第198話・背水に踊る戦士
近くにいるはずなのに、敵がどこにいるのかわからない。戦場に置いてこれほど恐ろしい事態はない。一瞬の不意を突いて攻撃されれば即敗北が決定してしまう。しかも『紋付き』の場合、常人よりも一つだけ急所となる場所が多い。『紋』を傷つけられてしまったら激痛に痺れに襲われるからだ。
だがその点、アフディテは他の『紋付き』よりいくらか負荷が小さいとも言える。アフディテの『紋』が刻まれているのは常人にとっても急所となる場所なのだから。
(一撃でリタイア、ってなることだけは避けなくちゃ……)
アフディテは両腕をクロスさせ、『紋』をかばう。視線を足元近くに落とし、地面からムジナが飛び出てきやしないかと警戒する。『紋』に攻撃を喰らうことさえ防ぐことができれば、すかさず護衛の龍でムジナを仕留められる。
(地中の気配が読めない。龍が突き進むのと比べてムジナは体が小さいから、振動を感じることも難しい。……龍でいぶり出すのも限界がある)
龍を地面に潜らせて闇雲に走らせれば、運よくムジナに命中する可能性もあり、また土を削ることでムジナの移動できる場所を狭めることもできる。だが、地面がなくなることはアフディテ自身の逃げ場所が減ることも意味する。
さらに、当てずっぽうの突進でムジナを倒せるかどうかはかなり怪しい。ムジナは本物の獣と同様に敏感で素早い。加えて地上にいるノームが龍の動きを見てムジナを移動させることも可能だ。
(でも、これをやめるわけにはいかない。龍が攻撃の手を休めたらムジナは一気に私へ接近してくる。最短距離を、一直線で……。あっ)
アフディテは策を思いつき、地面をえぐっていた龍を手元に戻した。そして再び自分のすぐ目の前に潜行させ、狭い円を描くように旋回させる。アフディテの足下だけを残し、次々と土が消えていく。やがて、さらに深くなった穴の中に一本の杭が立ち、それにアフディテが立つ光景が再び形成された。
(これでいいわ。そう、防御に関してはこの形がベスト。私が高い所にいれば、ムジナは横や背後から奇襲をかけて来れなくなる。この杭の中を通って、足下から攻撃するしかない。攻撃の方向さえわかれば後はタイミングを警戒するだけでいいわ)
一安心して視線をあげる。と、一瞬呼吸が止まりそうになった。もしかしたら実際に止まっていたのかもしれない。すぐ眼前に鋭い刃が迫っていたのだから。
護衛の龍を動かし、ナイフを防御する。紙一重だった。気付くのがほんの少しでも遅ければ、ノームの投げたナイフはアフディテに突き刺さっていただろう。狙いも正確で、真っ直ぐに『紋』の辺りへ向かっていた。腕で防御しているため『紋』には命中しなかっただろうが、攻撃を受けて怯んだ隙にムジナが襲ってきたら……。
アフディテは、意外に自分が追い詰められていることを自覚した。そうだ、リークウェルを戦力外に追いやったとはいえ、少しずつ敵は距離を詰めてきているのだ。距離が近付けばアフディテの優位はなくなってしまう。
「あっチクショ〜……。惜しかったな今のは」
ノームはすでに、龍がムジナを探すために形成した最初のすり鉢の縁にまで達していた。
これ以上接近されるのは絶対にマズい。それを食い止めるには、ひたすら攻撃するしかない。アフディテは覚悟を決めた。
(防御と反撃は龍一匹だけに任せる! 残り二匹で全力攻撃! あの状態のノームならすぐに仕留められるはずッ!)
地に潜った龍を走らせ、地中からノームへ突進させる。ノームはギリギリで回避したが、こちらもほとんど紙一重に近いようだった。余計な動作を抑えるために寸前で回避したのではなく、ギリギリでしか避け切れなくなっているのだ。すぐさま頭上から別の龍に攻撃させる。
「左に跳べ!」
リークウェルが叫び、それに従ってノームが移動する。即興にしては息のあったコンビネーションだ。またしても龍の攻撃は空振りに終わった。リークウェルは完全に協力の姿勢を示していた。
(でも、大丈夫。……大丈夫。今の私は絶対に負けない。力はまだみなぎっている。ううん、もっと高まっていくのを感じる。蝶の一つ一つにしっかりと意思が伝わっている)
アフディテは呼吸を整え、両の拳を固く握りしめた。だが、この状況でもなお、口元の笑みは消えてはいなかった。余裕や慢心からくる笑みではない。互いに窮地へ追い詰められた状況で、一触即発のせめぎ合い。それが戦士の血を熱く燃え立たせていた。勝利への欲求が無限に湧いて出てくる。火事場の馬鹿力とも言うべき、実力の限界が続々と引き出されていくのは快感ですらあった。
(私は……勝つッ! この戦いに勝って、もっと自分を高めたい。父を、母の愛した国を守る力を、もっと……)
強い想いは力となり、『紋』から蝶へ伝わっていく。止まらない進化。
「私は生きる! 何が何でも勝利して生き延びるわッ! 母とアドニスの分まで強く生きて見せる! あなたが私たちの前に立ちふさがるなら、乗り越える!」
「……ッおお!」
龍の動きが加速する。限界が近くなったノームへ最後のラッシュを畳みかけるように、二匹の龍が間髪入れず交互に攻める。その様は、巨人が連続で拳を振り下ろしている姿に似ていた。
「向こうも短期決戦に乗ったようだぞ。このラッシュ、いつまで捌ききれる?」
「もう無理だっての、クソッ!」
叫んだノームのつま先が龍をかすめ、塵となって消えた。それでも体勢を崩さずすぐに行動できたのはさすがだが、あと五秒も持てば上出来、とも言うべきところまで追い詰められている。
「仕方ねぇッ! 今! このタイミングでやるしかねぇ!」
アフディテは足元に視線をやり、身構える。ムジナが飛び出して来次第、最後の龍で仕留める。その準備は完了していた。
(ノームのあの目、あれは必ず攻撃するという意思に溢れている。フェイントはなし、このタイミングで来る!)
次の瞬間、ノームの両腕が消えた。