第186話・受け継ぐ者
『力』とは、次なる世代へ受け継がれなければ意味がない。親が子へ、師匠が弟子へ、教師が生徒へ、様々な形の『力』が次世代へと受け継がれ、その世代でさらに発展を遂げてまたその次の世代へ受け継がれる。
『力』が強大であるほど相続の重要性も強まる。ゼブ国を支配する『王の力』はまさにその最高峰ともいえる。民を背負い、国の行く先を定める指導者としての才能。軍事大国を率いる戦士としての実力。それら全てを兼ね備えるに相応しいのは、やはり王の子。王族の血を引く人間でなければならない。子を生し、新たな王を育てることもまた王の義務。
現国王サダムもまたその例に倣い、数年前にとある貴族の女性と結婚していた。だが相手の女性が女王の椅子に座っていられた時間は一年にも満たなかった。アダムが城をあけていた日に数人の供を連れて馬車で外出し、何らかの事故に遭い崖から転落死した……というのが公式の発表となっている。女王が伏した後、サダムは新たに結婚をしようとはしなかった。
『いなくなったから次を取れ、というのも無礼な話であろう。余は当分独りでおる。女王の死を防げなかった事へのせめてもの詫びじゃ』
公式の発表では、女王とサダムの間に子どもはいないとされていた。ならば子孫を残すために再婚すべきなのでは、という声も国民の間で広まった。だがサダムにはっきりと宣言されてしまえば、誰も反論など出来ない。奇妙なことなのだが、普段は王に口やかましく言葉を出す宰相のグックさえも、王の宣言に従って再婚を勧めようとしなかった。
だが、女王を失って一年が経っても、サダムは再婚の意思を示さなかった。いずれは、と言いはするものの、一向にその気配を見せない。グックも意見を出さなかった。
サダムの真意を知る者は少ない。再婚を考えないのは、それほどまでに亡き女王を愛していたからなのか。それとも世間には知られていないだけで秘密裏に結婚の話が進められているのか。様々な憶測が飛び交ったが、真実は誰も知らない。
王都フォビアから離れた土地の田舎町に、一軒の民家がある。その家の存在を特別意識に留めている者は少ないかもしれないが、知っているといえば知っている者は多い。その家に一人の婦人が住んでいたことを知る者もいる。今はその家には誰も住んでいない。婦人がどこへ行ったのか? それを知るのは当人と、サダム、そしてグックだけであった。
『いずれ時が経てば、ぬしを公の場に出すことも出来る。だが今はこらえてくれ。我が国はウシャスへの侵攻を計画中である。下手に公表すれば兵の志気に関わる、とグックが言うのでな』
女王が没するよりも少しだけ前のこと。サダムは、城内にある一室で、その部屋に住まう少女にそう話した。
『わかっています。母からも重々聞かされていましたから。……昔は、私の父はもういないのだと聞かされていましたけれど』
瞳を強く輝かせ、ハキハキとした口調で少女は応えた。この少女こそ、王と、字も持たない町娘との間に産まれた禁断の子であった。当然その存在は極秘。正妻である女王に対しても秘密であった。
『私は母が好きです。母の住むこの町を、国を守ることが何よりの望み。そして私の体に刻まれた『紋』。軍に入ってこの力を使えば国を守る力になれるんじゃないかって、母に話したんです。その時、初めて父の事を聞かされて……』
『恨んでおるか? ぬしの母を捨て、我が子が産まれておったことすら知らなかった余を』
『いいえ、そんなことはありません。母も私も恨みなんて抱くはずがありません。愛を交わしたのは一度きり、それに私を身ごもったことを隠していたのは母自身の判断ですから』
『まこと、驚いたわ。じゃが余にとっては嬉しい限りのことじゃ。妻がおる身分で大言出来る事ではないが、余はぬしの母を真に愛しておった』
この一言を聞いて、少女――アフディテは心の底から喜びに満たされた。王の娘を名乗ることはおそらく生涯出来ないが、自分に父がいる、父が母を愛している、それだけで十分であった。軍に入るために家を離れたのだが、ゼブ軍は女性の軍人が少ない。ましてやこの時のアフディテは十になったばかりの子どもであった。そのため身分を隠したまま軍に入隊させることもできず、秘密裏に特殊な訓練を積む生活を送ることになった。
しかし、訓練が本格的な軌道に乗るよりも先に、悲劇は起こった。
『今度、母に会いに行こうと思っているんです。ちょっと心配症な性格だから、たまには顔を見せた方が良いかと……』
『うむ、構わん。グックに手配をさせよう』
唯一事情を知るグックは、アフディテが単独で城を離れることは危険だと言った。そして、女王がその町の近くまで出かける予定があるという情報があったため、それを利用する案を持ちかけた。すなわち、侍女の一人に扮して女王の馬車に同行するというものであった。アフディテはそれに従った。
アフディテは、自分が悲劇の舞台へ上がったことなど、気付きもしなかった。アフディテが女王とともに町へ向かう日、サダムは軍事関連の要件で王都を離れることになっていた。そのための準備に追われサダムは数日前から多忙だった。故に、女王がわざわざ田舎町へ出かける理由など深く詮索しなかった。
この悲劇を引き起こされた要因はいくらでも挙げられる。だが、その中でも特に大きな部分を占める要素が、女王にあった。女王は貴族の家に生まれた箱入り娘。プライドが高く、勘が鋭く、そして何より嫉妬深い性格であったことが悲劇の引き金となったのだ。女王は気付いていた。サダムの愛情が自分以外の人間に注がれていることに。そして、その対象が一般階級の人間であることに。
(今日の気候は穏やかだわ。お母さんに会うのにぴったり)
出発の朝、アフディテは窓から空を見上げていった。アフディテが気持よく空を仰いだのは、これが最後であった。