第205話・夢か現か
追い詰められて自棄になったのではない。危険だということを承知の上で、それでも肝をくくって攻め進んだ。合わせてサダムも動く。その顔には焦りも驚きも無い。テンセイがつっこんでくることなど初めからわかりきっていたかのような態度を見せ付ける。
静止していた空間が音を立てて渦巻く。周囲の草木や虫、鳥たちから奪い取った生気を剣にまとい、絶大なる暴威覇帝の刃となって向かい来るテンセイへ斬りかかった。間合いは絶妙だ。サダムの剣は届くが、テンセイの拳は届かない距離。テンセイは向かってきているが、その拳が届くより先に剣が振り下ろされるのが早いのは自明の理だった。
(矮小な獣ならばここで終わるであろう。他に手をなくして、仕方なく前に出たというだけならばな。こやつが真の戦士ならば、勝機があるからこそ前に出たのであろう)
王の剣を前にしても、テンセイは怯まない。瞳には強く燃える闘志の星を宿し、拳には骨肉よりも固い決意を握りしめ、足取りには一欠けらの迷いもない。剣豪の技が放つ剣の渦に触れても力は揺るがない。
「オラァッ!」
テンセイが足を止めた。まだサダムには拳が届かない位置でだ。止まったのではなく止めた。そのまま突っ走ってくるとサダムを含めた誰もが思っていたところに意外な動作を見せた。そして両の拳を同時に振るう。拳の向かった先はサダムではなく、渦を纏った刃だ。
(白刃取りか? それとも横から殴りつけて剣の軌道を逸らすつもりか? 愚かな。余が二度も同じ手を喰らうと思うてか。圧を纏った剣技は決して逸れぬ。一度振りおろしたからには必ずや最後まで振り抜かれる!)
拳が刃とぶつかった。当然、刃に向けて真正面からぶつけるわけではない。そうすれば拳どころか腕まで切り裂かれるのは明らかだ。先に見せた白刃取りのように、側面から挟むように拳を叩きつける。ただし、左右の手で、殴る位置が少しずれていた。右手は先ほど殴った時と同じ位置をもう一度殴りつけ、左手は刃を挟んだ対称の位置からやや下方、すなわちサダムの手に近い位置を殴りつけた。
「ぬうっ」
今度はサダムが小さく呻いた。それでも剣の動きは止めないが、腕に伝わる衝撃に嫌な予感を覚えた。
(こやつ、やはりやりよるわ。なるほど、素手で剣を相手するのにこれ以上の策はあるまいて)
サダムの目が予感の正体を見極めた時、ビシィ、と響いた音が周囲の者達にもそれを教えた。音はテンセイの殴った刃から発せられていた。振り下ろされる途中にあった剣の先端が、ぐらりと傾いて軌道を変えた。サダムの握る根元付近は軌道を変えていない。テンセイの殴った位置を境に、剣が二分されようとしていた。
装飾のない刀身に小さな蜘蛛の巣が張り付いた。蜘蛛の巣に見えるのは無数の亀裂だ。白い亀裂は峰の端から長い長い刀身を瞬く間に横断し、ついに刃の端へ達した。剣を振り下ろす刹那の瞬間の、その中で起こったさらに閃光のように短い時の中で起こったこの変異を、サダムの目はしっかりと捉えた。
ラアァァァ……。テンセイの叫びの響音がこだまする。巨大な剣が破裂した。断面から細かい鉄の粉を散らし、切っ先は一瞬宙に浮いて力尽きたように地へ倒れ落ち、柄の方は最後まで振り下ろされた。当然テンセイには届かない。
「おのれ、我が王族の宝をッ!」
短くなった剣で、サダムは鋭い突きを繰り出した。瞬時に動作を切り替えることは戦闘において重要な能力だが、テンセイもまたそれを可能としていた。地に貼り付かせていた足を跳ね上げ、靴先で折れた刃を蹴りつけた。
「ぐぬっ」
突きの動きが止まる。そこにすかさず拳のハンマーが振り下ろされた。流れるような連続の打撃が一点を集中して襲い、サダムの分厚い手から剣を叩き落とした。
「やった、さすがオッサン!」
ノームが歓声をあげる。サダムの剣を殴り折ったことは大きな功績だ。ただの剣ではなく、伏鯨などという大仰な名を付けられた豪刀を、生身の拳三撃でへし折ったのだ。テンセイでなければとても出来ないことだろうし、その成果は絶大だ。サダムの剣技を封じたのだから。
「フフ、フハハハ」
だが、なおもサダムは笑っている。それは見方によっては追い詰められて混乱した態度のようにも取れるが、その全身から放たれ続けている闘気が、そうでないことを示している。まだまだ余裕の色が濃い。
「ここまでやりおるとは、もはや賞賛も度を越して呆れるばかりよのう。オリハルコンほどではないが、この剣の素材はかなり強固なものを用いていると聞いていたが……」
「相変わらずよくしゃべるな。どうせ、オレに出来ることは自分にも出来る、て思ってんだろ?」
「フハ、そうかもしれぬな。しかし、剣を折られることは剣士にとっては屈辱だが、余は剣のみに生きたものではないのでな。まだ心までは折れはせぬ。おっと、心を折らなかったのはアクタインも同じであったか。フフン、もっともあれの剣を折ったはぬしではなかったがな」
サダムは否定しない。その態度に、テンセイは何かを感じ取った。それは言葉で表現することの難しい、違和感とも猜疑心ともつかぬ得体の知れないものだった。
「……なぜ、オレがあの将軍と戦ったことを知っている?」
テンセイは訪ねた。
「ほ、何をいまさら。アクタインの死体が見つかった場所と、ぬしらの逃走経路が重なっておった。それで十分よ。ぬしらの他にあ奴を倒せる者などおらぬしな」
「……だったら、なぜその将軍の剣を折ったのがオレじゃないということまで知っている?」
サダムの笑い声が止まった。が、表情は変えないまますぐに次の言葉を紡ぎだした。
「夢に見たのよ」
「夢?」
「うむ。アクタインがいかに戦い、敗れたのか。直に見たかのように鮮明に夢の中に像が浮かんでのう」
でたらめな嘘を突いている気配はない。あまりに堂々と言い放ってしまうものだから、かえって真実味がある。だが、テンセイは信じなかった。
「魂に聞いたんじゃあないのか?」
サダムが眉をひそめた。