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第118話・風が吹く

 ウシャス軍を揺るがした反逆事件から、三日後の早朝。本部から近い大陸東海岸の軍用港は、大勢の軍人達でにぎわっていた。言うまでもなく出航のためである。重量を少しでも軽減するため、偵察用の小型船が出港の準備をしている。


「最終点検始め! 念には念を入れろよォ!」


「了解!」


 思えば長い道のりだった。いや、実際には一週間も経っていないのだが。テンセイが南の孤島・サイシャへ行きたいと申し出てからほんの五日。あまりに騒動が多かったのでずっと昔のことのように感じられる。


「いよいよっつうか、やっとだな、オッサン」


「ああ」


 船の点検が完了するのを待つ間、潮のにおいを嗅ぎながら海を見ていたテンセイにノームが声をかけてきた。リークウェルに『紋』を傷つけられてから四日目にようやく目を覚ましたのだが、おかげで体調はすっかりよくなったようだ。


「オレが寝てる間に、えらいことが起こったみたいだな。大事な場面で役に立たねーよなぁー……オレ」


「ンなことねぇって。海や船にはオレよりお前のほうが詳しいんだからよ、これからしっかり頼むぜ」


「たのむぜー」


 コサメが笑いながら合いの手を入れた。


「任せとけって。……んー、でもなぁ、軍用船だったらクドゥルとかいう頑固親父幹部の分野だしなぁ。下手に口出したりしたら説教くらいそうな……。なんで海の男ってのァ融通きかねぇ奴ばっかりなのかねぇ?」


「荒い海が気骨したたかな男をつくった、とかそんなんだろ」


 などと取り留めのない話をしていると、船の中からラクラが出てきた。朝の日差しが髪にきらめき、肌は磨きたての陶器のように白い。それでいて温かな生命を象徴するかすかな赤みが頬を彩っていた。


「おはようございますテンセイさん。今回は危険な海域へ行くということでしたが、お体は大丈夫ですか? 船に乗られた経験があまりないとおっしゃられていたので……」


「ああ、オレは頑丈なだけが取り柄だから大丈夫だろ。コサメも今までは別に……って、そうか。波がキツいと船の揺れも酷くなるんだったな」


「船酔いのお薬を何種類かもらってきました。様子を見て飲ませてください」


「いやぁその、前に船乗ったときも薬もらったんだが、コサメは薬が嫌いなんで結局飲ませなくて……」


「それでも一応持っていてください」


 ラクラは微笑みながら薬を持つ手を差し出した。こうなると、テンセイも受け取らないわけにはいかない。手のひらを上に向けて出すと、ラクラが上に手を被せるようにして薬を渡した。


 薬を渡した後も、二人の手は少しだけそのまま保たれた。


「出航まであと二十分ほどだそうです。向かい風が吹いてこないうちに出来るだけ進めたいそうですから、陸に用事があるのでしたら今のうちに」


「了解」


「……では、先に中で待っています」


 そう言ってラクラは背を向け、やや早足で船の中へ消えていった。その後姿を見つめていたノームが、声を潜めてテンセイに尋ねた。


「……なぁ、オッサン。マジでオレが寝てる間になんかあったの?」


「あ? だから全部説明しただろ。幹部のヤコウとレン先輩が――」


「そうじゃなくて! 隊長と、なんかあったのかってことだよ!」


「いや全然なにも」


「そうかぁ? ラクラ隊長、オレが眠る前に見た時と比べて二割り増しぐらいでキレイに見えるぞ? 聞いた話によると、女がいきなりキレイになる時ってのは大抵……」


 どこで聞くんだそんな話。テンセイはまともに取り合わないことにした。


「ああそうそう、ウェンダっていうお偉い様は、レン先輩に脅されて協力してたらしい。先輩が死んだって伝えたら全部白状してくれた」


「話変えんなよォー、オッサーン!」


「今のうちにトイレ行っとくか、コサメ」


「うん」





「アフディテ。さぁ、もう目を覚ましてください!」


 ゼブ国フォビア城。赤髪の若き将軍・アドニスは閉じた扉に向かって叫んだ。


「王と他の将軍はもうみんな行かれましたよ! 後は私とあなただけです」


「大きな声で言わなくても……起きてるよ」


 ドア越しに弱々しい声が届いてくる。食事は十分に与えているはずなのだが、以前よりもやや衰弱した感じだ。


「目を覚ませと言ったのは、起きろという意味ではありませんよ。幻想から覚めろということです」


「幻、想……」


「あなたに対していつも向かい風が吹くなんて、ただの思い込みです。風は正面から吹くこともあれば背中を押すように吹くこともある。あなたは悪い思い出だけ印象に残しているんです」


「違うっ……。私に向かって、風は、吹く。いつも。アクタインの葬儀のときもそうだった」


「それはただの偶然です! 長く外に出ればわかりますよ! さぁ、早く行きましょう!」


 返事が途切れた。何度、こんなやり取りをしてきたかわからない。


「……私がついてます。どんな風が吹いてこようとも、私と共に乗り越えましょう」


 言葉は、なかった。少しの間をあけ、足音が近付いてきた。


「これが、最後……。また風が前から吹いたら、もう、外に出ない」


「ええ、そうして構いません。大丈夫です、風はあなたを拒みはしないですから」





 同日、ウシャス領大陸最南端の岬。どこかからか運んできた屋根付きのモーターボートが眼下の海水面に浮かんでいるのを見つめる、黒い五人と一匹の影があった。


「あんなちゃちぃ船で大丈夫か? もうちょっとデカい船を探してきてもいいが」


「時間が惜しい。あれで十分だろう」


 『フラッド』もまた、旅立ちの準備を終えていた。東支部との交戦によってさしもの『フラッド』も疲れの色を見せていたが、ウシャスやゼブが準備を整えている期間にすっかり回復したようだ。


「風が吹くと面倒だ。この時期だと風は南から吹いてくる。オレ達にとっては向かい風になるな」


「そんなん、あたしがどうにかするって」


 ユタが胸を張って主張するが、リークウェルは静かに返した。


「長期戦を覚悟しろ。おそらく、ウシャスもゼブもあの島を目指しているはずだ。体力は出来るだけ温存しておきたい。今の無風なうちに出発しよう」


 一時間後、リークウェルの懸念通り、南風が中央海全般を広くなで始めた。波を分け、風を裂き、それぞれの船がそれぞれの目的を持って、最果ての孤島を目指していた。

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