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第128話・解凍

 ノームが開けた壁の穴は、ムジナがかろうじてすべり抜けられる程度の小さなものだった。波の動きを読み、微細な要素を掛け合わせ、それでようやくこれだけの穴が開いたのだ。しかも、穴は数秒後には再びふさがってしまっていた。実に些細な結果だが、それによってナキルを倒すことができた。鉄壁と思われていたが故に小さな穴が勝敗をわけた。


 光弾が氷に突き刺さった。一発ごとに氷を削り飛ばし、弾痕から生じる熱が徐々に氷を溶かしていく。冷気の発信源を失った今、氷は情けないほどに容易く崩壊していく。半分が破壊されたところで、中身が動きだした。


「ん……かっ」


 何やら言葉を放とうとしているようだが、寒さに唇が震えて上手く発音できなようだ。凍え固まった肉体を無理に動かそうとする様は、硬直した死体が棺桶から這い出る光景を思わせて気味が悪い。


「無事ですか? ノームさん」


 銃をおさめたラクラがノームを抱きかかえ、体の残り半分を氷から引きはがした。この間にムジナは船室への扉を開けて中に滑り込んでいた。


「意識を失う寸前だったけどな。心臓はちゃんと動いてくれてるぜ」


 ムジナを介してなら会話が可能らしい。ムジナの背に、ノームの全身が転送された。照明と湿気のせいで廊下内はむっとする熱気に包まれており、そこへ移動したノームの肉体はゆるやかに温められ始めた。少し間をおくと、見る見るうちに、紫へ変色していた肌に赤みがさし、硬く強張った筋肉や関節がほぐれていく。


「あ〜、生き返った……」


 相変わらず全身ずぶ濡れのため実際はかなり不快指数が高いのだが、ノームは晴れやかな表情を見せた。


「でも、まだちぃっと寒いかも? ……隊長、あっためて」


「まだ操舵室に敵がいます。急いでそちらへ向かわなくては」


 腕を伸ばして抱きつこうとするノームにピシャリと冷静な言葉を放ち、ラクラは再び暴風雨の中へ躍り出た。


「ちぇっ、少しはサービスしてくれよォ」


 気の抜けた言葉を吐きつつ、ムジナもその後を追う。ノーム自身は今少し廊下で療養し、状況次第でムジナに肉体を転送することにした。


 ラクラが甲板のマストを回り込み、操舵室へつながる扉に手をかけた瞬間だった。


「ッ!」


 唐突に船が傾いた。揺れる、などという生易しい動作ではなく、扉のノブに掴まらなければ海上へ放り出されていたかもしれないというほど、急な角度に傾いた。


「もしかしたら、舵がやられたか!?」


 ムジナが緊迫した声をあげる。ラクラは扉のノブを回そうとするが、内側からカギをかけられているらしく一向に回る気配がない。


「隊長! 窓だ! 何者かが窓を破って侵入した形跡があるぜ!」


 ムジナに続いて船首の方へ行くと、確かにハッキリと痕跡が残されていた。なにしろ、操舵室から外を見るための窓ガラスが、一部砕かれていたのだから。これ以上わかりやすい証拠はない。ラクラとムジナは迷わずその窓へ飛び込んだ。


 ――結論から言うと、この時すでに戦いは完了していた。勝利したのはウシャス。つまり、クドゥルとスィハの二人が、侵入者ルバをすでに撃退し終えていた。


 ルバは操舵室の隅にうつぶせで寝転がっていた。身動き一つしないが、どうやら生きているらしいことは直観で理解できた。天井を見上げるとところどころに何かがぶつかったような凹みがある。壁や床には、複数の人間の血が流れている。


「……フン。遅いぞラクラ」


 クドゥルは床にあぐらをかいて座っていた。額にタオルを当てており、その下からゆるりと血が垂れている。心なしか平生よりも呼吸が荒いように見える。


「御覧の通り、敵は捕らえた。だが無事ではないぞ……クソッ。こんな状態でこれ以上先へ進めるかどうか……。見ろ。舵取りがこの様だ」


「いえ、だい……じょうぶ、です」


 舵を取っているスィハもまた、戦闘によって負傷していた。その傷は、クドゥルのそれよりも若干重いように見受けられた。特に痛々しく目を引くのは、右の二の腕にザックリと開いた刀傷だ。出血が止まっていない。実際にこの二人と侵入者がどのような戦闘を繰り広げたのか、詳細はラクラにはわからない。ただ、どうやらクドゥルが『紋』を使い、それでもこれだけの負傷を免れ得なかったことは確かなようだ。


「ラクラ。いったん船をどこかに停泊させるべきだと私は思う。これから先、波はもっと酷くなるのだろう。船の舵取りは体力勝負だ。それに私自身も疲労している」


「しかし、すでにゼブは我々の先を行っています。これ以上遅れを取ることは……」


「敵の将軍とその部下を退けたのだ。充分だと思うぞ」


 クドゥルの語気に怒りがこもっていた。いったんは収まっていた苛立ちが再び蘇ってきてるらしい。『フラッド』の襲撃以降、クドゥルは機嫌を損ねる一方であった。抑えていた怒りが、負傷に即発されて湧き上がる。


「いい加減にしろラクラ・トゥエム! 同じ幹部である私に大事な事を何も教えず、こんな目に合わせおって! もう言い逃れは許さんぞ! スィハを見ろ。もうこれ以上先へ進むのは不可能だ!」


 ラクラは、黙って耐えていた。だがこの男はそうしなかった。


「舵なら問題ないぜ。オレが引き継ぐ」


 いつの間にか、ノームの本体がこの場に現れていた。傷ついたスィハの傍らに寄り添い、舵を握っている。


「もうちょいあったまれば、オレは万全に動けるぜ。舵の扱いも知ってる」


「なっ……バカを言うな! 貴様ごときがこの波を乗り越えられると思っているのか!」


 ノームはそれに答えず、ラクラに向き直って言った。


「隊長。オッサンとコサメをここに連れて来てくれ。そこのドアの鍵を開けてな」


「コサメさんを……」


「港でオッサンと話してきた。場合によっちゃあ、このお二方にも説明することになるかもな、て。ここまで来たら隠し事はナシにしてもいいんじゃないかってさ」


 隠し事はナシ。この言葉がラクラに決意を強いた。


 そしてラクラは無言で頷き、操舵室を後にした。――旅の続行のために必要ならば致し方ない。ラクラがテンセイから聞かされた恐るべき真実を、疑り深い男にも教えることも。

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