第18話・戦いの目的
分厚いタイヤに深々とナイフが突き刺さり、中にたまっていた空気があふれ出す。ナイフを握っているのはノームだ。
「他にそれらしい車は見当たらねぇな。これで敵の逃走ルートは潰した」
坑道入り口から数十メートル離れた、採掘機置き場。そこに隠してあった乗用自動車のタイヤをパンクさせたのだ。ゼブの軍人が逃走に使う予定だった車である。
「レン小隊長にも連絡したし、後はもう一人が来るのを待つだけだな」
ノームはテンセイとともに軍人たちの注意を引きつけ、その隙にムジナを介して敵の正体を掴んだ。敵がムジナに気付いた瞬間、テンセイは鉱石を守るために坑道内部へ、ノームは敵の逃走を防ぐために採掘機置き場へ駆けつけたのだ。
そしてノームがこの場所へたどり着いた時、後方のガケの上に光が灯るのを目撃した。光はガケから飛び出し、やがて岩の崩れる音と同時に光が地に落ちた。敵の一人がガケから飛び降りた、とノームは判断し、残ったもう一人がここへ来ることを警戒していた。
ランプも持たず、明かりは上空に頼りなく輝く星だけである。自分が隠れ潜むには好都合だが、逆に敵の接近にも気付きにくい。
だが、ノームにはムジナがいた。
(来たッ!)
ガケの上で待機していたムジナが、前方から走り来る軍人を察知した。足音が立ちにくい走り方をしているようだが、ムジナは地面に顔を押しつけて震動を感じていたのだ。
「だが、あの軍人、こっちに来るつもりなのか? あのガケから降りてこようと思ったら、もっと手前にある坂を下るのが一番近いのによ」
軍人は、ガケ下で待機しているノームの頭上を走りぬけ、さらに直進を続ける。こちらの方を伺うような気配すら見せない。ただ真っ直ぐに走っている。
――どこへ行く気だ? ノームは疑問を持ち、ムジナに軍人を追跡させた。自分自身は物陰に隠れて目を閉じる。視神経や感覚をムジナの方に集中させるためだ。
闇の中の追走劇。それは、長くは続かなかった。
一方、採掘場内には光が満ちていた。ただしそれは陽光のような白い光ではなく、地面や壁を這いなめる炎の紅い光だ。
(この野郎……ナイフの刃が自分に向いていないことを見抜き、防御をせずにそのまま殴りやがった。そのせいで延焼に失敗したぜ)
ブルートが次なる攻撃を構える。が、今度はテンセイの方が早かった。上身を丸めての突進。単純だが、テンセイの怪力をもってすれば最も脅威的な攻撃だ。野生の獣と同レベルの脚力に100キロの体重を乗せた突進は、まるで重戦車だ。刀で受ければ刃のほうが砕けてしまいそうである。
だが軍人ブルートはあえてそれを選択した。刃先を真っ直ぐにテンセイへと向け、腰を低く落として衝撃に備える。軍刀の柄を握る両手はヘソの上に固定。突進を受けるひきかえに軍刀を突き刺すつもりだ。
(勝ったッ! どう考えても剣にブッ刺される方がダメージがデカい!)
と、ブルートが確信した瞬間、テンセイの身が急激に沈んだ。足を止めて上体から倒れこんだのだ。そして燃え盛る軍刀の下をくぐり、ブルートの足首を掴みあげる。突進が来るとばかり思い込んでいたブルートは反応が遅れた。
「おおおおオッ!」
足をすくって転ばせるまでなら誰にでも出来る。だが、テンセイはブルートが倒れても足を離さない。そのまま万力のような力を込め続ける。
「ギャァアッヅァ……ァ!」
悲鳴にも似た叫び声が採掘場内で反射し、幾重ものエコーとなって響き渡った。絶叫は燃え立つ炎と相まり、辺りを地獄の風景と化させる。
ブルートの右ひざから下が異様な方向に曲がっている。左肩に続き、今度は足を骨折させられた。足へのダメージは大きい。
「て、てめぇ……」
「勝負あり、だな」
「ザけんなッ! たかが足と肩を折られた程度で軍人が負け……ッ」
しゃがみこんだまま見上げるブルートの腹部に、太い衝撃が入る。テンセイの足が落とされたのだ。後方へ蹴り飛ばすのではなく、踏みつけるように下方へ落とす蹴りだ。衝撃は地に跳ね返って倍増される。
「ツァ……ァ」
胃の中から体液が逆流し、苦味と酸味を伴って口から吐き出された。わずかに血も混じっている。
(ウソだろォ!? オレは……オレは、大国ゼブの小隊を率いる男だぞ! アイツの居場所を掴み、鉱石を持ち帰って名誉挽回するハズだったのに……。今度こそはっきりと出世の道が見えて来たってェのによォォォッ!)
軍刀は数メートル離れたところに飛ばされてしまった。ブルートは右手を振り上げ、テンセイの上着を掴みにかかる。直に炎を与える策に出たのだ。
だが、テンセイは逆にその右腕をひねり上げ、自分が炎に触れないようブルートの背後へ回る。そしてブルートを引きずりながら出口の方へ歩みだす。
「て……めぇ、何を?」
「外の仲間に引き渡す。色々しゃべってもらうぜ」
「てめぇ、今ここでオレを殺すんじゃあねぇのか? あ?」
引きずられるブルートが怒気の混じった声で必死に声を絞り出す。
「オレはお前の村を焼いたんだぞ。お前が軍に入った目的は何だ? オレ達に復讐するためだろう!? 今が復讐のときだろうがッ!」
同じことを、ウシャスの軍医も言っていた。『目的は復讐か?』と。
テンセイはその時と同じ答えを返した。
「うらみや怒りがないと言えばウソだ。だが……オレはコサメを守らなきゃならねぇ。何よりも優先するのはコサメの安全だ。だからもっと強くなるために軍に入った。今は、お前たちの情報を得るためにお前を生かす」
「カッ、キレイ事を……。ただの甘ちゃんじゃあねーかッ!」
ブルートの声に嘲笑が混じる。その時、テンセイの表情が急変した。そして普段の大らかさに似合わない、怒りに満ちた声を吐いた。
「うるせぇ黙れッ! オレは今必死に自分を抑えてんだ! これ以上オレを昂ぶらせるなッ!」
ブルートの背筋が震えた。背後にいるテンセイの顔は見えないが、凄まじい力のこもった視線を感じる。思わず心までもが折られそうになった。
しかし、ここで引き下がる男ではなかった。軍人としての意地とプライドが、再び戦闘の熱を沸きあがらせたのだ。
「敵をつぶすためなら……この程度はやらかすぜオレァよおおオォ!」
瞬間、ブルートの右腕が燃え始めた。『紋』の炎を自らの肉体に燃え移らせたのだ。炎はみるみるうちに腕を這い上がり、テンセイの手にも燃え広がった。
「ヒャハッ、喰らったなァ! そして『自動延焼』に切り替えたッ! 炎はオレの意思とは関係なしに燃え広がっていく! 水で消さねぇ限りなァーッ!」
炎がテンセイの腕を登り始める。