第170話・最後の爆火
脳の奥から、ピキピキと硬い物体にヒビの入るような音が響いてきた。骨の砕ける音ではなさそうだ。精神的な何かが今にも砕けようとしていた。ヒビの隙間から声が漏れてくる。それはとても聞きなれた身近な声で、こんなことを言っていた。
『オレの爆弾で壊せねぇもんはねぇ!』
ダグラスは驚いた。それは自分自身の声だった。
『オレたちの行く手を阻む壁は、オレがブッ壊す。この役目だけは誰にも譲れねーな』
間違いない。旅の途中、仲間たちに向けて放った言葉だ。この宣言通り、ダグラスは破壊者として『フラッド』の最前線に立ち続けてきた。軍人の群れも、凶暴な野獣も、害悪と見なした存在は全て破壊して進んできた。機械武装のヒアクをも討ち倒した。
なのに。ここにきて、破壊出来ないものが現れた。いや、破壊されても止まらないものが。確実に喰らわせたにも関わらず、それは影を大きくして迫ってくる。影の力に圧迫され、ヒビの入った何かが音を立てて崩れ出した。
「はッ!」
いつの間にかダグラスは目を閉じていたらしい。そうでなければ、真っ暗だった視界がいきなり開けるわけがない。だが目を開いた後も見える景色は普通ではなかった。暗い。そうだ、夜でしかも月が隠れているのだから暗いのは当たり前だ。しかしそれだけではなさそうだ。巨大な影が眼前にそびえ立ち、その奥からボンヤリとした燈の光が漏れている。
「クッ……クソがァッ!」
反射的に拳を固め、影に向って殴りつけた。拳は命中した。だが、それは顔面に当たったのではなく、わざと額で受けられたのだということには気が付かなかった。拳が跳ね返された、と感じた時には、腹部へ重い衝撃を受けて両足が地から離れていた。
「ゲブッ……カッ……!」
思考の流れが泥沼のように遅い。痛みや衝撃は鋭く脳に突き刺さってくるのに対して、思考の対処が間にあっていない。蹴られた。飛ばされた。その事に気づいたのは地面へ背中から倒れた時であった。
視界が揺れて定まらない。かろうじて影の姿を捉え、反撃を試みるが、今度は腕が動かない。銃を握る右手を強く踏みつけられていたのだ。重しが一瞬離れたと思えば、再び凄まじい圧力がかかり、指のひしゃげる感覚とともに弾かれた銃が近くの木に当たる音が届いた。
「な……何なんだ、てめぇは……。化け物か」
「よく言われる。が、オレも結局はただの人間だ」
ようやく視界がハッキリと見えるようになってきた。影――テンセイが、ダグラスを見下ろして立っている。その顔が妙に明るく照らされているなと思えば、灯りを持ったラクラとノームがいつの間にか側まで近づいていた。
銃を弾かれ、蹴りの直撃を喰らい、地面に倒れたまま三人に囲まれる。逆転の目は限りなくゼロに近い。
「畜生。いったい何がどうなってやがんだ、てめぇは。何でブッ壊れねぇんだ」
「壊れてるさ、色んな意味でな。オレは一度、この島でズタズタにブチ壊されたことがある。生物の領域を越えた圧倒的な力のせいでよ。いっぺんあそこまで壊されると……多少のダメージはどうでもよくなる」
「けっ、”多少の”に含まれるのかよ、オレの爆弾は」
「ああ。多の方でな」
「慰めになってんのか?」
「慰めてるつもりはない」
「だろうな」
ダグラスは口の端をからわずかに歯を覗かせ、ふっと息をついた。体中から力が抜き、これ以上戦闘の意思がないことを示した。
「クソッタレ、どこがただの人間だ。こんな化け物相手にどうすりゃ勝てるかってんだ」
自棄になったことをアピールするように目をつむり、言葉を吐き捨てた。だが、本心ではまだ屈伏などしていない。打ち砕かれたかと思われたプライドは、最後の切り札の存在でかろうじて繋ぎとめられていた。逆転の可能性を胸に秘め、呼吸を静かに保つ。
ラクラとノームは、ダグラスの側に近寄ったきり何の行動も起こさない。勝利は確信したが、最後の最後までテンセイに任せるつもりなのだろう。その二人の態度と距離が、ダグラスにとって非常に好都合であった。
「……どうした。トドメを刺せよ。今のうちなら大人しくやられてやるぜ」
そう言いながら、閉じた目を薄く開く。テンセイは変わらぬ様子で立っている。つくづく不思議な男だ。おそらく両腕の手首から先はほとんど消し飛んでいるだろう。それにも関わらず顔には汗を一滴たりとも流していない。
(どうかしてやがる。ラクラの銃で遠くから狙撃するか、バンダナをしたヒョロいガキの能力で奇襲をかけりゃあすぐにオレを殺せたかもしれねぇってのに。わざわざ一番ダメージのデカい方法で攻めてきやがった)
なぜ、そんなことを? ……ダグラスに、敗北を認めさせるためだ。
(関係ねぇ! どんな手を使おうが、生きてりゃ勝ち、死ねば負けだ!)
テンセイの肩がわずかに動いた。
(今だッ!)
切り札は、ダグラスの右手にあった。握っていた銃を弾き飛ばされ、その拍子に指をへし折られた右手。一見して打撃の道具としても使いようがない。それこそが切り札なのだ。役に立たないと誰の目から見ても明らかなことが!
念を込め、右手の手のひらに集中させる。と、皮膚の表面から、黒い塊が生え出した。爆弾だ。ダグラスの爆弾は『紋』の能力によるものだったのだ。『紋』自体は左胸にあるのだが、爆弾を出現させる場所は両の手のひらに固定されている。負傷していても問題はない。
「どうしてもオレを負かせるってんならッ! てめぇらも一緒に消えやがれ!」
銃は手元にない。投げつけるには傷が重い。出現させた爆弾を最も有効に活用する手段は、自分自身でそれを起爆させることだ。銃で発射できるのは一度に一発のみ。しかし爆弾を出現させることはいくつも可能。そして複数を同時に爆発させれば当然火力は高まる。
指の折れた右手に、十近い数の爆弾が現れた。
「ぬうッ!」
渾身の力を振り絞り、ダグラスは右腕を持ち上げた。