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第183話・被・復讐者

 アフディテの視界は真っ暗だった。何も見えない。何も見たくないからだ。何も見ようとしていないのだ。目蓋を固く閉じ、その上両手で顔を覆ってはものが見えるわけがない。そうすることで自分という存在がこの世界から消えてなくなってしまうことを願って。しかし、願いは叶わない。何も消えはしない。ちっぽけな自分も、信じたくない事実も、目を背けて拒絶するだけでは決して消滅しない。


「いやっ、いやぁ……」


 唇から声をこぼしても、耳にこびり付いた音を拭い去ることは出来ない。ただ一人信頼を許すことのできた男、アドニスが地に落ちて砕けた音。人間の精神は通常、自分の気に入る刺激だけを記憶しようとする。だが時には全く逆の効果を発揮することもある。嫌な記憶、嫌な感触だけがいつまでも精神に貼り付いてしまう。


 アフディテはずっと戦場に出ることを拒んできた。戦場どころか、野外を出歩くことすら激しく拒否していた。風に怯え、閉じ篭ろうとするその態度は徐々に周囲の人間を遠ざけていった。アドニスだけがいつまでも変わらずに自分に接してくれていた。厳しくて強引だったけれども、アドニスがいたからここまでやって来れた。


 アドニスはもういない。この事実は消せない。触れる物全てを砕く蝶を持ってしても、アフディテの業を消してはくれない。


「いやだよ、アドニス……。やだ」


 もう誰も自分に声をかけてくれない。そう思った瞬間だった。


「アフディテ!」


 唐突に名を呼ばれた。間違いなく、自分に対して投げかけられた言葉だ。アドニスよりもずっと太く、重く、そして強い声だった。


「何を呆けておるかアフディテよ。アドニスは言うたぞ。”こいつらは我々が倒します”とな。彼奴は果てたが、ぬしが生きておる限り余は手を出さん。己一人の力で任を遂げてみよ」


 励ましでも慰めでもない。突き落とすような、君主から部下への命令だ。


「リークウェルが地に立てば、例の奇怪な力で傷を癒される。その前に仕留めよ。今、あの男はぬしの蝶を足場にしておるのだ。ぬしがその気になれば()ることは容易かろう」


 王に言われても、アフディテは動かない。能力に命令を出すこともままならず、蝶はふらぐらと空を浮くばかりである。リークウェルはその蝶を踏みつけて歩き、今にも地表に降り立とうとしている。リークウェルを討つチャンスは今しかない。しかし、アフディテは動かない。わかっていても動かない。


(やはり……いいぞ。そのまま固まっていろ、アフディテ)


 リークウェルは密かに思った。能力は厄介であっても、アフディテが戦いに向いた人間でないことは誰の目にも明白だ。リークウェルはそこを突いた。今この状況で攻撃されればひとたまりもないが、攻撃は来ないと読んでいた。


 読み通り攻撃は来ない。やがてリークウェルは地面にたどり着いた。ユタの傷には最小限の治療しか施していなかったため、改めて治癒の力を送り込む。見た目の傷はすぐに塞がったがそれだけで生命は動かない。


 次は自身の脚だ。大部分を蝶に削り取られ、紐状になった右脚を修復しなければならない。『紋』に意識を集中させる。唇の横に刻まれたフェニックスの欠片が意思に呼応し、再生の力を生み出す。力は首を通り、肩を過ぎ、胴を下って患部へ至る。大腿の半分から下が途切れた右脚へ。


(くっ……)


 あまりの重傷のために神経を麻痺させていられたが、いざ再生を行うと凄まじい痛みが蘇ってくる。


 しかし、フェニックスの再生の原理が一体どんな理屈なのかいまだにわからない。骨が生え、筋繊維や神経の束が突きだし、肉がついて血が通う。切断された脚を結合するのとはわけが違う。何もない空間に肉体の一部が生まれるのだ。


(オレの持っている欠片だけでも脅威的な力だ。”本体”を持つアイツは確実にこれ以上の力を持っている。……何度考えても厳しい。だが、ともかく一人は倒した。そしてもう一人もじきに倒せる)


 脚に皮が張り、瞬く間に再生が完了した。さすがに衣服までは再生できないため片足だけ裾が長い奇妙な格好になってしまったが、外見を気にかけている場合ではない。両脚が使えるようになったことと、今すぐ行動を起こせばもう一人の敵を片付けられること。この二つが最も重要なのだ。


(アフディテのあの状態なら簡単に倒せる。きっとダグラスも近くまで来ている。もう少し時が経てばユタも戦えるようになる。仲間が揃えばあの男にも勝利の目は見えるはずだ)


 草の生えている場所を選んでユタを寝かせ、空いた手でサーベルを抜いた。破壊の蝶も動きが止まってしまっては宝の持ち腐れである。真っ直ぐアフディテへ走って突きを入れるだけで良さそうだ。


 足裏に力を込め、呼吸を止めてダッシュに備える。意識を獲物へ集中させる。


 しかし、不意に集中が途切れた。背筋を濡れた手で触れられたような悪寒が走った。目で見るよりも先に、耳で聞くよりも先に、森の奥から接近してくる物体の存在を感じた。フェニックスの共鳴とは関係ない。因縁とも言うべき不可視の糸に引きつけられたのだ。


「クケェー、ケケッ!」


 耳障りな奇声が戦場に転がりこんできた。木々をかすめるような低空飛行で、黒翼の悪魔が姿を現した。風を巻いて現れた悪魔を翼をたたみ、サダムの側に着地した。両手を両足を地につける四つん這いの格好で。悪魔の黒い背中の上に、二つの白い影が見える。


「……貴様ッ!」


 気がつけばリークウェルは叫んでいた。虚空に響く怒りの声が自分の口から発せられたことすら後で理解した。


 声をかけられた本人たちは全くリークウェルの方を見ようとしない。悪魔の背に乗ったまま、傍らのサダムへ話しかけている。


「王様、様、酷いですなぁ」


「あたしらを置いて、いて、勝手に先に行っちまうなんて、なんて。か弱い科学者が襲われ、われたらどうするんだい」


 Dr・サナギとサナミ。『フラッド』を実験材料にしていた狂気の科学者が、自ら復讐者の前に現れた。

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