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第188話・凶運

 アフディテは、己の能力の恐ろしさを十分に知っていた。いや、知っていたつもりだった。ごく一部の金属・鉱物を除き、あらゆる物体を瞬時に消滅させる破壊の蝶。未熟なアフディテではその力を制御することは出来ず、多少思い通りに移動させる程度が限界であった。


(混乱を起こす……けど、命を奪ったりするようなことは出来るだけ避けたい。上手く脅かさないと)


 蝶を一匹だけ放出し、ゆらゆらと漂わせる。蝶の輝きが昼間の強い太陽光に紛れ、周りの侍女たちにはすぐに気付かれない。慎重に蝶を操作し、母に近付ける。母の体はすでにほとんど拘束が完了していたが、蝶はその拘束部に触れた。右腕を固定していたベルトが音を立てて千切れる。音に反応した侍女の一人が蝶に気づいて不審げな表情をつくり、それを払い退けようと指を突き出した。


(ごめんなさい……!)


 次の瞬間、甲高い悲鳴が鳴り渡った。傷は大したものではない。ほんの少し指先が切れただけだ。が、年若い侍女は派手に悲鳴をあげてくれた。


「どうした! 抵抗でもされたかっ!」


 御者の男が慌てて処刑台に上がってくる。ここが正念場だった。


「うおッ!?」


 今度は男が間抜けな声をあげた。アフディテが蝶を大量に放出したのだ。男や侍女たちに背を向けながら放っているため、何もない空間にいきなり蝶が湧き出たように見えるだろう。


「な、なんだこれは!」


「落ち着きなさい! すぐに追い払うのです!」


 女王の命令直下、男は馬を操るための鞭を取り出し、蝶の群れに向って叩きつけた。だが鞭は瞬く間に削り取られ、男の手元数センチを残して消滅した。屈強な男もさすがに表情を引きつらせた。


「これは『紋』の能力! まさかこの女、『紋付き』だったとは……!」


 どうやら母のことを『紋付き』だと誤解したようだが、ともかく”脅し”は十分に効いたはずだ。後もう一押しである。


「蝶が、蝶がこっちに!」


 アフディテは乱れそうになる呼吸を整え、ゆっくりと蝶の群れを動かす。母の体とそれに寄り添う自分を中心に蝶の円を描き、その円の外径を広げていった。侍女や男たちにとっては蝶が迫ってくる形だ。


「うわああっ!」


「きゃあッ!」


 たちまち、蜂の巣をつついたような騒ぎが生じる。蝶の破壊の恐ろしさを思えば当然だろう。これまで冷静な態度を貫いていた侍女たちは口が裂けんばかりに悲鳴をあげて逃げ惑い、男も握っていた鞭を捨てて逃げようとするが足がもつれて派手に転び、地面を這うようにして蝶から遠ざかっていこうとする。


「ええい、騒ぐでない! 早くあの女を始末せよ!」


 女王までもが言葉を乱暴にし、顔中に汗を浮かべていた。


「お母さん、今の内に!」


 アフディテは素早く残りの拘束を解き、母を自由にさせた。母もまた突然の蝶の出現に驚いていたが、すぐに傍らの少女が自分の娘であることに気づいた。何かを言おうとしているが、驚きのあまり声が出ないらしく口をパクパクと動かすばかりであった。


「なんとか馬車を奪って、お城まで逃げよう。グックさんに話せばかくまってもらえると思うわ」


 母の手を引いて馬車の方へ走りだす。パニックに陥った侍女たちは慌てふためくばかりであり、御者も馬車へ向かおうとはしているもののまともに腰が立たないらしく、その歩みは遅い。


 ただ一人、女王だけがかろうじて冷静だった。いや、冷静と言うより、盲目的な執念が動いたと言ったほうが正しいだろう。プライドの高い女王は決して逃げ出そうとしなかった。その場にしっかりと足を踏ん張り、走るアフディテとその母を睨みつけ、その手にはいつの間に取り出したのか、小口径の拳銃を握っていた。


「おのれ魔性め! この女王にまで乱暴を働こうとは無礼な!」


 明らかに素人の握りであったが、狙いをつけてすぐに引き金を絞った。銃声が乾いた大地を走る。


(危ないっ!)


 アデフィテは一瞬早く女王の殺気を感知し、母と自分を守るように蝶の盾を展開させていた。しかし、その必要はなかった。女王の放った弾丸は標的から大きく外れた軌道を描き、空の彼方へと飛んで行ったのだ。


「ぐえっ」


 発砲した女王自身は、反動の衝撃を受けて背中から地面に倒れた。もしかしたら腕の骨が外れたのかもしれない。これ以上銃を撃つことすら出来ないだろうとアフディテは判断し、蝶の盾を解こうとした。


 ここまではアフディテの作戦通りに事が進んでいた。だが、ゼブの軍神はそうたやすく初陣を成功させるようなことは許さなかった。無慈悲な神は、懸命に窮地を乗り切ろうとする少女に最後の試練を与えたのだ。


 ――風が吹いた。砂塵を巻き上げ、時には砂嵐をも巻き起こす風が。


 この時に起こった風は嵐と言うほど強力ではなかったが、それでも試練としての役目を果たすには有り余るエネルギーほどの強さを持っていた。舞いあがった砂が目に入るのを恐れ、アフディテは本能的に目蓋を閉じた。


「あっ」


 という小さな小さな声が聞こえ、アフディテが目蓋を開くまでほんの二、三秒。開けた視界に映ったのは、胸から血を流す母の姿であった。そして、その肉体に食い込む蝶。


(風が! 風が蝶を……!)


 風は女王の背後からアフディテへ目がけて吹いたのだ。その風に押され、盾を構成していた蝶が母へ突き刺さった。


「お母さんッ!」


 かくして、アフディテ本人にまで混乱が伝染した。幼い精神を圧迫していた負荷が一気に爆発し、脳の思考回路をメチャクチャに掻き乱した。アフディテの混乱は蝶の動作にまで及ぶ。


 さらに風が吹いた。蝶による被害を抑えねば、と頭の片隅で思ったが、精密にコントロールすることが出来ない。母の流す冷たいほどに鮮やかな血が視界に入る度に意識が薄れそうになる。ああ、いっそのこと本当に意識が薄れて気絶してしまえばよかったのに。


 蝶が風に逆らおうと不規則な行動をし、意図せぬままに侍女や御者の男を傷つけていく。倒れた女王にも破壊の血からは波及した。

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