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第117話・落涙

 積み上げてきたつもりだった。着実に、ウシャスのために貢献しているつもりだった。どんな困難に対しても仲間と協力し合えば乗り越えられると思っていた。――全部、砕かれた。ウシャス軍という枠の中で生活をしている間にも世界は動いていた。


「それは……これはどうなっているのですか!?」


 たまらず叫んだ。コサメが何事かとこちらを見上げる。なぜラクラが叫んだのかわからないといった表情だ。実際、コサメは何も知らない。この騒動の渦中にいながら何もわかってはいない。


 テンセイは知っている。ラクラが傷を負っていたことを知っており、今、それが治っていることに気が付いた。


「……能力が広がってる。また成長したのか」


「能力……?」


 ラクラが聞き返すと、テンセイはハッとして口をつぐんだ。言って聞かせるつもりのない言葉をつぶやいてしまったらしい。


「能力とはいったい? 何のことです? 誰の能力なのですか!?」


 わからない。またわけの分からない出来事の登場だ。


 テンセイの返答は。


「いや、何でもない。気にしないでくれ」


 何でもない。気にするな。


 ――わからない。わからない。わからない! ラクラの不安定な感情に火をつける起爆剤としては、この上ない材料だった。


「教えてくださいッ!」


 両手でテンセイの肩にすがりつき、感情の溢れるままに言葉を吐き出した。もう我慢も抑制も出来ない。頭の片隅ではまだ「冷静になれ」と命じている部分があるが、口を開くたびにそんなものは引っ込んでしまう。半ば壊れかけた感情の器が、完全に壊れることを望んでいた。


「私にも教えてください! 全部! 今すぐ!」


 顔を伏せて叫ぶ。テンセイがどんな表情をしているのか見ることは出来ないが、それ以上に自分の表情を見られたくない。


「ラクラおねーちゃん……?」


 コサメが声をかけて下からのぞきこんでくる。ラクラは慌てて顔を背けた。


「私には……わからない! 何が起こっているのか! なぜこんなことになったのか! これから何が起こるのか! 一つも……私にはわからない……!」


 呼吸が苦しい。胸の奥、肺の中に悪い空気でも入れてしまったかのような息苦しさ。


「軍人たりえるためには誇りが必要だと教えられてきました。それを守って、守ってきたはずなのに……。なのに」


 目頭が熱い。そのくせに指先の体温は氷のように冷たくさがっていく。声が枯れる。体中の水分が目の辺りに勝手に集っていく。


「どうしてこんなことに! なにが原因で!?」


「……隊長」


「知っているのなら教えてください! 私は知らなくてはならないのです! ちゃんと、わかって……っ。理解して……。それで……」


「隊長」


「背負わなければならないのです……! 全てを……背負って!」


 何も知らないラクラとコサメの大きな違い。ラクラは背負わなければならない。


「隊長!」


 強い力が背中を押した。気がついた時、ラクラは、テンセイの胸に顔をうずめていた。温かい、揺れない肉体にしがみついていた。


「おねーちゃん、あのね」


 いつの間にか床に降り立っていたコサメが声をかけてくる。


「テンセイにぎゅってしてもらったら、おちつくよ。えがおになれるの」


 テンセイの腕の中。いつもはコサメの特等席。――山のにおいがする。王都に来てからふた月以上も経っているのに、テンセイの体には自然のにおいがしみついていた。陽光を一杯に浴びた新芽のような、生命のにおい。戦いと怒りの熱に荒ぶっていた紅球は、うららかな日差しになっていた。


「隊長」


 大きな手のひらが、ラクラの頭をすっぽりと包み込む。


「……すまなかったな、怒鳴りつけたりして。配慮がなかった」


「……いえ」


「後で、全部教える。オレの知っていることは全部、洗いざらい教えてやる。だけどな、隊長」


 コサメをあやすのと同じように、テンセイはゆるやかに髪をなでる。それがこの男に出来る精一杯の優しさであった。ただそれだけしか出来ない男だった。


「ヤコウや、レン先輩のことまではオレにも(だいたいの予測はつくが――)完全にわからない。そこんとこだけは堪えてくれ」


「はいっ……」


「それから、もう一つだけ約束してくれ」


 遠い夜空に星が流れた。ラクラはそれを見ることは出来なかったが、連動するかのように、その白い頬に光るものを流した。


「背負わないでいい。気負わないでいい。そういうのはオレがやる。隊長の代わりに、オレが全部背負う。オレは、もう何年も前から背負ってきた。何かを背負うことでここまで来られた。背負うのはオレの役目だ」


「……」


「その代わり、隊長は前を歩いてくれ。オレ達の先頭に立って、進むべき道を切り開いてくれ。オレの知っていることは全部教えるが、オレ達のリーダーはあんただ。導く者(リーダー)に立ち止まられたら、オレ達はどうしたらいいかわからない」


 テンセイの腕を握っていた手が、しだいに広い背中に移動して抱きしめる。


「あんたが先頭に居てくれたら、オレは安心して戦える。重い荷物にはこっちに任せてずんずん歩いてくれ。よろしく頼むぜ、隊長」


 ラクラの頭から、大きな手が離れた。その手も相手の背中にまわる。


「任せて……ください……っ」


 精神にこびりついた血の穢れを洗い流すため、ラクラは泣いた。心の底から涙をこぼしたのは、どれぐらいぶりだろうか。軍に入ったときには涙を捨てていた。いや、あれは確か、自分が幹部に昇進してヤコウと離れ離れになった時。その日の夜も、ラクラは人知れず静かに泣いた。涙の粒がテンセイに伝わっていく。自身の背負ってきたものを手渡す儀式であった。


 コサメは黙って、抱き合う二人を見上げていた。何か声をかけようと思ったが、途中でやめた。そして笑顔になった。……これはこれで、小さな成長だった。


 惨劇の夜が終わった。昨夜の『フラッド』交戦に続き、またしてもウシャス軍は大きな打撃を受けた。だが、彼らは止まらない。折れそうな心はみなで支えあう。そうして、前に進む。夜は終わったのだから。

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