第19話・第三勢力
出口まであと数百メートル。火を消せるような水は坑道内部にはない。土をかぶせての消火も試みたが、その土まで燃えてしまう。酸素の供給がある限り燃え広がるのだろう。
「フフハハハ。これでもう最悪で相討ちだぜ。いや……オレの方が炎に対する抵抗が強い。何てったって自分の能力だからなぁ。てめぇよりは長く生き延びる自信があるぜ」
あたりに異臭がたちこめる。火のついたものに触れるのではなく、肉体そのものが燃えているのだ。このままでは有毒ガスの影響が現れるよりも早く焼け死んでしまう。
「『自動延焼』。こうするともう炎はオレのコントロールとは関係なしに広まっていく。この炎を鎮める手段は二つ。水で消すかオレが”消えろ”と念じるかだ。今ここに水はねぇ。お前を焼き尽くすまで決して炎を消しやしねぇッ!」
「……つまり、お前を気絶させちまったらますます炎を止める手段がなくなるってことか」
「そうだ! 残念だったな! もう手遅れだ」
「いや間に合う」
そう言い終える前に、テンセイはブルートの後頭部を打っていた。その打撃はブルートの脳は揺さぶり、一言も発する間を与えず闇の中へと引きずり込んだ。
「これでまず、熱源を絶った。……かなり厄介な敵だった。執念の塊みてーな男だったぜ。自分自身に火をつけてまで敵を倒そうとするとは……」
二人の右半身はほとんど炎に包まれているが、かろうじて『紋』から炎が消えていることは確認できる。
「外で……ノームや小隊長に会えば止血してもらえる。だからアンタの分も少し借りるぜ。二人分あれば足りるだろ」
ブルートを気絶させた以上、火を消す手段は水しかない。その水を得るため、テンセイは自分の手首に噛み付いた。深く、ギッチリと歯を立てて手首を噛み切る。当然、そこから多量の血が噴き出してくる。体が温まっているせいで出血が早い。
「オレまで気絶しちまわない程度に……ギリギリまでしぼり出すッ!」
噴き出る血液が炎を消していく。テンセイは続けてブルートの手首にも傷をつけ、消火用の液体を確保する。炎が完全にまわりきっていないのが幸いし、燃え広がる速度を消火する速度が上回った。
「だが、この火傷……に、加えてこの出血……。軍人ってのも、楽じゃあねぇな……」
残った力を振り絞り、ブルートを引きずって出口へ向かう。さすがのテンセイもかなりの体力を消耗させられたらしく、息が荒く筋肉にも力が入らない。
「ノーム……小隊長……」
地獄のような坑道を這いずり、ようやく出口の見えるところまで到達できた。と、その時である。坑道入り口にランプを持った人物が現れたのは。
「無事か、テンセイ君!」
「グッド、タイミング……だぜ、先輩。今回はちぃっとヤバい」
テンセイは気付いた。『ヤバい』のは自分たちだけではないことに。
レンもまた血を流していた。体のあちこちに切り傷があり、耳の後ろからも出血している。レンの手にも剣が握られていることから、何者かと斬り合ったようだ。
「その傷は……?」
「逃げろテンセイ君! 今すぐこの場から離れるんだッ!」
呼吸が荒く、声も上ずっている。外でも緊急事態が起こっていたようだ。
と、叫ぶレンの背後に人影が現れた。ランプの光に映されたその人影はフードのついた黒いレインコートのようなもので全身を覆っており、顔にも黒い布を巻いて目だけを出していた。そしてその手には銀に輝く刃物が握られていた。剣にしては刀身がやけに細く、先端は針のようだ。サーベルというものだろう。その刃先が血に濡れていた。
「後ろッ!」
テンセイが叫ぶ。サーベルの刀身がゆるりと動き、レンめがけて突き出されたのだ。とっさにレンは反応して剣撃をかわし、身を翻して下段から斬りかかった。が、敵は難なくこれをかわす。
レンが敵を見据えたまま言う。
「任務は中断だ! 一刻も早くここから脱出しろッ!」
「そ、……そいつは何者だ!?」
テンセイの問いで、初めて黒衣の人物が言葉を発した。男なのか女なのかわからない、無感情な声で。
「……『フラッド』。そう呼ばれている者の一人だ」
数分前――ッ!
坑道内でブルートと戦っていたテンセイは気付かなかったが、外で一発の銃声が鳴り響いた。場所は、採掘場からさらに北へ進んだところにある平地だ。近くに沼があるため水分が多く、今の季節は人の身長ほどの草木が生い茂っている。
(なんだ、あいつ。何でこんなところで銃を撃った? 何を狙ったんだ)
ムジナを介し、ノームはその現場を目撃していた。弾丸を放ったのは、ブルートと同僚のゼブ軍人。この男はガケの上をひたすら走り、この平地へたどり着いた。そして腰の銃を抜き、草木に覆われた地の果てへ向けて引き金を引いたのだ。弾丸は若干の草を散らしながら闇の中へ消えていく。
銃声に驚いた鳥や虫が慌てて飛び立ち、ざわざわと草をこする。その草むらめがけて、さらに4発の弾丸が発射された。
「よし……これだけ撃てば十分……動くだろう。ボヤボヤしてるとオレまで危ない」
軍人はきびすを返し、もと来た道を逆に辿って走り出した。その走り方が先ほどまでと違う。足音を隠そうともせず、ただひたすら速く遠くまで……”逃げる”ための走り方だ。
(動く? 何が動くってんだ)
ムジナは一旦軍人から目をはなし、草原の奥を見つめる。
その途端、ノームの背筋に悪寒が走った。まるで何万匹もの蛆虫にたかられているかのような不快感が、首筋から足の裏まで覆い被さってきた。
草をかきわけて、何かがこちらへ近づいてくる。わざわざ銃声のした方向へ向かってくるのだから、少なくとも野生の獣ではない。しかも、数は一つではない。複数の何かが集団で固まって移動している。
まさか――。ノームは、”嫌な予感ほどよく当たる”ということを実感させられた。草の中から出てきたのは、五人の人間だった。そして、犬にウサギの耳をつけたような容貌の獣が一匹。五人の人間はみな黒いロングのコートを着ており、フードも被っている。さらに何人かは黒い布を巻いたりゴーグルをかけたりして顔を隠していた。
ノームがこの集団を『フラッド』だと理解すると同時に、ムジナは軍人を追って走り出した。