第203話・縦横
「梵ッ!」
剣が地と水平に走る。これまで上段からしか攻めてこなかったサダムが、剣を横になぎ払った。素早く動き回るテンセイを捉えるには縦の軌道では困難だと判断したのだろう。腰の高さを薙いだ剣は空を斬り、テンセイはそれを高い跳躍によって回避した。
「けぇーーーッ!」
何時の間にやら、サダムの左手が剣の柄に添えられていた。両手で素早く剣を振るっている。さすがの怪力でも片手で剣を横に振るのは面倒なのだろうか。さっきまでは防御のために片手を空けていたが、今は両手で攻撃に徹している。
息をもつかせぬ連続攻撃だ。思い切り振り抜いたはずの剣が空中で停まり、再び次の攻撃に転じる。テンセイの移動する一瞬先の地点を予測して容赦の無い斬撃を浴びせにかかる。ひたすらに攻め、また攻める。大気がかき乱されて真空をつくる。その真空すらも斬り裂いて剣は舞う。
テンセイは防戦一方だ。しかしむしろそれは誉めるべきことだろう。攻撃をしのぎつつ、一定の距離以上からは少しも後退していない。攻撃を回避するために上体を後ろへのけぞらせることはあっても、足を下げて距離を取ろうとはしない。それは懐に潜り込まなければ有効な攻撃が出来ないという理由もあるが、それ以上に精神的な決意の方が強かった。すなわち、二度とこの男から逃げない、背中を向けないという思いがあった。攻撃を避け続け、反撃の機会を待った。隙さえあれば一瞬で踏み込んでパンチを放てる距離を保っている。
一太刀ごとに、サダムの剣は鋭さを増していく。疲労するどころか逆だ。むしろこれまでの動作が単なる肩慣らしで、ようやく体が温まってきたところらしい。強敵を目の前にした歓喜と興奮でサダムの肉体は徐々に活性化していく。しかしそれに呼応するかのように、テンセイの目も剣の軌道をより正確に捉えられるようになっていた。
「セアッ!」
サダムが一歩踏み出し、テンセイへの距離を詰めた。そこはテンセイの攻撃が届く間合いであったが、サダムは構わず剣を頭上から振り下ろした。横の斬撃にテンセイの目が慣れたことを悟り、素早く縦の軌道へ切り替えたのだ。剣の根元で斬るつもりだ。攻撃の範囲は狭まるが、距離を詰めたためテンセイは避けきれない。
剣はテンセイの顔面十センチ手前で停止した。その剣の横腹はテンセイの手のひらで両面から挟まれている。回避できないと判断しての白刃取りだ。
「うむ、見事! 余の剣を真正面から受け止めるとは、怪力以上に大した胆力である!」
サダムは笑っている。互いに腕の力を最大限にまで引き出すが、剣はびくとも動かない。普通の刀剣ならば白刃取りをしたまま刃をへし折ってしまう事も出来るが、異様に幅が広く、また強度のあるこの大剣・伏鯨を折ることは不可能だった。また、馬力に任せて相手から剣を奪い取ることも出来ない。力はほぼ互角だ。いや、サダムの方がわずかに上回っている。
じり、じり、と少しずつ剣が動く。方向は下。テンセイの顔面へ、幹を這うナメクジのような速度で徐々に迫っている。テンセイは懸命にこらえるが、それでも剣の進行は止まらない。砂に染み込んだ水がどこまでも浸透していくかのようだ。
「フ、フフハハハ。さぁて、この体勢からどう捌くかテンセイよ。よもやこのまま押し切られる訳はあるまい。力で押し返すか、策を使うか。フフフ。いかな手を使おうと余は咎めぬぞ」
純粋に腕力で後れを取っていることも危機を招いている要因だが、それ以外にも理由はある。上段からの攻撃であり、サダムは直線状に振り下ろせばいいだけなのに対し、テンセイは左右から挟む形でしか力を使えない。そして剣の重みも加わるとなれば、単純に力だけで押し返すことは不可能に思えた。
素早く剣から手を離し、それが振り下ろされる前に横に移動するか、前に出て反撃するか。それが出来れば理想だが、それはかなりリスクの高い賭けである。テンセイが手を離すか腕の力を緩めようものなら、次の瞬間には剣は振り下ろされているだろう。それよりも早く逃れる事は……降り注ぐ雨粒を全て避けて歩けるほどの速さが必要だ。
「どうした、フェニックスの恩恵を受けた戦士よ。ウシャスの最高峰の兵士よ。腕っ節一つでこれまで生きてきたぬしが、力で負けるか。滑稽な話よのう」
フハハ、とサダムはなおも笑う。優越感がからくる愉悦が半分、興奮からくる胸の高鳴りが半分、だ。
「万に一つの可能性に賭けて手を離すか、あくまで粘り通すか。安心するが良い。たとえいかな結末を迎えようと、余はぬしのことを凡夫と見なしたりはせぬ。このサダムを相手にここまで善戦しただけでぬしの強さが知れるというものよ」
サダムの言葉は十中八九勝利を確信している。ゼブ陣営のサナギたちも同じような心境だった。特に宰相のグックなどは、安心したように大きく息をついて額の汗をぬぐっていた。
「王のおっしゃられる通りですわ。あのテンセイと申す者、王には及ばずとも大した器でしたな」
「クケ、クケ。あれはもう、もう」
「チェスでいう『詰み』の状態だね、ね」
「さすが王様、様。真の強者には、には、策も技も必要なしという、いうことを証明されていう、いる」
アフディテは言葉を発さなかったが、心の中では似たようなことを考えていた。だがまだ弛緩はしていない。
ウシャスのラクラやノーム、それに『フラッド』の三人(いまだ木の上に隠れて見守っている二人を含めれば五人)は、ただただ緊迫した面持ちで固唾を飲むばかりであった。だが誰も手を貸そうとはしない。そうしてしまえば、完全にテンセイの敗北が決まってしまうような気がした。結局、緊張に胸を焦がす以外に出来る事はなかった。
ただ一人、コサメだけが誰とも違う反応を見せていた。丸い瞳をしっかりと開き、じっとテンセイを見つめている。戦場の空気に圧倒されて声は出せないが、強い思いをテンセイへ届けていた。それは”信頼”。何よりも強い無言のエールだった。
「ぬおああああッ!」
テンセイが吼えた。