表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
166/276

第166話・眼力

 世の中にはとてつもない矛盾が存在するものだ。アドニスはそう思った。周囲を警戒していたアドニスに対して全く接近を感じさせなかった、その人物は、いざその存在に気が付くと簡単に目を離せないほどの存在感を放っている。


「王、お早いお目覚めで……」


「うむ、予定より少々早く起きてしまったようだな。フフ。どうやら余自身の思うた以上に血がたぎっておるようでな、一度覚めるとどうにも目が冴えて眠れなくなる」


 軍事大国ゼブの支配者、サダム・ザック・ジグリット。この男ほど、王という肩書きに見合った性質の人間はいないであろう。現代の技術で加工可能な、最も強度の高い金属で作られた鎧を纏い、兜とも冠ともとれる装飾具を頭に乗せたその姿は、一国の主であると同時に一人の武人としても秀でた人間だということを思わせる。だが、そんな鎧装飾さえもかすんで見えるほどに、肉体は極限にまで研ぎ澄まされ生命力に溢れている。


(完成された肉体、という言葉はこの方のためにあると言っても過言ではないでしょう。……この片の前に立つと、私の体がひどくみすぼらしい物に思えてしまう)


 アドニスは軍人としてはかなり細身な方だが、肉体は十分に洗練されている。それでもサダムの圧倒的な体躯と比べては、太陽と蛍火のような格差がある。


「ぬしらも中に入って休んでおれ。今度は余が此処を見張っておこう」


「まさか、そんなわけにはいきません。王をこのような場に立たせて我々が眠るなどと……」


「フッ。ぬしはいつもそうだな、アドニス。謙虚に振る舞うは間違った態度ではないが、余はあまり好かん。何よりここは戦場じゃ。交代で見張りを務めることは義務。少しでも戦える力のある者なら必ず協力せねばならぬと余は思うておる」


「はぁ……」


「フ、ハハッ! とは言え、真面目に生まれた性分はすぐには直せんか。それならそれで構わぬ。言い方を改めればいいだけじゃからな」


 サダムは上機嫌そうに目を細め、口の端を吊り上げた。


「これは命令じゃ。若き将軍とは言え、今後の戦闘を考えれば、可能な限り体力を温存しておいた方が良かろう。奥で休んでおれ」


 笑いながらも、サダムの目はしっかりとアドニスの瞳を貫いている。こうされてしまうと、アドニスに抵抗の術はない。四肢に糸をつけられた人形か、父親に叱られた子どものように、強い視線から目を逸らすことすら出来ずに「はい」とつぶやくだけだ。


「夜明けまでの時間はわかるか?」


「おそらくあと三、四時間ほどかと。天候がゼブと大きく異なるため、あくまでも推測ですが」


「ふむ。では、取りあえずその推測した時間ほど寝ておれ。朝になり次第ここを発つとしよう。暗闇の中で慣れぬ土地を歩むは愚行。……夜になって更に暗くなったということは、朝になれば少しは明るくなるということであろうよ」


「承知いたしました」


「ああ、それとグックの奴はまだ寝かせておいてやれ。まったく、あれは内政面を指揮するのが役目だというのに、余の身に何かあってはならぬと言って無理やりついてきおった。それで自分の方が疲労で倒れるとは、滑稽な話よの」


 グックとは、ゼブ国の宰相を務める初老の男の名である。ゼブは積極的に侵略を行う国とは言えど、当然ながら領地の内政は必要だ。それらを執り行う部署や大臣が複数おり、それらを束ねる長が宰相と呼ばれている。グックはその方面の手腕にたけ、陰ながらゼブを支える男であると同時に、サダムが幼少の頃には専属の教師をも務めていた。


「余が起きた時分には、まだ前後不覚に寝入っておったわ。多少のことでは起きぬじゃろう。……ただし、朝になったら力づくでも叩き起こせ」


 そう言ってサダムが軽く両目をつむって笑ったため、アドニスはようやく自由に動けるようになった。再び眼光に射抜かれてはたまらないとサダムに背を向け、アフディテの閉じこもる木箱に近寄った。


「さぁ、アフディテ。行きましょう」


 木箱には車輪がついていた。アドニスは折りたたまれていた車輪脚を伸ばし、木箱を押しながら洞穴の奥へ歩んで行く。まるで墓守が死体の入った棺桶を運んでいるかのような光景だが、当人たちにとってはもはや慣れた作業であった。


 この間、サダムはアドニスとだけ会話をし、アフディテに対しては目もくれなかった。アフディテの方からサダムに声をかけることもなかった。無論、互いに互いの存在に気づいてないわけではない。居ると知っていて声をかけなかったのだ。だが、このことすらももはや茶飯事となっていた。アドニスは思うところがあるにはあるのだが、この点に関してはもはや諦めに近い境地になっていた。


 何より、アドニスの関心はサダム個人に強く惹きつけられていた。


(王の強大な覇気は、以前から常々感じていた。しかし、ここしばらく……そう、本格的にウシャスへの干渉を始めたあたりから、ますますその力強さが増したように見える。あの方は、私を含むすべての人間を超越した存在ではないのだろうか。人間という枠を越えた、巨大な力を秘めているような気がしてならない)


 強まる王の力に畏怖の念を覚えつつ、同時に、その王に仕えられることに至上の幸福を感じる。王がいる限りゼブは絶対に倒れない、と心の底から信頼していた。


「……私は、このような辺境の地へ派遣された理由をまだ聞いていません。しかし、王がそうしろとおっしゃるのであれば従います。王自らが同行されるとなると尚更です。この島で王やサナギたちが何を行うつもりなのかは知りませんが、必ずやそれを成功させましょう」


 木箱を押して歩みながらアドニスはささやく。独り言ではなく、箱の中のアフディテに向けて話している。


「アフディテ。今は眠っていても構いません。ですが、ナキルとヒアクが戻らないようであれば、あなたの力も必要になります。どうか、その時は……」


「命令には、従わなきゃダメなんでしょう……?」


 蚊の泣くより弱い声が、アドニスの言葉を遮った。その場しのぎの言葉であることは明らかだが、アドニスは静かに頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ