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第195話・悪夢の如き喪失

 ノームと龍の間に割って入ったリークウェルは、ノームを助けるつもりなど全くない。ノームが転送の隙を突かれたとはいえ、その身体能力の最大を持って回避を起こせば最低限命は助かったかもしれない。だが、このリークウェルの行動によってそれは不可能になった。


(コイツ……)


 ノームは思った。ほんの一瞬だけであったが、甘い考えが脳裏に浮かんだ。もしかしたら、リークウェルは自分を助けるために割り込んだのではないかと。ようやく手を組むつもりになったのか、と。少し間があればすぐに否定できる意見だったが、この期待がノームの動きを鈍らせた。


 リークウェルはノームに背を向け、龍に向き合う。龍は大顎を広げ、二人まとめて呑み込む構えを見せている。リークウェルは地面を蹴り、龍に両足を向けた。


(三匹のうち、一匹は目の前のコイツ。一匹はノームを攻撃しようとしたまま、まだ後方にいる。もう一匹は地中に潜っているが、潜った位置と移動速度から大よその潜伏地点は予想できる。オレたちの真下からやや離れたところだ)


 おそらく、今の攻撃が失敗したら地中から追撃を加えるつもりなのだろう。とにかく最も重要なことは、アフディテのすぐ周囲に龍がいないということだ。接近を行なうのに最も適した瞬間ということだ。


 龍の開いた口の中に、鋭い牙が生えている。この牙も蝶が固まって形成したものだが、リークウェルはそれを使う事にした。わざわざ牙の形など作る必要は感じられないが、アフディテは割りと造型にこだわるタイプらしい。口の大きさに合わせて牙も太く、そして力強く作られていた。


「ハッ!」


 リークウェルは、迫り来る牙に向けて両足の鉄輪を叩きつけた。


 衝撃が伝わる。それに合わせて、ヒザから足裏へとエネルギーを送り、跳躍する。当然、しっかりと方向を考慮しての蹴りだ。脚力と衝撃が合わさって凄まじいエネルギーとなり、狙いが正確ならば、あまり高くは飛ばず地面と平行に体を弾き飛ばす。そしてリークウェルの放った蹴りの角度は完璧だった。この角度ならば間違いなく接近に成功する。アフディテの周囲にはいくらか蝶が飛び交っているが、その隙間を突いてサーベルを振るうことはたやすい。


(オレに蹴られても、龍の突進は止まらない。逆にノームはオレが割り込んだ事で動きが止まっている。オレがこの蹴りで跳躍した後、確実にノームは龍に喰われるだろう。だが何も問題はない。むしろ邪魔者を同時に消せて好都合だ)


 高まったアドレナリンの影響か、実際の時間よりもはるかに高速で思考が流れる。現実のリークウェルの体は、いまだ龍の牙を蹴りつけた場面であった。そのまま衝撃を受けて跳躍……するはずだった。


 バギッ、という鈍い音が耳に届いた。音が届く前にリークウェルは衝撃を受け取っていたが、それは予期していたものとは大きく異なっていた。それは前方へ跳躍するにはあまりに小さなエネルギーだった。何事かと思った矢先、鋭い激痛が脳を攻めていた。


「ぐおおおッ!」


 冷徹なリークウェルらしからない、獣のような叫びが口から飛び出した。足が砕ける。フェニックスの力を用いて再生させた右脚が、これまでは無事だった左脚が、粉々に砕けて霧のように四散していく。


(鉄輪が!)


 激痛に乱れる思考の中で、リークウェルは気づいた。


「私の中に、強い自信が渦巻いてる。強く、強く願えば、どんな理想も現実へ変わってしまうのかもしれないわ。さっきまでの弱かった私とは違う。私は成長の道を進む。もっと強くなる。……オリハルコンの鉄輪さえも砕いてしまえるほど、強く」


 前提が崩された。これは間違いなく致命的である。チェスのようなゲームにおいても、勝負の前提……例えば、自分の番がくるごとに自分の駒を一度だけ動かせる、というルールが突然消滅し、対戦者の片方が何度も連続で駒を動かし続ければ、実力の差に関係なく必ず勝利してしまう。チェスならば反則、卑怯として片付けられるが、実戦の場ではそうはいかない。


 この蝶の破壊能力は、一定強度以上の物体に対しては効果を成さない。アドニスが放ったその言葉は決して嘘ではなかった。事実、その時は鉄輪によるガードは有効だった。


 リークウェルの誤算は、アフディテの成長を低く見ていたことだった。蝶の移動速度と操作の精密性にばかり気を取られ、ごくわずかずつ鉄輪が砕かれていたことに気付いていなかったことである。前提の変化を見落としていたのだ。


「ガアァッ!」


 重くて高い獣の唸りが響く。武器を取って戦う人生を選んだ以上、誰しも痛みに対する抵抗性は身につける。戦場で悲鳴を上げることは屈辱ともされている。プライドの高いリークウェルは特にその傾向が強かったのだが、それでも叫ばずにはいられない。


 肉体が徐々に消滅していく。その恐怖は体験した者でなければ想像すら難しい。どうしようもない喪失感。まるで悪夢のように、そこから逃げ出さなくてはならないとわかっているのに身動きが取れない。そのくせに思考の電流はグルグルと脳内を駆け巡る。電流が回るごとに苦痛の刺激が加速する。


 過度の激痛を受けると痛みを感じなくなるというが、この時のリークウェルは、麻痺に至るまでの時間が異様に長かった。皮肉とも言うべきか。鍛え上げられた肉体と鋭い感覚、そしてフェニックスの持つ生命力が(あだ)となり、苦痛を長引かせている。


「――ッ! つ……れ……」


 ノームの声が聞こえている……ような気がする。痛みと恐怖の刺激が強すぎるために周囲の状況が把握できない。眼は開いているが、視覚の情報を受理する余裕がない。体が浮いているのか、地に倒れているのかもわからない。


 だが、もし本当にノームが言葉を発し、何かを伝えようとしていたとしても、もう意味がない。このタイミングでは自分もろともノームも龍に呑み込まれてしまう。リークウェルはそう確信した。そして、龍の口から逃れる手段がないことも悟った。

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