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第145話・聖域と宮殿

 赤の空間に近付き、テンセイは上空のそれを発見した。


「あれが……。あれが、まさか!」


 近寄りがたい雰囲気の人間のことを、”触れれば斬られるような”と表現することがある。テンセイはこの時、触れれば燃やされるような、と感じた。それは、燈と黄の混じったきらびやかな光を全身から放っていた。


 金色の体毛だとは聞いて知っていたが、金は金でも、成り上がりの富豪どもが好む装飾品の金などとは格が違う。(うら)らかな春の日差しを思わせる輝きの金だ。尾羽もまた美しい。形状や色合いの美しさもあるが、その内面から滲み出てくる荘厳な存在感が、見る者を圧倒する。だが何よりも美しいのは、悠然と広げられた両翼だろう。翼が炎を発しているのか、それとも翼そのものが炎で出来ているのか判別できないが、紅く燃え立つ翼は美しさとともに力強さをも兼ね備えていた。原始の時代を思い起こさせる、荒々しくも神聖なる炎の翼。


 胴からほっそりとした首が伸びて、頭部がある。まず目につくのは、象徴ともいえるクチバシだ。短く先端の尖ったクチバシは、肉食ではなく草食の鳥に見られる形状である。もっとも、フェニックスが何かを食するという話は聞いたことがないが。クチバシの上に、二つの黒い窪みがある。フェニックスの全身はほぼ暖色に統一されているが、この部分だけは夜空を切り取ってつけたかのように黒い。無機質な二つの夜闇が、炎の中にいる影をじっと見つめていた。


「やっと、やっと会えたな。フェニックスよ!」


 炎の中から声が聞こえた。ベールの声ではないが、少し似ている。その人物がベールの兄であることはすぐにわかった。だが、炎に遮られて顔は見えない。炎の中に飛び込めばその顔を見ることが出来ただろうが、テンセイはその場から動けなかった。


 ――これから先、テンセイに出来ることは何もなかった。ここまで来ていながら、最後にはただの傍観者になるしかなかった。


「フェニックスッ! 我が刃を受けて見よ!」


 声とともに、何かがフェニックスに向けて放たれた。回転しながら飛ぶそれは、短刀のようであった。テンセイの目にかろうじて見えるほどの速さで、凶刃がフェニックスの喉笛を狙った。


 あっけないぐらい、短刀は役目を果たした。フェニックスを短刀を避けようともせず、短刀を投げた人物の言葉通りに、それを受けたのだ。刃がフェニックスの柔らかい喉に潜り込んでいく。


「フハハハハッ! この程度の負傷なら、お前はあっという間に治癒できるであろう! 己を燃やして再生すれば全く問題がないのだろう!」


 テンセイもそう思った。フェニックスは不死鳥。のどを貫かれれば致命傷であることに間違いないが、フェニックスは無限の再生能力を持つ。いったい今の攻撃に何の意味があるのだろうか。


 キョオォ……と、フェニックスの鳴き声らしき音があたりに響いた。次の瞬間、フェニックスの肉体が炎上し始めた。翼の炎が他の部位に伝染するかのごとく、見る見るうちに金色の体が紅い炎に包まれていく。


 話には聞いていたが、初めて目の当たりにする。フェニックスの再生の瞬間だ。


「始めたな! お前の肉体はいくらでも蘇る! だからお前はわざと私の短刀を避けなかった! それが……お前の敗因なのだ!」


 影の人物が意味不明な言葉を話している。後になって思い返してみても、テンセイはこの言葉の意味を半分しか理解できなかった。


「肉体が滅びてから再び蘇るまでにはわずかな間がある! その間、お前の魂は無防備だ!」


 テンセイの耳に、場違いな音が届いてきた。それは、何か高貴な印象のする音楽だった。島を出たことのないテンセイにとっては全く得体の知れない音楽だが、もしその音楽を大陸に住まう人間が聞いたら、これはクラシックというジャンルの音楽だと感じるだろう。それも、貴族の屋敷や高級な施設でなければ聞けないような、非常に上質の音楽である。


「ようこそフェニックス! 我が魂の監獄(ホテル)へ!」


 空気がざわめいた。フェニックスの様子がおかしい。肉体が炎に包まれたまま、何やらもがき苦しんでいるように見える。音楽が先ほどよりハッキリと聞こえるようになった。途切れ途切れだが、歌詞の内容も聞こえてきた。複数の人間が声をそろえて歌っている。


 ”感謝します、素敵な世界へ。夢が叶う理想の世界へ。老いた体はもういらない。苦しい過去ももういらない。私たちの未来にあるのは、尽きることのない幸福と栄光。私たちの現在を彩るのは、満ち溢れた喜びの笑顔。ありがとう。ありがとう。感謝します。さぁ、あなたもご一緒に”


 歌声の隅々から発せられる感情は、どの声も歌詞の内容そのままに、喜びで溢れていた。この歌を歌っている人間は、みな例外なく笑顔なのだろう。


 ……なのに、笑顔で歌われた曲のはずなのに、聞いていると酷く寒気を感じる。体の奥底から大事なものが抜け去ってしまいそうな、底冷えのする歌。


(大事なもの……。魂……?)


 歌声はなおも続く。


 ”怖い戦は消え去った。冷たい争いもなくなった。楽しいダンスが開かれて、毎朝おいしいパンが食べられる。ああ、ここは素敵な世界。私の側の恋人は、余すとこなく理想の人。雨の路上で寝ることも、病に苦しむこともなくなった。大きなベッドで好きなだけ眠れる。目覚めの体調はいつも良好で、次に眠るまでずっとそのまま。ワインだって飲み放題。ありがとう。ありがとう。感謝します。この世界にいる限り、私は永久に幸せです”


 全身の毛穴という毛穴から苦い汗が流れ出る。野生の蛇が無数に体に巻きついているかのような、薄気味悪い冷たさに覆われる。


 フェニックスの聖域に、悪魔の宮殿が現れた。


 テンセイはこの世に生まれて以来初めて、本気でこの場から逃げ去りたいと思った。全てをなくしてしまいそうな予感がした。それでもテンセイは歯をくいしばって恐怖に耐えた。


 歌声は続く。フェニックスはもがく。テンセイは動けない。

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