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第177話・蝶吹雪

 サダムは特別に哲学や神学を崇拝するタイプの人間ではない。だが、若き戦士たちの戦いを見物するうちに、どこかで聞いた哲学者の言葉が脳裏に浮かんできた。それは、”この世の全てには理由がある”という言葉であった。朝日の昇る方角も、人が罪を犯すのも、川底の小石一つ一つの存在さえも、全て意味のあることであり運命に定められたものなのだ……ということらしい。


「ならば、あやつにあのような能力が備わっておることには、どのような意味があるのかのう。運命を操る神とやらがおるならば、そいつはさぞかし性格が悪いのであろうな」


 笑うサダムの目には戦う男たちの顔がハッキリと映っていた。夜明けが近いとはいえ相変わらず周囲は暗闇であり、ランプの灯りだけではこうも明確に見えない。ランプとは別の灯りが、格好の照明として機能していた。


「美しいと取るか、おぞましいと取るか。人によって意見の違いそうな景色じゃの。余の感想は……まぁ、なかなか壮観と言ったところかの」


 灯りの数は一つではない。十、二十と数えていくにも気が遠くなりそうな数だ。戦士の周りにまとわりつくように飛ぶ光の粒は、蛍火によく似ている。しかし、さらに目を凝らして見える実態は蛍ではない。


 光の正体は、蝶であった。薄い橙の混じった光を放っているが、蝶自体の羽は白一色である。輝く蝶が夜の戦場に舞い、幻惑的な景色を生み出している。ただしこれらの蝶の存在理由は、照明として舞台を彩るだけではない。


「これは……ッ!」


 攻勢にあったリークウェルが、攻めの手を止めて退いた。一気に勝負を片付けるつもりでいたこの男をさがらせる程の仕事を蝶は行っていたのだ。


 白い蝶の中に紛れて、数頭だけ赤い羽を持った蝶がいる。それらの蝶も元々は他と同じく白かったのだが、血を浴びて赤く染まっているのだ。羽を染めた塗料の主は、言うまでもなくリークウェルである。


(これがッ! この女の『紋』かッ!)


 リークウェルの右腕が、血に濡れて不気味な光を反射していた。不気味なのは色合いだけでなく形状によるところも大きいだろう。何しろところどころの腕の肉が袖ごと削ぎ取られ、虫の喰った木材のようになってしまっているのだから。


「はっ!」


 リークウェルが声をあげ、さらに数歩後方へ退いた。その足元に一頭の蝶が絡みつく。蝶を包む光が靴の爪先に触れるや否や、石像を砕くかのような音が生じ、靴の触れられた部分が消滅していた。本当に消滅としか言いようがない。物質の強度や状態を無視しした純粋なる破壊だ。


(蝶に触れた部分が削れるッ! それがこいつの能力!)


 リークウェルの足は軽傷で済んだらしく、素早いバックステップで距離を取る。さっきまでは距離を詰めることに専念していたが、敵の能力が判別したからには新たに策を練り直す必要がある。


「そうです、アフディテ。あなたの能力は強い。そしてその力は我が国と王を守るためのものです。私とあなたで、必ず勝利しましょう」


 そう語るアドニスの姿が、リークウェルの視界から消えた。次々と湧き出てくる蝶が壁をつくり、その姿を隠したからだ。


 同じように、『紋』の持ち主であるアフディテの姿も蝶の壁に遮られていく。しかし、完全に遮られる前にリークウェルは確認した。


 アフディテの表情はは戦闘前から変わらず人形のように無機質だが、首から胸にかけての格好が少しだけ変化していた。戦闘に入る前は首元までボタンが閉められていたのだが、いつの間にか上の数個が開けられて白い肌を露出させている。鎖骨を下って胸の膨らみが始まるか否かの境目に『紋』が刻まれており、そこから蝶が放出されていた。


(この能力は厄介だな。最優先してつぶすのはあの女だ!)


 リークウェルの決断は早かった。が、行動を起こすのは容易でなかった。数頭の蝶が揺ら揺らと舞いつつ、リークウェルへ接近する。これに触れてはまたダメージを受けてしまう。蝶の移動速度はそれほど速くはなく、人間が歩くのとほぼ同じペースだ。正確に軌道を見切り、サーベルで一頭に一発ずつ突きを入れていく。


 腕に負傷があっても動きは俊敏。一頭、二頭と蝶を突いて押し返したが、三頭目に突きを入れた瞬間、不愉快な金属音が響いた。


 アフディテの能力はリークウェル予想以上であった。衣服や肉体だけでなく、金属の刃でさえもが破壊され消えてしまったのだ。


(サダムに言われたから自慢するわけではないが、このサーベルはそこらの武器よりも頑丈に出来ていたはずだ。たった三突きで砕けるとは……)


 先端が数センチ折れた刀身を睨みつつ、リークウェルは小さく舌をならした。


 直接触れる方法では返り討ちにあう。その結論を下した次の瞬間には打つ手が決まっていた。ただし実際に大きな行動を取ったのはリークウェルではない。触れずに蝶の群れを崩す手段となれば、方法は一つだ。


「いくよリク! ふせてーっ!」


 ユタの声が風に乗って飛んできた。暴風の渦が大地を打ち、砂塵を巻き上げて蝶の群れに突入する。


「どんな能力にも弱点はあるものだ。完全無欠などあり得ない」


 風を受けて光が揺れ、築かれた壁が見る見るうちに崩壊し始めた。予想通りだ。蝶に触れた物体は破壊されるが、風は砕けない。蝶の群れをたやすく蹴散らしていく。


 リークウェルは散乱した蝶に触れぬよう注意深く移動し、敵の姿を探す。アフディテの姿はすぐに見つかった。先ほどと同じ位置で、しかし先ほどよりもやや怯えた顔で立っていた。だがもう一人の姿が見つからない。鋭い鉄輪を繰り出すアドニスが。


 脳に電撃が流れた。直感とも本能とも言うべき感性が肉体を突き動かし、ほぼ無意識のうちに身をよじる。が、少しだけ遅かった。蝶の隙間を縫って飛来した鉄輪が、左腕に深く突き刺さって停止した。


「器用な奴め」


 ダメージは受けたが、おかげでアドニスの居場所がわかった。そこはリークウェルのほぼ頭上、風に舞い狂う蝶を巧みに利用した空中の足場であった。

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