第164話・勝利のハードル
ウシャスの船はサイシャのほぼ真北から迫ってきたのだが、上昇中に風に流されたため北東側に上陸した。出来ることならば、当面の目的地である至天の塔まで船を浮かせて行きたいところだったが、それではゼブや『フラッド』に見つかって迎撃される可能性が高い。必ずこの船でウシャスに帰ると誓ったのだ。誰一人欠けることなく。
船は崖から数十メートル離れた森の中に着地し、周囲の木々に支えられた格好で停止した。船からウシャスの戦士たちが降りてくる。
「ここがオッサンの生まれ故郷? 妙にジメッてることを除けば、結構いい所っぽいな」
ノームが軽口を叩きつつ船から飛び下りた。
「今は夜だから暗いのもあんま気にならねぇけどな。ここは朝も昼も薄暗い。この島に居た頃はそれが普通だったんだが、外の明るさを知った後だと、やっぱし異常に感じられるな」
テンセイはいつものようにコサメを背負って降りてきた。そのコサメは、布包みの中で身を丸めて眠っている。
「ここまでの航海中もずっと嵐でしたから。……必ずこの任務を成し遂げて、またみんなで太陽の下に帰りましょう」
最後に、ラクラが火の灯ったランプを手に持ち、ひらりと地に足をつけた。暗闇で灯りを点けることは敵に自分たちの居場所を教えることになるが、あたりは墨を流したように真っ暗で灯りがなければ歩くこともままならない。
「それでは、船の管理は我々に任せてください。命にかえても守り抜いて見せます」
船上からスィハが声をかけてきた。ここから先、徒歩で塔を目指すのはテンセイ、ノーム、ラクラとコサメの四人だけである。スィハとクドゥルは船で待機することになっていた。
「船内で捕らえた、ルバとかいうゼブ軍人(ナキルの部下)から聞きだした話によりますと、ゼブ国からは国王・サダム自らがこの島に来ているようです。その補佐役として宰相のグックと四人の将軍、それに数名の兵が同行しています。それに……」
「Dr・サナギとサナミ。そしてそれらの人員をこの島へ運んだ黒翼の能力者。つまりゼブの持つ最大の主力たちがこの島へ集まっているというわけですね」
ラクラは、ベ−ルを表現する言葉を極力選んだ。チラリとテンセイの方に視線をやりもしたが、テンセイはあえて無表情をつくっていた。何気ないが、ごくわずかに動いて背を向け、顔を見えにくいようにしている。らしくない、と、ラクラは感じた。テンセイの心に影を刻みつけた強敵が、この先に待っている。そう思うと身が震えるが、へそに力を込めてこらえた。
「将軍のうちナキルは倒しましたから、残りは三人。とはいえ、その将軍たちがどのような技を持つのか、あるいは『紋付き』であるか否かはルバも知らないようです。しかも、ゼブ五将軍と言っても、公にその存在が知られているのは四人だけで、あとの一人は名前や年齢すら公表されていないとのことでした」
「逆にこっちの戦力情報は相手に筒抜けなんだよなぁ。今更なんだけど、オレたち数的にも分が悪いんだよな。ま、オッサンがいれば負ける気はしねぇけど」
そう語るノームの顔は笑っていた。テンセイも、少しだけ笑った……ようにラクラは見えた。ノームにとっては特別な意味を込めたわけではない、ごくさりげなく出た軽口なのだが、テンセイの気持ちをほんのちょっぴり軽くさせた。ラクラはそれが少しだけうらやましかった。
「……さぁ、行きましょう。この島にフェニックスの力が残っているのなら、ゼブはそれを手に入れるべくすでに行動しているはずです。それに、今確実に来ているのかはわかりませんが『フラッド』の五人もがこの島にいるかもしれません。急ぎましょう」
「了解!」
一同が目指すのは、かつてフェニックスが住んでいた至天の塔だ。その場所にフェニックスの力が残っているという根拠は何もないが、候補として最もあり得そうだと考えられる。コサメが目を覚ませばフェニックスの力を感知して正確な目的地がわかるかもしれないが、ともかく塔を目指すことにした。
「なぁオッサン。オレたちがフェニックスの力を探してるのってよォー、ゼブの中にいる”魂を集める能力者”を倒すためだろ? もしフェニックスより先にそいつと会っちまったらどうすんだ?」
「……さぁな」
「って、おい?」
「あいつも間違いなくこの島に来ているんだろうが、それがゼブの中の誰のことなのかがわからねぇ。だからそいつだけを選んで避けるってのはムリだし、ゼブ側の誰にも見つからねぇように行動するしかないな」
「ゼブもこの島のフェニックスを狙ってんだよな。……となると……。おい、何かメチャクチャ難易度高くねーか?」
「ゼブが全然見当違いの方向を探してくれてるのを願うぜ。ともかく、ウシャスに籠ってたら完全に勝機がなくなる。もし主力の抜けたゼブ国土を攻めたところで、新しくフェニックスの力を手に入れた奴が帰ってきたらすぐに逆転されちまう」
「どんなにハードルが高くとも、それが最善の手であれば迷わず進む。それが軍というものです」
より完全に近いフェニックスの力があれば、兵士の数や兵器の有無などの不利を容易く押し返してしまう。そう、テンセイの肉体を一瞬にして討ち壊した、断罪の聖光。全ての生命を拒絶して焼き尽くす神の光。あの力を向けられては完全にお手上げだ。
現時点で、ベールの兄がフェニックスの力を具体的にどの程度まで操れるのかはわからない。だが、この島に眠るフェニックスの力を手に入れられてしまったら間違いなく現在よりも厄介な存在となる。それだけは避けなくてはならない。
「ん?」
唐突にテンセイが小さな声をあげた。足を止めずにラクラが問う。
「どうしました?」
「……隊長。どうやら『フラッド』はすでに来ているみたいだぜ。わずかだが……どこかからか火薬の臭いがする。爆弾や銃で何者か同士が戦った空気がするぜ」
『フラッド』の参戦。テンセイは思い出した。
――巨大な災害は、時に生物間の強弱を逆転させる。