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第192話・妖しき餌

 砕けた土層の隙間かあら、橙の光が漏れていた。リークウェルは己の驕りを呪った。アフディテは想像以上に戦いの才能を持っていたのだ。確かに経験は少ないだろう。だが、その極わずかな機会で常人以上の知識と勘を吸収することが出来るのだ。それは努力で補う事のできない、才能という力。アフディテの体内に流れる王の血は、経験の有無などたやすく乗り越えるのだ。


(有利とか、不利とか、本物の戦いにそんなものは関係ないと知っていたはずなのに……。不覚を取った)


 地上を素早く行き来しての白兵戦ならば、リークウェルは世界で屈指の実力を持っているだる。ならばそれを封じてしまえば良いのだ。敵の機動力を奪う事は戦いの定石。巨大な龍も、そこから分裂した二匹の龍も、ここまでは囮だったのだ。真の狙いは、地中に潜めた蝶を悟られないことだった。地中に数匹の蝶を潜り込ませ、土層を砕いて落とし穴をつくったのだ。地表面だけを見れば変わりないが、少しでも上から衝撃を与えると崩壊するように計算して。後はリークウェルをそこへ誘導するだけであった。


「おおおッ!」


 着地の衝撃で崩壊した地盤が、地中に潜んでいた蝶に触れてさらに砕かれていく。超人的な反射神経で瞬時に体勢を整え鉄輪で蝶を踏むが、今度は頭上から龍の口が迫っていた。今度こそ囮ではなく、確実にリークウェルを仕留めるために牙をむいている。


(近すぎる。龍が到達する前にこの穴から脱出することは……不可能! 少なくとも五体満足ではッ! 腕一本を食われてでも龍を回避しなくては)


 顔を上げ、自分へ向かって落ちてくる龍を睨みつける。一瞬の間にその軌道と巨大さを確認し、回避しながら穴の外へ飛び出て行くルートを探し出す。ルートはすぐに見つかったが、それは人間一人が通り抜けるにはかなりギリギリのスペースであった。


(少しでもタイミングが狂えば腕一本では済まない)


 全身の細胞に緊張を走らせる。穴はそれほど深くなく、一回の跳躍で脱出できるはずだ。蝶を蹴り、見つけたスペースへ身を運ぶ。


 凄まじい衝撃がリークウェルの細身をかすめ、さらに地中深くへと潜っていった。龍の口に飲まれるという最悪の事態は避けられた。リークウェルが跳躍してから穴の外へ出るまで、時間にして一秒もかからない。だが無限のように思える一秒だった。極限にまで緊張に研ぎ澄まされた神経は時間の感覚すらも超人並みにさせる。


 伸ばした手が穴の縁へ届こうかというところで、再度龍が姿を変えた。狙いを外して地中へ潜りつつあった龍の尾から鱗が剥がれ落ちたのだ。実際には鱗ではないのだが、構成している蝶がバラけて飛び始めた様は、魚の鱗を剥がし取るのに似ていた。


(くっ……。やはり無傷では出してくれないか。ダメージが最小になるのを願うだけだ)


 剥がれた蝶がリークウェルを襲う。アフディテは周到だ。落とし穴を利用しての一撃を過信せず、それをかわされた場合の対策をしっかりと考えて実行していた。すでに空中に身を投げているリークウェルは、地上に達するまで敵の攻撃を回避することは出来ない。


 初めに飛び出した蝶が肩に触れる。衣服が破れ、皮と肉を削って血液を噴き出させる。斬られるのでも殴られるのでもない、不思議な痛みが脳を刺激する。飛び散った血液が後続の蝶に降りかかり、瞬く間に消えて行く。ゴミや汚れを消すにはもってこいの力だな、などとくだらない考えが浮かんでくる。無意識のうちに心の中で観念したのだろうか。いや、そんなはずはない。


 ふいに、体が軽くなった。地上へ達するまでの残りコンマ数秒の時間が一気に短縮された。肉体に追いつこうとしていた蝶たちが眼下へと流れていく。


「ああ、クソ! とうとう全部こっちに来ちまった。もう戻れねーぞ」


 耳元で不愉快な声が響く。リークウェルはあっという間に地上に叩きつけられた。自分の襟首を掴んで穴から引っ張りあげた男が背後にいる。さっきまではちっぽけな獣の格好をしていたのに、今はリークウェルとほぼ同じ体格の男になっている。


「誰が助けろと言った。勝手なマネをするな」


「勝手にしろ、って言ったのはお前だろ」


 口を開けば文句ばかりが出るが、結果的に被害は小さく済んでいる。その点だけは前向きに受け取っておく事にした。恩を受けるのではなく、ただの結果としてだけだが。


「逃げるつもりはなかったけどよォー、いつでも引っ込められるっていう利点は残しておきたかったぜ」


 ノームがまだブツブツ言っているが、これ以上は相手にしない。もう一匹の龍が襲ってきたからだ。


「ちっ」


 体勢を立て直し、すぐさま移動して龍を避ける。ノームも同じタイミングで回避していた。


(面倒だな。地中に潜った方の龍もすぐに出てくるだろう。いや、おそらくは確実にオレを殺せるタイミングで襲ってくる。新しく罠を仕掛けるのも、奇襲をかけるのも思うがままだ)


 アフディテを直接護衛する蝶の数は、相変わらず少ない。接近して攻撃できればアッサリ倒せそうに見えるが、それこそがアフディテの狙いだ。自分自身をエサとしておびき寄せ、仕掛けた罠で食い尽くす。


 それはわかっている。わかっているが、行くしかない。リークウェルの武器はたった一つだ。


「避けるだけで精一杯ってところだな。下手に近づいていこうものならまた罠にかかる」


 ノームが同じ意見を述べている。リークウェルに聞かせているつもりはないだろうが、わざわざ口に出さなければ気がすまないタイプのようだ。


「だが、オレの『紋』なら出来るぜ。逃げると一緒にアイツへ接近することがな」


 ノームの肩に刻まれた『紋』が輝き、ムジナが這い出てくる。


「オレ本体は龍を避けながら、ムジナを近づけさせる。ムジナの速さなら蝶をくぐり抜けながらでもすぐに距離を詰められる」


 ムジナが走り出す。リークウェルもすぐにその後を追った。協力はしないが、接近する標的が多いほど敵は混乱しやすいのは事実だ。ムジナを”利用”することに決めた。

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