第185話・血
無粋者がまた一人増えた。見様によってはそうとも取れる。だがリークウェルはそう思わない。”相手の命を奪う”ただそれだけを勝利の条件としているリークウェルにとって、無粋か否かなどどうでもよかった。
「貴様、それ以上オレに近付くな。今度こそは逃がさんぞ」
一言だけ牽制を飛ばす。だがムジナは構わずに接近する。
「今の爆弾見ただろ? お前ンとこのダグラスってヤツから借りたんだ。出来ればアイツ本体をこっちに瞬間移動させてやりたいが、あいにくこの能力はオレと無機物しか移動させられないんでね」
「……ダグラスに会ったのか」
ムジナがさらに一歩近づいた時、サーベルが弧を描いた。が、サーベルは空を切っただけに終わった。剣をジャンプでかわしたムジナは、一回転を決めて静かに着地を決める。
「剣が乱れてるぜリークウェル! オレだってちったぁ鍛えてんだ。いくらお前が素早くても呼吸乱した剣じゃあアッサリかわされちまうぜ」
「なに……」
言われて初めて、リークウェルは自分が呼吸を乱していることに気づいた。ごくわずかなリズムの狂いではあったものの、この数分の間に起きた出来事は確実にリークウェルの肉体と精神を疲労させていた。
「安心しろよ。ダグラスは生きてる。で、オレたちウシャス軍とお前ら『フラッド』の利害が一致してることを確認した。お前らはサナギに復讐したい、オレたちはゼブの中にいる化け物を倒したい」
「敵の敵は味方だとでも言うのか?」
「潰し合うだけ損ってだけの話だ」
「フザけるなッ! 誰が貴様らなどと組むか!」
「オレだって組みたかねぇよ! お前に刺された時マジで死ぬかと思ったからな! でもサナギのヤツはもっと嫌いだ。コサメの親を殺したっていう化け物も嫌いだ。誰のことだか知らねーが嫌いだ。だからわざわざ先行して来てやったんだ。共闘といこうぜ」
「断る! オレたちは誰の手も借りない!」
なまじ年齢が近く、どちらもプライドが高いせいか自然に声が高くなる。戦場で敵を目の前にしている状況だが二人とも譲らない。
「とにかく、ダグラスって野郎はもう承諾してんだよ。さっきの爆弾がその証拠だ」
「バカな、あのダグが……」
そう言い合っている隙に、サナギとサナミは再びベールを飛ばさせようと何やら喚き立てていた。爆弾を受けて怯んでいたベールが体勢を立て直し、飛翔すべく翼を持ち上げた。だが、それは一回羽ばたく間もなく止められた。
「何をしておる」
この一言が、一瞬にして場を沈黙させた。荒い声ではなかったが、誰の耳にもしっかりと届き、脳へ重圧を与えた。だが直接的に言葉をかけられたのはサナギではない。リークウェルやムジナでもない。
「何をしておるアフディテ。早く勝負を続けんか」
王の言葉は、状況の変化に目もくれずひたすら顔を伏していたアフディテへ向けられていた。
「無粋な観客がいくら増えようが関係ない。まだぬしの戦いは続いておるのだぞ」
厚い唇が動き、太い声を吐いていく。
「王様、様ァ! 早くベールに乗って……」
サナギが悲鳴に近い金切り声をあげた。
「黙れサナギ。こやつらの勝負に決着がつくまで、余はここを動かん。最後まで見届けると約束したからな。約束を交わした当人に死なれた今となっては破棄も出来ぬからな。行きたければぬしらだけで勝手に行け」
サダムは揺るがない。アドニスに勝負の順番を譲った時とはわけが違う。何故なら今は笑っていないからだ。場違いな言葉の連発にさすがに業を煮やしたか、岩のような顔に岩のような表情を浮かべ、サナギを睨みつけている。
「さぁ、アフディテ。ぬしの力で敵を討ち倒してみよ。それこそがアドニスへの餞となる」
「アドニス……」
ようやく、アフディテが口を開いた。だが顔を覆う手はどかさない。
「アドニスだけではない。今や残る将軍はぬし一人となった。奴らの命に敬意を感ずるのなら、自ずと立ち上がれるでろう」
「……」
誰もが沈黙していた。サダムの重厚な声の前に、誰もが言葉を出せずにいた。
「立て。ぬしがどれだけ拒もうと、一度背負った将軍の名は消えぬ」
「でも……」
この状況下で、アフディテはなおも反論する。
「私はなにも積み上げていない。今まで何もしてこなかった。ずっと誰かに守られて、それで……」
サダムに聞かせるためというより、自分で自分を痛めつけるようにアフディテは語る。
「……いやっ、いや。もう嫌。戦うなんて」
「積み上げてこなかったのなら今から積み始めよ。何もしてこなかったのなら今からやってみよ。生きている人間が自分のことを過去形で語るな。歩むことを放棄する免罪符などない」
アフディテは黙りこんだ。精一杯の抵抗も力尽きた。
なぜ、この少女がゼブ国の将軍という地位に就いているのか。それはただ『紋』の能力が戦闘に向いているというだけではない。どんな『紋』でも使いこなすことが出来なければ宝の持ち腐れだ。
「ぬしは忘れたつもりかもしれぬが、将軍の名を背負うと宣言したのはぬし自身であるぞ。あの頃のぬしの瞳の中には、確かに戦士の炎が宿っておった。未熟ではあったが、”腕の立つ人間”ではなく『戦士』としての素質があった。素質は何が起ころうと潰えぬ」
「……うそ。私は、そんなこと」
「ましてや、ただ一度風に吹かれただけではな。あの風でぬしは全てを失ったつもりだろうが、ぬしが生きておる限りその身に流れる血も消えぬ」
将軍になるためには高い実力と実績が不可欠である。しかし、アフディテは公の戦場には出ず、そもそも軍に入ってすらいない。五将軍と呼ばれているが実質は四人、という噂も立っているほどであった。
アフディテは特例によって将軍となった。それが認められるほどの実力と、意思の強さがあったのだ。
「立て、我が娘アフディテよ。王の血を引く戦士よ!」