第131話・黒の戦い
鉛色の空が、時折すすり泣くように雨粒を落とす。あたりの大気には常に一定の湿度が保たれ、それでいて光が少ないが故にうすら寒い印象を受ける。半ば廃墟と化した集落の一角で、くしゅんと小さなくしゃみを鳴らす者がいた。
「ここ、やっぱりヤな気分になっちゃうね……。薄暗いし、静かだし……」
「もうじき日が沈む。そうすれば完全な闇になるな」
「もー、そんなますます暗くなるような事言わないでよー!」
黒コートの一人、小柄のユタが傍らのリークウェルに食ってかかった。だが、日が暮れれば暗くなるのは事実だ。かすかに雲を通って届く陽光が消えるのだから。
「人がいた頃は、もう少しは賑やかだったのでしょうけどね。今は住人が誰もいなくて廃墟ばかり残っているから……。ゴーストタウン、っていうのはこんな所を言うのかしら」
「エルナまで、やめてよ〜。もうこの話終わり!」
「てめぇが最初に言い出したんだろ」
普段と変わらない顔ぶれの五人と一匹が、ひとつの廃屋に近付いていく。そこは、先ほどまでゼブ王サダムとその側近、そして科学者サナギとサナミのいた民家であった。
「あ、アレさっき逃がしたヤツじゃない?」
そう言ってユタが指さしたのは、ヒアクに貫かれて死亡した兵士だった。いまだぶ鮮血が流れ出していることから、刺されてからそう遅くないという事が推測される。
「サダムは豪傑な奴と聞いていたからもしかしたら直接対決になるかと思ったが……ここは退いたか」
「待ち受けるしか脳がねぇウシャスよりはマシじゃねーか? 王様ともなると多少は慎重に事を運ぶだろーよ」
「ねー、フーリ。他の奴らの臭いわかるー?」
ユタが耳長の獣に話しかける。フーリは開け放された窓から室内に飛び込み、しきりに床の臭いを嗅ぎまわり始めた。
「複数の人間の臭いがするって。だけど、今この場所には誰もいない。私たちが来たのと逆方向へ移動したみたい」
エルナが通訳する。
「人数はわかるか?」
リークウェルが尋ねた。
「五……六……? そのぐらい。女性の臭いが隣の部屋に残ってるけど、それ以外の人間は全部この部屋にいたみたいね。それと……ひと組、ほとんど同じ臭いの人間が二人いる?」
「フン。それはサナギとサナミだな。あいつらなら臭いが全く同じでもおかしくはない」
「クソ科学者どもか……。やっぱり来てやがったな」
そう言うダグラスとリークウェルの声に、憎悪の色があった。単純な怒りや、気に食わないなどというレベルの感情ではなく、記憶の奥深くに根を張った憎しみの色だ。
「奴らを追うぞ。この場所で全てのケリをつけてやる」
フーリが窓を飛び越えて戻ってきた。そしてフーリが一同の先頭に立ち、地面の臭いを嗅ぎながら歩き始める。が、それはすぐに停止した。
「止まれフーリ! 上だッ!」
リークウェルが叫んだ。最初に気がついたのはリークウェルだが、この言葉を聞いた次の瞬間には全員が反応していた。急激に迫りくる気配を悟り、地を蹴って散開する。
「グルオオオオッ!」
直後、悪魔の咆哮が轟く。それと同時に巨大な物体が大地へ突き刺さった。『フラッド』の一団がいた場所に、大木が落下したのだ。
「なにアレ〜? 『紋』?」
ユタが正直に驚きの声をあげた。
薄暗い空に、夜闇よりも黒い体表の悪魔が翼を広げていた。黒いコートの一団と、黒い悪魔が睨みあう。
「正真正銘の化け物だな……。サナギはこんなものを飼い犬にしているのか?」
「ゴーストタウンに悪魔が登場、ってか」
「どーでもい〜けどさー! あたし、上から見下されるのって一番嫌いなことなんだよね!」
風が渦巻く。尾を持たないキツネが出現し、その背にユタが飛び乗る。
「GO!」
渦を巻いていた風が上昇気流へと変じ、キツネの体を乗せて空へ跳ぶ。キツネはぐんぐんと高度を増し、悪魔と同じ目線の位置で上昇を停止した。改めて正面から向き合うと、悪魔ベールの巨大さをより実感させられる。
「無茶はするなユタ! そんな化け物と遊ぶのは後回しでいい! ゼブとウシャスを片付けるまで無駄に力を使うな!」
リークウェルが地上から叫ぶ。皮肉にも、これはサダムが言ったのと同じような内容であった。
「何言ってんの! コソコソ隠れてやり過ごすなんてあたしの一番嫌なことだし!」
「何で一番が二つあるんだ」
「……。とにかく、これは倒す!」
ユタは単純だ。相手に見下されるのが嫌いだから、まず敵を叩き落とすことに決めた。風の渦をつくり、悪魔の頭上から思い切り突風を叩きつける。これ以上の言葉を必要としないほどにシンプルな、上から下への圧力。
「グァウル……!」
悪魔がかすかに怯んだ(ようにユタは受け取った)。風を操るユタに空中で対抗することは不可能。ユタが勝利を確信した、次の瞬間だった!
「ガアアァァァッ!」
力比べなら、ベールも負けてはいなかった。滝のような風の中でもがいていたのはほんの束の間。爆発するかのようなエネルギーを振り絞り、翼の一降りで肉体を滝の外に脱出させた。
「ウソッ!?」
「グア!」
ベールの手がユタを襲う。長い腕をムチのようにしならせ、新たな気流に乗って逃げようとしたキツネを掴んだ。巨体に似合わぬ素早さだった。
「うあ……」
「グルゥウウウ……!」
爪を立てたりはしない。ベールの握力なら敵を握りつぶすことは容易いことなのだ。ただし、それは途中で妨害が入らなければ、という前提のものである。
指先まで力が伝達するよりも先に、文字通り爆発する衝撃がベールの腕にぶち当たった。刃を受け付けない強固な皮膚に何発もの爆弾が命中する。それも、腕の関節のあたりを集中して狙われていた。
「グ……ッ」
さしものベールもわずかに力が緩んだ。その隙に、素早くキツネが手中から逃れ出る。
「あーもーウザッ! 反撃……っ」
しかし、ユタが反撃を行う前に戦いは終了した。ベールは唐突に『フラッド』に背を向け、腕から硝煙をあげたまま遠くへ飛び去って行ってしまったのだ。




