第206話・説教
「いつの頃からか忘れたが、余は夜毎に奇怪な夢を見るようになった。……そう、これはハッキリ覚えとる。最初に見たのはフェニックスの夢であった。誰もが知るフェニックスの伝説。遠い昔におとぎ話として聞いた物語が、あたかも己の目でそれを見たかのような鮮明な像となって映し出されたのだ」
サダムは静かに語る。その姿からはこれまでのサダムとは異なる気が放たれていた。豪快に力と技を振るう王者の覇気はいったん身を潜め、代わりに柔らかな物語で神秘をかたる賢者の妖気が現れ出していた。
「初めは面白い夢を見たものだ、程度に思うておったが、それから毎晩床に入る度にフェニックスの夢を見るようになった。三日も続いた頃にはさすがに薄気味悪く感じたが、不思議と敵意の類は感じなかった。滑稽な話だが、余は次なる夢を待ち焦がれるようになった。夢を見る度に、フェニックスと己が近くなるような気がしてのう」
「それで、気がついたら自分にフェニックスが宿ってたとでも言うつもりか?」
「要約すれば……其の通りかもしれぬ。やがてフェニックスに限らず、様々な場面の夢を見るようになった。アクタインの死に際も、この島にフェニックスが眠ることも、全て夢で知ったことよ」
「もういい。そんな話は聞くだけ無駄だ。オレは信じない」
「ほう」
「今更何を取り繕うってんだ。魂を操る能力者」
テンセイが拳を固める。テンセイは知っている。サダムがいつフェニックスの力を手に入れたのか、なぜアクタインと自分の戦いの様子を知っているのか。死者の魂を奪う能力ならば、その魂から情報を引き出すことが出来てもおかしくないと考えていた。
「余計な質問をしたオレが悪かった。とっととケリをつけよう」
「……フン」
サダムの気が元に戻った。花弁から露がしたたるように王者の才気が揺るやかに溢れだし、フハハハハハ、という高笑いとともに一気に爆発して広がった。
「まこと、面白い男よのうぬしは。まぁよい。正直言うて、余としてもどちらか決めかねておるのだ。またとない好敵手との戦い、とことんまで熱く全力で叩くか、長く楽しむか、甲乙つけたがくてのう。なにせ一度ならず二度までも必殺の構えから逃れられたのでな」
再び満ち出した闘気の中で、サダムが両拳を打ち合わせた。
「なんだよ、素手で戦うつもりか? まだ終わりじゃあねぇのかよ」
ノームが声を飛ばした。これもまた意味のない質問なのだが、そう思っているのはテンセイとサダムだけだったらしい。剣が折れた時点で実質上の勝敗はついた、とノームは思っていたらしい。
この愚問に答えたのはサダムではなかった。
「何をフザけたことをッ! 我らが王は武芸百般、剣に頼るだけではないわ! 貴様らごときに負けるわけがない!」
ゼブ軍勢の中から怒りを飛ばしたのは、宰相のグックであった。サナギ程ではないが小柄で年老いた男が、しきりにツバを飛ばしながら遠いノームに説教をする。
「これ、そう醜く吠えるなグックよ。事が済むまで黙っておれ」
「黙っておられますか、この事態! ゼブ国創立の頃より王族に伝えられてきた宝剣を破壊されて!」
「やかましい」
「王、この賊共、決して生かしてはなりませぬぞ! 必ずやゼブの誇りと誉れにかけて……」
「黙れと言うておる!」
銅鑼を鳴らしたかのような太い一喝で、ようやくグックは沈黙した。サダムの表情には怒りの色はなく、聞き分けのない子どもをなだめる親のような苦笑があった。年齢はグックの方が上になっているが、戦場においての平常心ではサダムの方が精神年齢を上回っている。
「まったく、相も変わらず口うるさい奴よ。だが言うておることは正論だ。……ここは一つ、大人しく言うことを聞いてやるとしようかの」
サダムが視線をテンセイに合わせる。これまでのやり取りの最中もサダムは気を強く張り詰め、テンセイの奇襲を封じていた。
「この先、余は無駄口を叩かぬ。何ぞ聞きたいことがあれば余を討ち倒してからにせよ。最も気合の叫びは勘弁してもらうがの。腹の底から力を出すと嫌でも声に出る」
「どうでもいい。もう、お前と話すべきことは何もない」
二人が同時に口を閉じた。幾度も色を変えてきた大気が、またも従順に新たな様に染まっていく。
とうとう風すら吹かなくなった。木々の葉は固まったように動かない。鳥獣や虫もなりを潜めている。戦いに傷ついて舞い上がった土や草の欠片も地について鎮まっている。
「ハァッ!」
先に動いたのはサダムだ。鎧の重量を感じさせないズバ抜けた足さばきで、瞬時にテンセイの右へ回り込んだ。回り込むと同時に右拳を出している。体の外側から内へ回すパンチだ。テンセイの後頭部を狙っている。だが拳は空を殴った。テンセイの体が沈み、下方からサダムを睨みつけている。すかさず鋭い蹴りが飛んできた。
「ぬん!」
避けはしない。腹に力を入れ、真正面から蹴りを受けた。屈強な鎧は蹴りによる衝撃のほとんどを弾き返し、消えずに残ったわずかな衝撃も強靭な肉体にはダメージを与えられない。テンセイの打撃の威力は承知しているが、一方向に力が集中した剣とは違い、鎧はあらゆる角度からの攻撃を防ぐためのものである。そう易々とは砕かれない。
蹴りの反動のためか、テンセイの動作が一瞬鈍くなる。今度はサダムが左の蹴りを放った。生身でも重い蹴りに脚を覆う防具の硬さが加わっている。そして速い。テンセイは両腕を立てて蹴りをガードした。重と重の押し合いだ。しかしサダムに分があった。骨を砕いた感触が防具越しに伝わる。強引に、力任せに脚を振り抜いた。
「ぐおッ……!」
テンセイが声を漏らし、大きく吹き飛んだ。だが素早く受け身を取り、体勢を立て直して逆に突っ込んできた。両腕の骨にダメージがあったにも関わらず攻めてくる、その闘魂がサダムの魂をも熱くかきたてる。
左拳が飛んでくる。サダムは片手で防ぎ、空いた手で拳を返した。