第175話・エスコート
赤髪の男が地面にランプを置き、両手を自由にした。空いた手がいったん懐に潜り、再び出てきた時には鉄の輪を数枚掴んでいた。リークウェルが弾き落としたものと同じ、鋭い刃を持つ飛び道具だ。
「ほ、やる気かアドニスよ」
「当然です」
サダムの言った通り、アドニスはすでに戦闘の準備を終えているようであった。
(飛び道具……だったら)
ユタはキツネから降り立ち、前に進み出ながら言った。
「あっちの敵はあたしに任せて。あんなちっこい武器なら余裕で跳ね返せるから」
ヒアクの銃弾に比べれば遥かに防御しやすいだろう。ユタはそう確信し、自信を持ってリークウェルの隣に並んだ。長身なリークウェルと幼さの残るユタが並ぶと、身長の差が割と大きい。見上げながら小さく「ねっ?」と確認の言葉を投げたが、応えは視線を伴わずに返された。
「気をつけろ、ユタ。アドニスとか言う奴の武器、何か仕掛けがありそうだ」
「え?」
リークウェルの目は、なおも黒い炎に燃えていた。気安くは晴れない屈辱の炎。それでも感情を激しく変化させないのがこの男の持ち味である。激情に流されやすい自分とは違い、常に冷静に場を分析してくれる。ユタにとってこの上なく頼もしい存在なのだが、今瞳に宿っている黒い炎は決して好ましいものではなかった。
早くこの戦いを終わらせて、怖い炎を消してあげたい。そんな思いが胸のどこかに秘められていた。
「どーゆーこと?」
「あの鉄輪、オレから見て右方向から飛んできた。奴はサダムの後ろにいたはずなのに、武器は横から割りこんできた。第一、奴の位置からではサダムが壁になってオレの姿が見えないはずだ」
「んー? つまり?」
「後は自分で考えろ」
「……はーい」
いつもと変わらない口調に少しだけ安心しつつ、ユタは改めて敵を見やった。向こうは向こうで何やら言い合っているらしい。こちらから攻撃を仕掛けてくる可能性など全く気にも留めていないのか、サダムは薄い笑みを浮かべながら、アドニスはあくまでも低姿勢ながら静かな反論を放っている。が、どうやらサダムが折れてやったようだ。
「仕方ないのう。ここはお前にくれてやるわ。久しく戦場に出ておらんかったから楽しみにしとったいうのに……」
「王が真っ先に討って出るなどもっての他です。そう言ったことは我々将軍の役目なのですから」
「ふん。まったく、一理もニ理もありすぎるわ」
軽く鼻をならし、王が踵を返した。そしてそのままリークウェルから遠ざかる方向へ歩いていく。
「あれ、今度はどうなってんの?」
「あいつ一人でオレたちを相手するつもりらしい。よほどオレたちを舐めているのか、最低でも自分たちの大将だけは生き残るようにしたのか」
答えるリークウェルの瞳の炎が、かすかに勢いを増した。どんな理由にしろ、サダムに戦線を離れられることが気に食わないらしい。サダムと戦う前は出来るだけ避けようと考えていたのだが、屈辱を受けた後の私情としては、最後まで戦い討ち倒すことで劣情を晴らしたいようだ。
そんなリークウェルのかすかな私情をユタは極力気付かないようにしていたが、無情にもそれを正確に読み取る者がいた。
「ご安心を。あなた方を下に見るつもりなど毛頭ありませんから。王に下がっていただいたのも、あなた方の実力を重々承知しているからのこと」
アドニスが一歩だけ進み出る。その顔に偽りを語っている色は見られなかった。
「……一人でオレたちを相手にしようとしている。それを舐めているというのだ」
リークウェルも再びサーベルを握り直し、戦闘態勢に入った。しかし、アドニスが動いたのは一歩だけで、リークウェルの間合いには近づいてこない。
「一人で挑むなどと、誰がおっしゃいましたか? こちらも二人です。私と彼女があなた方のお相手をいたします」
「『彼女』?」
あたりを見回すが、現在判別している以外に人の潜んでいる気配は感じられない。それでも強いて人の居そうな場所を考えるならば……。
「さぁ、出てきてください。アフディテ! 今こそ立ち上がる時です!」
言葉と同時に、アドニスが左手の鉄輪を放った。回転する刃は一直線に闇を滑り、傍らに置かれた木箱を直撃した。ただし、箱の板面ではなく、板と板の繋ぎ目を狙っていた。箱の側板が軋む音を立てて傾き、土の上に柔らかく倒れた。
「これで隠れ続けることは出来なくなりましたよ。立って、戦ってください!」
アドニスの声が夜闇をつんざく。
「ふっ、アドニスめ。大人しそうな顔をして強引な奴じゃわ」
サダムは塔から離れた場所の樹木に背を預け、腕を組んで軽く鼻をならした。戦いが決着するまで見物する腹積もりらしい。王の視線は、無残に破壊された木箱に集中している。半ばガラクタと化したそれの中から、ゆっくりと人間の頭部が現れた。やや赤みがかかっているように見えるが、ランプの光がなければ本来は黒髪だ。
「とは言え、あれを動かせるのは世にアドニス一人だけじゃろうがな」
ゼブ国の最精鋭、最後の将軍アフディテが顔を見せた時、サダムの薄く開いていた唇が固く結ばれた。ただし、その小さな表情の変化に気づいた者は誰もいない。『フラッド』の二人も視線はアフディテに向けている。
「ゼブには五人の将軍がいると聞いたが……」
「ええ。わたしと、このアフディテが将軍と呼ばれています。実力の程は……これからご覧に入れましょう」
アフディテが立ち上がった。軽くウェーブのかかった長髪に、戦場にはとても相応しくないレースのついた衣装。そして、人形のように無表情な顔。将軍だと説明されてもすぐには信じられないだろう。
「女性が将軍であることを疑いますか? ならば、そちらのお嬢様も同じでしょう」
もっともな正論を出され、リークウェルは口をつぐんだ。その様を見てサダムが閉じた口を再び開き、歯をのぞかせた。
「これはこれは、奇妙な縁もあったものじゃ。双方男女一対の戦いとはの。余を戦わせぬぶん、せめて余の目を楽しませてみよ、アドニス」
「御意」
アドニスは一礼し、左手に鉄輪を持ち直した。