第143話・BLOTHER
フェニックスを倒す。無限の生命力を持つ神を、いかにして屈伏させるのか。最大の問題はそこだ。相手が普通の生き物であれば「言うことを聞かなければ殺す」という最も原始的でかつ強力な脅迫が可能だろうが、不死とあってはそうもいかない。フェニックスの生命は朽ちることがない。
……ああ、その生命力はまさに究極だ。老いもせず、死にもしない。だがほんの少しだけ例外がある。フフフ。どんなものにでも例外はある、というと矛盾した文章になってしまうが、それはどうでもいい。とにかく奴も一瞬だけなら死ぬことがあるのだ。つまり、フェニックスは完全なる不死ではない。
この世界に住む者なら、およそ誰もが知っているおとぎ話。
かつて、ヌビスという名の武人がいた。その男は王に命じられ、フェニックスを捕える旅に出た。長い旅の果てにヌビスはようやくフェニックスの寝床をつきとめ、羽を休めてくつろぐフェニックスに忍び寄り、その首に鋼の剣を突きさした。
”確かな手応えとともに、ヌビスはフェニックスを仕留めたと確信した。その次の瞬間、剣で刺されたフェニックスの傷口から、爆発するかのように炎を噴き出した。その様子は鯨が潮を噴くのに似ていた。炎はあっという間にヌビスの体を包み、見る見るうちに焼き焦がしていく。ほどなくして、炎の中から一匹の雛鳥が現れた。金色の体毛、燃えるような翼。それはまさに、フェニックスの生まれ変わった姿であった。
生まれ変わったフェニックスは翼を広げ、どこかへ消えて行った。後には消し炭と化したヌビスの死体だけが残っていた。”
「フェニックスは自分の身に危険が迫った時、自身を焼いて生まれ変わる。フフフ。つまり奴は死なないのではない。一度死んでもすぐに再生できる、というのがその正体なのだ。結果だけ見れば同じことなのだろうが、そこに奴の欠点がある」
私は階段を上る。これから自分が行うことを、あえて口に出して確認する。しくじりは許されない。なにしろ相手は神だ。こちらがほんの少しでもミスをすればそれで全てが台無しになってしまうだろう。
「ほんの一瞬でも肉体がなくなれば、魂がむき出しになる。……フェニックスは人語を解し、また他の生物とも言葉を通わせることが出来るという。つまり意思を持った存在ということだ。意思があれば当然魂もあるに違いない。魂さえ肉体から切り離せれば、それで私の能力は発動できる。例えそれが刹那の瞬間であったとしても」
生物は肉体と魂の二つから成り立つ。私はそのうちの魂を操る術に長けている。フェニックスが生命――すなわち肉体を形成する力を操るのと同じようにだ。
「私の能力とフェニックスの力が合わされば……。フフ。世界が傾くぞ」
それにしても、この階段はどこまで続くのだろうか。もう随分と上ってきたようだが、一向に先が見えない。下を見た後すぐに上を見上げると、全く変わり映えのない光景にうんざりする。だまし絵の中にいるような感覚すらしてきた。果たして本当に上へ向かっているのかどうかすら疑わしく思えてくる。
だが進まなければ何も始まらない。ともかくさらに一歩を踏み出した。すると――。
いきなり世界が消えた。大げさな表現かもしれないが、私にはそうとしか感じられなかった。目の前の鬱陶しい階段も、無骨な壁も、上下から私を挟んでいた闇も、全てが眩い光の中に消えた。大波にさらわれた時のように、光に飲み込まれた。
気がついたら、私は光の中に立っていた。あたりはどの方向を見ても真っ白だった。……この景色には見覚えがある。いや、これによく似た景色なら。何もない真っ白な空間という点では共通している。
「ここが……フェニックスの聖域か? ここは何もない空間。ということは、この空間を作ったのは、何も必要としない者だ」
全身の感覚を全開にする。きっと、近くにそれがいる。私の求める力が。伝説のフェニックスがすぐそばにいるはずだ。
白い光の中で、私はじっと身構えた。腰には短刀を帯びているが、まだそれは抜かない。想定外の何かが起きた時のために両手は空けておきたい。ふと、鼻先に何かがにおった。
「お出ましか……」
私がつぶやいたその瞬間、白い空間が紅く染まった。私は炎に囲まれていた。
「この大地が生まれたばかりの頃、世界は炎に包まれていたという。その中から生命が生まれ、広まっていった。炎は生命の象徴。生命の神フェニックスよ。まずはご自慢の火焔で私を出迎えてくれたかッ!」
炎が私の全身に張り付いた。空間そのものが燃焼しているらしく、想像以上の速度で炎が動く。
「フハハ! 焼いてみろ! 焦がしてみろ! 神の力を存分に見せつけてみろ!」
炎の中で私は叫ぶ。この程度の火力なら十分に耐えられる。もちろん、常人ならばおとぎ話の武人のごとく瞬く間に燃え尽きてしまうほどの威力なのだが。私は肉体さえも普通ではない。
フェニックスの姿を探す。炎の壁の向こうに、何やら影が動いているのが見えた。私は一瞬の躊躇もなくそこへ走った。影の形は、翼のようだった。もう間違いない。私は素早く短刀を抜き、影に向って突き立てた。フェニックスは虚を突かれたはずだ。自分の炎が通じない人間がいるなどとは思いもしなかっただろう。
が、短刀はフェニックスに届かなかった。影は移動していない。その場所を動かず、私の短刀を、何か金属のようなものを盾にして受け止めた。フェニックスが金属を使うのか? と考えたが、すぐに私の勘違いであることがわかった。
「間抜けな話だ。まさか、もうお前がここへ来るとは思わなかったよ」
炎の向こうにいるのは、フェニックスではなかった。
「兄さん……。今度こそ、僕はあなたを止める!」
愚劣なる弟よ! 全く間の悪いところに来たものだ! よりによって、これからという時に邪魔をしてくるとは!
「やむを得ないな」
大事な瞬間を邪魔されてはたまらない。私は障害物を取り除くことにした。実に残念な判断だが仕方なかった。