第16話・再燃
「完全に寝入ったようにも見えるが……演技の可能性もあるな」
「それじゃあ困る。完全に眠ってもらわないと」
帽子を深く被った男が、持ってきた袋から何かを取り出す。それは、銃よりも静かに、弓よりも小さな動作で標的を仕留められる武器――ボウガンだった。
「目的さえ果たせば、あとはトンズラこくだけだ。明日の朝になって死体発見の騒ぎが起ころうと知ったこっちゃねぇ」
「逃走経路は?」
「採掘機械置き場に車を一台隠してるから、それに乗って海岸まで行く。そこで待ち受けている船に乗って……って、さっきも確認したばっかしじゃねーか」
鋭く尖った矢尻を、液体の入った小瓶に浸す。そして、矢から滴る液体に触れないよう、用心しながらボウガンに矢をセットした。
「距離は十分。急所を狙う必要はない。体のどこかに刺されば一分以内にコロリだ」
「なるほど。その矢に塗り付けたのは、毒みてーなもんか」
「なるほどって……。いつも使ってるだろーがよ」
帽子の男が、もう一人のほうを振り向く。が、その男は双眼鏡を覗き込んだままだ。
「おい、聞いてんのか?」
「あ? お前、さっきから一人で何しゃべってんだ?」
話がかみ合わない。帽子の男が異変を感じ始めたとき、すぐ耳元で声がした。
「アンタら二人だけか? 他にはいねぇみたいだが」
「だッ……誰だっ!」
慌ててボウガンを構えて振り返る。だが、人影は見当たらない。
「どっかに隠れてやがるのか……?」
「お、おい! お前の背中だ!」
もう一人の男も双眼鏡から目を離し、帽子の男を指差す。その表情がやや引きつっているの見て、さらに恐怖が増大された。
「あっさりと囮にかかってくれたな」
「うおああああァァっ! い、イタチか!? コイツァ!」
「ムジナだよ」
ムジナが帽子の男の肩から飛び降りる。そして二人の軍人が慌てふためいている隙に背中から腕を出現させ、ボウガンを奪い取った。
「こ、これは『紋』の能力か!?」
「ブッ殺せ!」
二人が軍用ナイフを抜き、ムジナに斬りかかる。だが、同時にもう一本の腕がムジナの背から生え出し、その手に握ったナイフで攻撃を防いだ。
「あばよっ」
「あっ! 待て!」
ボウガンを掴んだまま、ムジナがガケの縁から身を落とした。ガケの高さは20メートル。人間が飛び降りて無事にすむ高さではない。ムジナはわずかな起伏や割れ目を利用して素早くガケを下り、たちまち闇の中へ消えていった。
「誰の能力だ!? あの見張り番どもか!」
残った軍人が再び双眼鏡を手に取る。そして、悲鳴に似た叫び声をあげた。
「いない! あのデカイ奴もバンダナの奴も、いつの間にかいなくなってやがるッ!」
「クソッ完全にオレ達の存在がバレちまった!」
二人の目的は、この採掘場から鉱石を盗み出すことだった。他国領土に侵入するリスクを負う割りにはパッとせず、地味な仕事である。
「おい、どーする?」
「どーするもこーするもねぇよ!」
帽子の男が声を荒げ、手袋を脱ぎ捨てる。
「ちくしょぉ……ウシャスの領土に入ってからロクなことがねぇ! 村を襲ったときも、老いぼれに手こずった上に肝心のターゲットに逃げられ、その責任で左遷された。せっかく危険な思いをしてまで出世してたのにッ!」
「お、おい。デカい声出すな」
帽子の男が右手を顔の前にかざす。すると、右手の甲から小さな炎が噴き出した。その炎の光に、男の薄汚れた金髪と怒りに満ちた表情が照らされる。炎を発しているのは右手甲の『紋』。
――覚えておられるだろうか。この男は、テンセイの村を襲ったゼブ軍の指揮官である。村長のラシアに『紋』を傷つけられて気絶した、あの男である。
「本来なら、今頃オレは本国に帰って賞賛と褒美をいただいていたハズだぜぇ……。それなのに、帰国を許されず連続で任務を渡された。こんな下っ端のやるべきコソ泥仕事をよ!」
「落ち着けよブルート。あのメンバーの中で『紋付き』はお前だけなんだ。少しでも成功確率を上げるためには『紋』の力が必要なんだぜ。それに、これはお前にとって名誉挽回のチャンスでもあるじゃねーか」
「うるせーぞ。てめぇが同期でなけりゃ殴りつけてるところだ。……もう逃走用の車も押さえられてるだろうな。と、なるとやることは一つだろ」
帽子の軍人・ブルートは手早く荷物をまとめ、もう一人の軍人に渡す。
「これからスグに採掘場へ押し入る。邪魔するヤツは問答無用で排除する。それしかない」
「おい、これ以上目立ってもいいのかよ!」
「どっちみちもうバレちまっただろーが。何もせずに逃げるぐらいなら一か八か特攻した方がいいッ!」
ブルートは追い詰められている。鉱石を得られなければ、またも任務を果たせなかったことになる。任務失敗のもたらす苦渋は十分に味わった。
「中にはオレ一人で行く! お前は『アレ』を使えッ!」
「はァ!? ンなことしたらマジで……」
「他に何がある!? 何もねぇーッ!」
それ以上の反論は待たず、軍服の上着を脱いで右手に握った。
「終わったら、なんとかして車を手に入れて脱出しよう。いいな」
そう告げるや否や、ブルートはガケの縁から踏み出した。右手の『紋』から発する炎が上昇気流を起こし、上着を気球かパラシュートのように使って降下していく。
「ったく、多少落下スピードを緩めたところで、この高さじゃ無事に着地できねーぞ!? ヤケになってやがるな」
残された軍人は闇の中へ文句を投げかけるが、当然返事はない。
「しょうがねぇな……」
相方の暴走に頭を抱えながらも、結局は決断するしかない。その暴走した考えに従うしかないということを。