第200話・王と野戦士
羽根を畳むように光が収束し、『紋』の中へ消えていく。イルミネーションに彩られていた夜空が再び闇の姿に戻り、地面に置かれたランプだけが空しく炎を揺らして存在をアピールしている。
空間がしんと静まり返っていた。なかば人の心を忘れたサナギやサナミでさえも、神秘の光が闇へ変わる光景に重苦しいものを感じていた。グックは呆然と口を開けて固まっている。リークウェルも両肘をついて胸を持ち上げ、蝶が吸い込まれていくのを眺めている。ノームとアフディテも体勢を維持したまま動かない。
あたり一面が夜の静寂に包まれていた。それを打ち破ったのは、やはりこの男だった。
「ハハハッ! いや見事、見事であったぞ」
乾いた声とともに、拍手の音が鳴り響く。この男は声も大きい。
「実に見ごたえのある勝負であった。フハハ。ウシャス軍のノームよ、以前合うた時より心身共に強くなっておったようだな。ハハ、前途有望な若者は見ておるだけで心地良い」
太い手が歓喜の音を叩き出す。静寂の包みも何のその、男は豪快に笑い飛ばす。
「アフディテ。ぬしの戦いぶりも見事であったぞ。よくぞ初陣を勝利で飾った」
「……勝利?」
アフディテが小さく言葉を洩らす。それはか細いつぶやきであったが、サダムはしっかりと聞き取った。
「うむ、勝利だ。この勝負、元々はぬしとアドニス、それに『フラッド』のリークウェルと少女――ユタとか言ったか、の戦いであったろう。『フラッド』二人はまだ生きておるが、戦闘不能な状態にまで陥っておる。この戦いに関してはぬしらの勝利であるぞ」
「でも」
「フハハ。確かにノームには負けたが、それは所詮延長戦だ。二対二が三対二になっただけのこと。ならば、こちらも三人目を加えれば問題あるまい」
大気が騒いだ。静かにたゆたっていた夜の空気が、重みを帯びた血の気配に染まっていく。――動きだす。誰もがそう感じた。ナマズが地震を予知するかの如く、この場の全員が大きな力の振動を感じていた。
サダムが腕組みを解き、木に預けていた背をまっすぐに立てる。鎧具足に覆われた肉体を苦もなく動かし、地面へ突き立てた巨大な剣・伏鯨の柄に手をかけた。
「すまぬがノームよ。余の娘を放してはくれぬか。そのまま人質とするのも勝手だが、ぬしはそんな男ではなかろう。そ奴が敗北を認めたことを知っておるなら、放してやってくれ」
言葉の中には、命令の色も強制の色もない。だがこの男は普通に語っているだけで圧力を発している。
もとより、ノームは人質を取るつもりなど初めからない。言葉は返さず、黙ってナイフを下げた。
「うむ、すまぬな」
解放されたアフディテが、杭を飛び下りて地に立った。その表情には複雑な感情が渦巻いている。勝利したと評されたことへの安心、しかしノームには敗れたことへの謝罪、そして、父から”娘”と呼ばれたことへの戸惑いと……小さな喜び。
「アフディテ、ぬしはもう良い。グックのところに行って休んでおれ」
「……はい」
アフディテは歩き出す。戦場の気に飲まれて立ちつくすグック達の元へ。だが、サダムの顔を見ることは出来なかった。入り乱れる感情の整理に追われ、父と向き合う勇気が持てなかった。
「アフディテ」
サダムが再びその名を呼んだ。
「面を上げろ。胸を張れ。戦いに生き残った戦士が下を向くな。生きる者には次がある。次の戦いのために、前を向け」
生きる者。次。アフディテが長く忘れていた言葉だ。そして新たに生まれ変わったアフディテを後押しする言葉であった。
「……はいっ」
アフディテは瞳に夜空を映した。月も星も見えなかったが、気持ちが軽くなった。そして少女は戦場を降りた。
「さあ、夜明けも近いことだ。戦の熱が冷め切らぬうちに始めるとしようかの」
太刀を肩に負い、サダムが歩み始める。進む先はノームの立つ杭。
アフディテの奮闘は、父であるサダムにも影響を与えていた。己の血を継ぐ者にあれだけの戦いを見せられ、戦士としての血が熱く燃え立たない道理はない。アフディテ以上の才気と鍛練を持つ男が舞台へ上がった。
「フハ、ノームよ。先の戦いでの傷が癒えぬままで申し訳ないが、なにせ騒ぐ血を抑えられぬでなぁ。ぬしを戦士と見込んで、改めて決闘を頼みたいがよいか?」
一歩ごとに、地面に深い足跡が印していく。この男の進む先には必ず痕跡が残される。本人が望まなくとも周囲の全てがそれを記録せざるを得ない。この男に真正面から敵意を向けられ、平静でいられる者がこの世にどれだけいるだろうか。
「……おい、ノーム」
そう声をかけたのはリークウェルだ。サダムの言葉で一方的に敗者にされてしまったが、当人はまだ戦うつもりらしい。
「もうしばらく時間を稼げ。そうすればオレか、ユタが復帰できる。どれだけかかるか分からないが……」
「ンなもん、アテにさせるなよ。早く復活できるならとっくにやってるだろ?」
「……だが、貴様一人で戦うのは無謀だろう。今の戦いも紙一重だった。しかも次の相手はあのサダムだ。小細工を弄しようと通じる相手ではないぞ」
「うるっせぇなぁ」
「フハハハ! 若人のケンカ、大いに結構。余はどちらでも構わぬぞ。ただし、リークウェルよ。そちらが手出しせぬ限り余からはぬしを攻撃せぬ。戦場に立ちたくば、己の力で這いあがってみよ」
サダムが会話に割り込む。その目は少年のように活き活きと輝いている。
だが、ノームの放った一言がサダムの足を止めた。
「決闘なんてお断りだね。オレのガラじゃない」
「……ほう」
「そーゆーのは、あの人の役目だ」
サダムがゆっくりと振り向く。その動作で、リークウェルやサナギたちは初めて気がついた。出遅れた役者がようやく揃ったことに。
「ハハ、ハハハハハッ! そうか、うむ。それもよかろう。堂々と言いきったその態度が気に入った」
「相変わらず、豪快な王様だな」
森の奥からやって来た、三つの影。その中でひときわ巨漢の男が言った。