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第132話・利はどちらに

 悪魔が去る。その姿は巣に帰るカラスのようでもあったが、同時に下手には近づけない圧迫感のようなものを発していた。追う者を許さぬ悪魔の帰還だ。


「無事か、ユタ」


 悪魔の背を地上から睨みながら言ったのは、爆弾銃のダグラスだ。ダグラスは硝煙の立ち上る銃を構えたまま、射程外へ遠ざかる敵を監視している。仮に悪魔ベールが振り向いて何かを投げつけて来たとしても、空中で爆弾をぶつけて相殺させるためだ。しかしその監視は杞憂に終わった。ベールは振り返ることなく、遠くの木立へ消えて行った。


「……何しに来たの? アイツ」


 ユタがゆるゆると高度を下げて地表に降り立った。反撃に転じようとした瞬間に相手が退いてしまったため、勢いを削がれて気が抜けてしまったようだ。


「足止めにすらなっていなかったな。だが……おそらくゼブの連中は、あの化け物に乗ってここを移動したようだな」


 フーリはしばらく地面の臭いを嗅いでいたが、民家から数メートル離れたところで顔をあげ、空に向かって吠え始めた。


「空中の臭いを追えるか?」


「大丈夫……なはずなんだけど」


 臭いは、地面や床にばかり残るものではない。当然ながら大気中にも残り香は存在する。訓練された犬ならばそれを嗅ぎ分けることなど容易い。ましてやフーリの属するストラ・ドッグという種族の嗅覚は犬よりも鋭い。しかし……。


「ちょっと、厄介ね。探知しにくい」


 エルナがわずかに言い淀む。と、リークウェルが素早く言葉の先を察知した。


「……なるほど。風と爆発で臭いが紛れたか」


「なによー、あたし達のせいだって言うの?」


 すかさずユタが食ってかかる。もっとも、「戦うな」の命令を無視して風の攻撃したことは事実だ。


「完全に消えたわけではないから大丈夫よ。少しずつ入念に臭いを嗅ぎながら進めば、いずれは追いつけるわ。この島を出ていくことはあり得ないだろうから」


 ゼブが島を離れるわけがない。客観的な根拠は全くないが、『フラッド』は全員それを信じていた。この島に眠るものの重大さと、ゼブ王サダムの性格を考えれば当然のことだ。


「じきに日が落ちる。……星明りすらない闇夜か。闇は追う者と追われる者、どちらに味方するかな」


「追う方、に一票入れるぜ。慣れない土地で闇夜を過ごすとなると、どうしたって灯りが必要になる。ましてや非・戦闘員の科学者共を連れているのならなおさらだ」


 戦闘要員でない者を連れているのは『フラッド』も同じなのだが、ダグラスは全くそのことを意識していないようだ。


 フーリが再びゆっくりと歩き出す。――予想していた通り、ベールが逃げ去ったのとは異なる方向へであった。ベールの逃げた方が敵のいる方だとは限らない。むしろ、『フラッド』を惑わせるためにわざと逆方向へ逃げた可能性が高い。それがわかっていたからこそベールを追跡しなかったのだ。


「おそらくウシャスも近い。今夜のうちに追いついてケリをつけるぞ」


 そうして一同は動きだした。だが、フーリの嗅覚を知るゼブを捜索することは想像以上に困難であった。ゼブの臭いは一直線には移動しておらず、蛇行や引き返し、時には分散を繰り返していたのだ。惑わされぬよう、見逃さぬよう、一同は慎重に歩を進めていくよりなかった。





 『フラッド』とベールの出会いより、時間的にはやや前のことである。その場にいる全員がもはや聞きなれた、もしくは聞き飽きたセリフが、揺れる室内にこだましたのは。


「これは一体、どういうことだ!」


 自分に理解出来ない事態が起きた時、人によっては怒りをブチ捲けることによって己を保とうとすることがある。クドゥルはその典型的な例であった。緊急事態には取り合えず罵声をあげるのがもはや癖になっているかのようだ。


「説明しろラクラ! これは何がどうなっているのだ!」


 クドゥルが遭遇した理解出来ない事態とは、ラクラやテンセイ、ノームにとってはすでに理解済みの事態であった。ただし、完全にその全貌を把握しているのはテンセイのみだが。


 ナキルとその部下ルバを撃退した後、ラクラに連れられてテンセイとコサメが操舵室へやってきた。


 操舵室には戦いに傷ついた男たちが待っていたのだが、そのうちノームを除く二人が、戻ってきたラクラの姿を見て我が目を疑った。操舵室を出る前、ラクラは全身至るところを負傷していた。特に、氷のスパイクに貫かれた足の傷は、思わず目を背けたくなるほどに酷いものであった。だが、テンセイと共に戻ってきたラクラの体は傷など一つもなくなっていた。さすがに衣服の破れた箇所はそのままだが、そこからのぞく傷口は完全に消失して白い肌だけが見えている。


「よォ、ノーム。大活躍だな」


 驚異の回復に目を奪われているクドゥルとスィハを尻目に、コサメを抱いたテンセイがノームに声をかける。


「へっ、敵を一人倒しただけだぜ。結局トドメは隊長に持ってかれたしよ」


 舵を取りながらノームが答える。ノームの体はだいぶ温まってきたものの、凍傷や疲労はいまだ拭えていない。というよりも、荒波に舵一つで対抗しているためにますます疲労は募っていく。


「キツそうだが、海のことはお前に任せるぜ。もう一ふんばりしてくれや」


「おおよ」


「ノーム、がんばってね」


 コサメがノームの背に応援の言葉を与えた。この時、与えたのは声だけではなかった。コサメ本人はあくまでも無自覚。いまだ自分の『紋』に関しては何もわかっていない。自らの能力が成長していることにすら気づいていない。


「コサメ。クドゥル船長とスィハ先輩にも応援頼むぜ」


「うん!」


 そうして、理解出来ない事態が始まった。三人の男達の傷が、瞬く間に癒されていく。切り傷は裂け目が徐々に閉じていき、しまいには完全に閉じて塞がった。打撲によるアザは、ガラス表面の汚れを拭うかのように薄れて消えて行った。ノームのかじかんでいた指が力強く動き出した。そして何より、全身を襲っていた痛みや疲労、それらから来る気だるさが消滅した。その代りに肉体を強く突き動かす生命のエネルギーが肉体の内側から湧きあがってきた。


「どうなっているのだ!」


 湧き上がるエネルギーを、クドゥルは罵声を放つことに使った。

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