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第148話・男は晴れの道を行く

「雨が降るならさっさと触れ。風が吹くならどんどん吹いてオレを海に叩き落とせ。殺したければ……殺せ」


 口には出さなくても、そんな思いが胸にあった。いつものように豪雨が降り、暴風が吹き荒れるならば、テンセイと赤子は今度こそ助からない。虚ろな心の片隅に、それでもいいと考えている部分があった。何もかも失って、自分自身をもなくしたい思いがあった。


 だが無情に天は晴れ――。


 テンセイと赤子が旅に出て、十日が経った日の昼。二人はウシャス領の海域を移動する商船に救助された。


「故郷の村に災害があって、オレとこの子だけが助かった。……この子の両親はもういない」


 テンセイはそれだけしか説明しなかった。フェニックスの話をしても信じられないだろうと判断したからだが、あまりに端折った説明のせいか、商船の船員たちはテンセイのことを誘拐犯か何かの疑いがあるとして見ていた。


 とりあえず軍の巡洋艦に引き渡そうかと船員たちが相談していると、一人の老人が発言した。


「まぁ、お待ちなさい。見たところとても衰弱しているようじゃし、子どもの方は生まれたてではござらんか。軍に渡す手続きだのしている余裕はなさそうじゃし、引き渡しの際に下手に暴れられても困る。ここはいったんワシの村で預からせてもらえんかね」


 その老人こそが、後にテンセイの第二の故郷となる村の長、ラシアである。ラシアは普段は山奥の村で生活しているが、この時はたまたま個人的な要件で船に乗っていたのだ。


 船員たちはなおも話し合ったが、結局はラシアの案に従うことにした。こうしてテンセイと赤子はラシアの村に連れていかれた。村にはちょうど子どもを産んだばかりの夫婦がおり、赤子はひとまずその夫婦の家に預けることにした。十日間ほとんど何も口にせずに生きていた不思議な赤子だが、その家に預けられた途端、普通の子どものように母乳を欲するようになった。


「詳しいことは、言いたくなければ言わんでええ。ただ、あの赤ん坊の将来を考えるなら……この村で平穏に暮らすという選択肢はあるぞ。ここにはよそ者をはねつけるような不届き者はおらんからな」


 テンセイは何も言わず、村に来て最初の夜はラシアの家に泊まった。


 翌日の朝が来る前に、テンセイはラシアの家を出た。村の集落から離れて山の中に身を潜めた。一人になりたかった。


「……ふぅっ」


 草の上に寝転がり、少しずつ明るくなる空を見上げ、テンセイは大きく息をついた。


 ――体を休めても思考が休まらない。目を閉じれば、まぶたの裏に移るのは惨劇の記憶。十日の船出の間も、それは消えることなくテンセイの精神にこびりついていた。次々に思い出される光景に、のどの奥が焼けるように熱くなる。フェニックスの聖光に与えられた痛みと忌まわしい快楽が、体の中心から脳へと這い上っていく。


「ちっくしょおぉ……。負けた」


 自然に言葉が漏れる。とことん負け犬になりたかった。至天の塔を最上階まで上りつめながら、最後の最後に何もできなかったことを、テンセイは何度も思い出しては悔いた。それはあまりに自虐的な反芻(はんすう)であった。


 バカ野郎、バカ野郎。何度も自分で自分を責める。固く目を閉じ、上下の歯を食いしばり、狂ったように身をよじらせて煩悶する。もしもその格好を見る者がいたならば、その眼には狂人として認識されることだろう。


 しかし、これはテンセイなりの懺悔であった。教会の神父に己の犯した過ちを告白し、罪を許してもらおうとする行為と同じだ。サイシャの島では長老が神父の役目をしていた。だがテンセイの悔いは、他ならぬ神自身によって与えられたものである。誰にも話すことなど出来ないし、決して許されない罪でもある。


「負けだ、負け! 何かも全部、オレの負けだ。わけのわからねぇ連中に振り回されて、何もできずに全部失っちまった。オレが……もっとしっかりしてりゃあよォ……せめて、せめて一人ぐらいは救えたかもしれねぇのに」


 ベール。ヒサメ。村の仲間たち。たった一日で全てを失い、自分だけが生きている。誰が許してもテンセイ本人が許さない。自分が罪人であることを、何度も何度も魂に刻みつける。脳への負担が許容範囲を越えて溶け出してしまうぐらい、罪の業火で自らを焼く。神父に告白ができない代わりに、山の木々に罪を打ち明ける。泣かないと誓った以上涙は流さないが、悲しみ、怒り、憂い、あらゆる負の感情をあたりにぶちまける。山は、静かにそれらを汲み上げていく。





 目を開けると、空が白んでいた。夜明けがきたらしい。


「……ははっ」


 テンセイの口から、力ない笑みがこぼれた。何十年かぶりに笑ったような気がした。


「朝だ」


 向い側の山の奥に、白い光が見えた。朝日が登っていた。


「もう、グチは言わねぇぞ。夜の間に全部言っちまった」


 テンセイは朝日に向い直してあぐらをかき、語りかけるように言葉を紡ぐ。


「オレはもう、絶対にグチを言わねぇ。弱気にもならねぇ。後悔もしねぇ。そんなことを二度としないですむように、これからの人生分全部、先にやっちまったからな」


 罪が消えたわけではない。しかし、テンセイはそれを受け入れた上で、新たな道を選んだ。


「死にたいとか、死んでもいいとかいう考えも捨てた。オレに残されたたった一つの命……コサメを守るために、オレは生きる」


 朝日がテンセイの顔を照らす。決意に満ちた男の顔を。


 それからテンセイは山を下り、赤子を引き取った。ラシアはともに村の集落で過ごすことを薦めたが、テンセイは集落から少し離れた位置に家をたて、そこに住むことに決めた。そして赤子の名前を「コサメ」と正式に命名した。


「コサメには、ここが故郷だと教えよう。こいつを辛い過去に巻き込む必要はない」


 テンセイが最後に立てた誓い。それは、コサメを二度と悲劇に巻き込まないことだった。それが破られるまでの六年間、テンセイとコサメは平穏に村で生活した。

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