第162話・一匹狼
ヒアクとの戦いをダグラスに任せたリークウェル達は、森の中を突き進んでいた。リークウェルが先頭を走り、その後ろをキツネが低空飛行で追跡する。キツネにはユタ、エルナ、ジェラートが乗っている。
「ねぇ、リク! こっちで道あってんのー!? ちゃんと方向わかってる!?」
キツネを操作しながらユタが叫んだ。リークウェルは振り向かず、走りながら言葉だけを投げかけた。
「ああ、わかる。フェニックスの『探知圏内』に入った。この方向に、フェニックスの力を感じる」
「へ?」
「今までも漠然と存在を感じてはいたが、トラップの仕掛けてあった辺りに踏み込んでから、ハッキリと方向がわかるようになった。間違いない。だんだん近づいていくのを感じる」
「それって……」
「……あの男の持つフェニックスの力なのか、それとも元からこの島にいた誰かの力なのかまでは判別できない。だが、どっちみちその両方を倒して手に入れなければならないんだ。そこへ向かっている」
フェニックスの力は共鳴し合う。この事実をリークウェルが知ったのも、やはり東支部でコサメと会った時であった。幼子が母親のいる場所を本能的に感じるのと同じように、コサメの持つ力を五感以外の何かで感じ、この法則に気づいた。
もっとも、リークウェルは本当はずっと前からフェニックスの共鳴を感じていた。それはとても微弱なものであり、リークウェル自身もそれが何なのかまったく理解できていなかったのだが、フェニックスの力が共鳴し合うことを知って謎が解けた。今まで南の方角に感じていた「何か」は、フェニックスの力だったのだと。
「……だが、おかしいな。フェニックスの気配は一つしか感じない。少なくともこの近くに二つの力があることはわかっている。今感じているものが以前から感じていた方の力だとしたら……あの男はまだ近くにいないのか? いれば感じるはずだが」
「もー、ゴチャゴチャ言わないでよ。リクに分かんないことがあたしに分かるわけないし」
「それもそうだな」
「納得するな!」
自分で言って勝手に怒るユタを無視し、リークウェルは森の中を駆けていった。
壁が消えて、室内に草原が広がった。季節は春のようだ。柔らかい日差しを受けて、土から顔を出したばかりの新芽がキラキラと輝いている。昨晩に雨でも降ったのか、周囲は適度な気温と潤いに包まれていた。
一頭のシカが、草に顔を押し当てて新芽を食べている。群れからはぐれたのか、他に仲間はなく単独での食事だった。野生の世界ではそれがどんなに危険な行為なのか、十分に理解できていないほどシカは若かった。シカは食事に夢中になるあまり、天敵の接近には全く気付かなかった。
『グァオッ!』
咆哮が轟くや否や、シカは強力な牙の一撃を受けて絶命した。シカを仕留めた獣が、己の戦利品にかぶりつく。この獣もまた、かなり若く幼かった。自力で獲物を仕留めたのは初めてだったのだろうか、興奮して食事に没頭する。もっとも、この獣はシカと違って食事中の身の安全を確保する必要はない。この獣こそ草原一帯の弱肉強食の頂点、ストラ・ドッグなのだ。
「ストラ・ドッグ。ウシャス南部の草原に生息する、犬とオオカミの中間のような生物。肉食でありながら草食動物並の優れた嗅覚と聴覚を持ち、それを逃げるためではなく狩りのために使う。知能も非常に高く、遠距離から獲物を群れを感知し、獲物を逃がさないよう集団で陣形を取りながら追い詰めていく……」
私は、獲物を貪る勝利者に近付いた。彼には私の姿は見えない。
「君はどうやら、仲間と群れるよりも単独で行動するのがお好きだったようですな。今のような狩り方……相手がもう少し用心深ければ失敗していましたよ」
声も聞こえていないし、返事もないが、黙って見ているよりは面白い。
「他者と協調することが苦手だった君が、初めて心の底から信頼することの出来た仲間。それが……『フラッド』というわけですか」
一瞬あたりの景色が白く染まり、じきに新たな背景を描き始めた。今度は嵐の夜だ。先度の獣がまたもや一匹だけで草原を走っている。何があったのか足をケガしており、血を流しながら走っていた。そしてふいに立ち止まり、前方を強く睨みつけ始めた。私には何も見えないが、彼には感じられるらしい。やがて、前方から黒い影が現れ、近付いてきた。
「孤独な獣と、社会から隔絶された人間たち。さぞや意気が統合したのでしょうな」
ここから、場面は次々と移り変わっていった。現れた五人は、サナギへ対抗する力を得るための修行が目的であった。獣は五人に傷の手当を受け、恩返しのつもりで少しだけ彼らの修行をサポートした。やがてフーリという名をつけられ、五人が新たな旅に出かける際に自ら同行を願うほど親しくなった。
「なるほど。これが君と彼らの出会いですか」
せわしなく背景が切り替わり、雑多な音声が響く。記憶のフィルムが倍の速度で再生されているようだ。その景色の中に最も多く映し出されたのが、エルナの姿だ。フーリにとってエルナは、まさに生涯を通じてのパートナーだった。
「彼らに……特に、エルナに会いたい。それがあなたの望みならば、それは叶います。ここは全ての望みが叶う場所。……では、ごゆっくり」
私はそう言って部屋を後にした。部屋の中では、フーリの魂が『フラッド』の幻影を作り出すことだろう。それはもうわかりきっている。
このホテルで宿泊の契約をした魂は、自分だけの部屋を与えられ、そこで夢を見る。だが、自分が本当に望むものというのは意外に見つからないものだ。そこで、多くの魂は、まず自分のこれまでの人生を壁に映し出す。走馬灯、とは異なるがそれに近い。自分の人生を振り返り、望むものを見つけ出す。私はそれを覗き見していたというわけだ。
他人の人生を覗き見るのは趣味の悪いことだが、それが可能なのはほとんど一度きり。一度人生を振り返った魂は、その後は自分の望むものしか映し出さなくなるからだ。
「私はまだ『フラッド』の戦いを直に見たことがない。君の記憶は、大変役に立ちましたよ」
閉じた扉に言い、私は廊下を歩き出した。