第136話・嘘と思惑と恋慕
翼の『紋』を持つ青年ベールは、テンセイとヒサメに問われるまま、己の素性を話し始めた。
「僕の故郷は、ウシャスの大陸南部にある小さな町。子どもの頃から古い物語や神話っていうのが大好きで、今は各地を巡って色んな古文書や遺跡を探す仕事をしているんだ。この島に来たのも、フェニックスについて調べるためだった」
フェニックスがこの島にいるという情報は、とある遺跡の壁画から読み取ったそうだ。本当にフェニックスなる者が存在しているとは考えていなかったが、好奇心に駆られて旅立ちを決意したらしい。
「最初は船で少しずつ南に下ってきたんだ。途中にある小島で休みつつ、少しでも雨の弱くなる瞬間を狙って前進。だけど、ここに近付くにつれて波が激しくなって、僕の船ではどうしようもなくなった。それで一か八か、『紋』を使って飛んで来たんだよ」
「たった一人で? 一人であの海を越えてきたの?」
ヒサメが尋ねると、ベールは表情を曇らせた。
「もう一人、仲間がいたんだ。僕の二つ上の兄なんだけどね。……船で旅をしている途中で、波にさらわれて……」
言葉を詰まらせ、がっくりとうなだれた。肩がかすかに震えている。それを見たテンセイとヒサメも、それ以降この話題に触れることはしなかった。……しかし、もしもこの時、ベールから深く話を聞き出そうとしたなら、その後の運命は変わっていたかもしれない。あるいは、うなだれたベールの顔を覗き込んでいれば、そこに悲しみの色だけでなく、罪悪感の色までもが浮かんでいることに気づくことが出来たであろう。
重い話題を変えようと、ヒサメがわざと明るい声を発した。
「でも、あなたは生きてここまで来れた。これはスゴいことよ」
「……そう言ってくれてありがとう」
「えっと、じゃあ取りあえず、長老たちに連絡しなきゃ。外の世界から来た大事なお客様だもの。村のみんなにも紹介して……」
ヒサメが立ち上がり、扉へ向かいだした。ごく当然の行動である。
しかし、それを止める者がいた。
「待て、ヒサメ。……まだみんなには言うな」
テンセイだった。腕を組んでイスに腰掛け、何やら考え事をしているような格好である。ヒサメが振り返って聞いた。
「どうして? ……あ、そうか。あたし達が海に行ったことがバレちゃうから? 大丈夫よ。この人……えと、ベールが塔の近くで倒れてたってことにすればいいじゃない。ね? そういうことで話を合わせれば問題ないわ」
最後の一文は、ベールに対しても発せられていた。話を合わせるのに協力しろ、ということだ。ベールはその意図を汲み、頷いた。
「うん。僕もそうやって説明するよ。その程度のことなら」
「ほら、大丈夫」
だがテンセイは退かなかった。
「ベ−ル。お前、これからどうするんだ? 元の大陸に戻るのか?」
問われて、ベールはまたうつむいた。ただし今度は顔が見える程度の軽い傾斜であった。その表情には、言いにくい願望を恐る恐る申し上げる気まずさがあった。
「戻れる……としたら、その選択もあるんだけどね。僕の翼だけではとても大陸まで帰れそうにない。船を貸してくれるのなら可能性はあるかもしれないけど」
「この島に船はないわ。作ったそばから、航海に失敗して海に消えていくもの。この島から外へ出て行けた人は誰もいないわ。少なくともあたしとテンセイはそう聞かされてる」
「そうなのか……」
ベールの首の傾斜がやや深くなる。しかし、完全に顔が影になるより前に、テンセイの言葉がそれを止めた。
「ここに住めよ」
弾かれたように面を上げる。テンセイは一直線にベールの目を見ていた。
「戻れないんなら、それしか選択肢はないだろう。それに、フェニックスに興味があってこの島に来たんだろ? ここならうってつけだぜ」
「……いいのかい?」
「そういうことならあたしも構わないわ」
ヒサメも賛同した。だが、話はまだ半分である。
「でもテンセイ。それなら尚更長老たちに合わせた方がいいじゃない。この島で住むんなら住居も必要だし、フェニックスについて調べるなら長老から話を聞くのが一番手っ取り早いわ」
「住居はここでいいだろ。この島の、この塔に住むんだ」
「ええ?」
ヒサメは驚いた。というのも、至天の塔に出入りが許されるの防人の二人に限られる、という村の掟があるからだ。防人以外は長老ですらも立ち入れない場所に、外からの人間を勝手に住まわせることなど許されるわけがない。
「誰かに見つかったら大変な罪よ。説教どころじゃ済まないわ」
「誰も入ってこねぇから、逆にバレることもねぇだろ」
「ベッドは二つしかないのよ。毎晩交代で床に寝るつもり?」
「オレが外で寝る。すぐ外にデカい木があるだろ? あの枝のとこに寝どこを作る。ガキの頃からよくやってたから慣れてるぜ」
「……ねぇ、どうしてここじゃなきゃダメなの? 長老に合わせたくないの?」
「長老に合わせたらどうなると思う。考えてみろ」
なかなかハッキリと答えてくれないことに苛立ちを覚えつつ、とりあえずヒサメは考えてみた。
「最初はみんな驚くわね。それで、きっと歓迎するわ」
「そうか? 長老や年寄り衆はみんな頭が固い。”この島は外から誰も来ることが出来ない。自分たちだけがフェニックスの側にいることを許された優秀な民族だ”って言ってるんだぞ。それがウソだと知れたらどうなる」
「別にウソってわけじゃ……」
「とにかく、歓迎されるどころか無理やり追放されるかもしれねぇ。それを確実に避けるには、最初っからベールのことを秘密にしておくのが一番だ」
そんなわけがない、とヒサメは反論しかけた。しかし……。
しばらくの間、沈黙が続いた。沈黙の中に様々な思考と思惑が駆け巡る。視線。仕草。表情の変化。小さな合図で互いの本心を確かめ合った。テンセイの思惑とヒサメの本音が絡み合う。
やがて判決が出た。結果として、ヒサメはテンセイの言に従ったのであった。