのような衝撃が走り、反撃を喰らいやすくもなるが、一切構わない。鎧を砕き、『紋』を露わにしてしまえば勝利への道筋は一気に拡大されるのだ。
だが――。テンセイには、一つ気がかりなことがあった。極力押し殺そうとはしているが、完全に見過ごすことが出来ない懸念。
(なぜ、あの力を使わない)
これまで、サダムは剣と己の四肢だけで戦ってきた。テンセイが最も恐れていた力をまだ見せていない。神に類する者だけが使える、断罪の光。それをサダムは一度も見せていない。なぜか。考えられる理由は三つ。
一つ、あくまでも体術のみで戦うつもりだから。
(サダムは本気でオレを潰しにかかってる。わざわざ手を抜いている様子はない)
二つ、使用するのに何か制約がある。
(その制約が何か、見当もつかない。条件を満たせば即座に使ってくるだろう)
三つ、そもそも使えない。いくら能力を奪おうと、神の力を完全には使いこなせるわけではない。
(これが一番助かる。しかし、楽観的すぎるか? あの塔で垣間見た男の能力は、そんなに甘いものではない気がする)
考えたところで結論は出ない。テンセイはひとまず鎧を砕くことだけに専念するが、解を出そうと必死に空しい努力をしている影が頭の片隅から離れない。