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第115話・時を告げる審判の鐘

 例えるなら――そう、大雨で増水した川の流れだ。いつもより大量の水が川を流れ落ちていくの見ているうちに、どれだけ流速が増したのか興味を持ち、一本の木の棒を拾ってきて先端をしっかりと握り、反対側の先端を川の流れに差しいれてみる。強い圧力が棒にのしかかり、腕に伝わってくることは誰にでも想像できる。だが時に、自然は人間の予想以上の力を見せ付ける。棒の先端が水面に触れるや否や、凄まじい圧力が薄汚い棒切れを圧迫し、握る手から引き剥がしてあっという間に下流へ押し流してしまった。別に大したことのない日常の中で垣間見える、自然の牙。


 それと非常によく似た現象が起きた。テンセイの拳は突き刺さった刃を押し切り、なおも直進しようとした。その圧力に負け、軍刀がレンの左手から離れた。そして拳は刃ごとレンの顔面へ――。


「ガッ……」


 鼻の骨がつぶされた。前歯が何本もへし折れ、口の中を跳ね回る。その中のひとつをあやうく飲み込んでしまいそうになり、慌てて吐き出した。そんなことを気にかけている場合ではないとわかっているはずなのに。


 間髪いれず左の拳が飛んできた。一発目が直撃した衝撃で後方へ吹き飛ぶよりも早く、二発目がレンの肉体に到達した。馬に蹴られたかのような重さが腹に食い込む。胃液と血液がドロドロに入り混じり、ノドを這い登って砕けた歯の隙間から放出された。体が床とほぼ平行に滑って扉の隙間をくづり、廊下へと押し出されていた。


「カッ、くぅ……クソ! 反則すぎるだろう……。相手、は、一撃必殺を叩き込まれなければ負けないというのに、こっちは、もう……グフッ」


「ああ、やっと見えてきた」


 頭上から雷轟のような声が聞こえ、思わず身が恐怖に震えた。恐る恐る視線をあげると、そこには山のように立ちふさがるテンセイの姿があった。


「お互いボロボロだな、先輩。傍から見ればかなりホラーな光景かも」


「……おい、敵を追い詰めた状態でくだらない冗談をほざくのは、悪役のすることだぞ。散々調子に乗ったあげく結局はヒーローに大逆転される……ちっぽけな悪役のセリフだ」


 くだらない言葉を交わし合いながら、二人は互いの目を見た。そして闘志の炎が残っていることを確認した。戦う意志が残っているにしてはおかしな会話だが、これはあくまでも”訓練”だ。レンがテンセイに訓練をつける時は、いつもこんなくだらない会話を交わしながらであった。レンはまだ訓練を続けようとし、テンセイはあえてその土俵に乗った。


「悪役では戦士を倒せないぞ。戦士を倒せるのは戦士だけだ」


「ああ、わかってる。けどよ、戦士ってのはなろうったって簡単になれるわけじゃねぇ。ましてやオレは野生の獣だからな」


 レンがよろよろと立ち上がる。剣は失ったが、まだ右手に拳銃が残っている。込められている弾丸はあと五発。


「今のこの体――力を手に入れて、オレは猟師から獣になった。そこらの猟師よりよっぽど強い獣にな。だがこの程度の獣じゃあ猟師には勝てても戦士には勝てない。だから、とりあえず獣から卒業しようと思った」


「ほう」


「獣ってのはな、自分に危険が及ぶな状況には絶対首を突っ込まねぇんだ。獣が戦うのは、エサを取るときと自分を守るときだけ。今までオレは自分とコサメを守ることだけを考えて戦ってた」


「……今は?」


「守るだけだったら、アンタとの訓練なんてしない」


「……なるほど」


 テンセイが拳に食い込んだ軍刀を引き抜き、足元の床にほうり捨てた。右拳の、中指と薬指のつけ根の間に大きな溝が出来ている。少し力を入れて両側から引っ張ったら拳が真っ二つに分かれてしまうのではないかと思えるほどに深い傷だが、テンセイは最後まで素手で戦うつもりだ。


「さ、やろうか。先輩」


 テンセイがそう言ったきり、後には沈黙が続いた。どちらもすぐには動かなかったし、口も閉ざした。周りには何の音も聞こえない。数十人の軍人達がすぐ隣の棟にいるにも関わらず、物音は一切立たない。決して邪魔が入らぬようにするため、そして全ての罪をテンセイに被せるために、レンが軍人達をここへ近づけないよう苦心した成果だ。最初に予定していたのとはだいぶ状況が違うが、ともかく邪魔が入らないことはありがたい。


 ふと、レンは思い出した。このウシャス軍本部・本棟の一階には、古びた柱時計がある。その時計は夜十時になると鐘を鳴らす。腕時計に目をやると、九時五十八分だった。


「……十時の鐘が合図、ってのはどうだ? テンセイ君」


「時間や合図を決めるのはオレじゃない。そういうのは先輩、いや、教官の仕事だろ」


「フッ、それもそうだな。それじゃあ決定だ。あと二分弱」


 自分だけが時計を見るのは卑怯だ。レンは腕時計を外し、床に放り投げた。安っぽい時計は少しだけ床の上を転がり、偶然にも文字盤を上にして止まった。だが、テンセイも時計を見ようとはしなかった。


 それから再び沈黙が始まった。


(不思議だな……。さっきまでと比べて遥かに状況は悪い。この化け物と一対一で白兵戦など、考えただけで身が震える。出来ることなら逃げ出したいくらいだ。だが、私はもう後には引けない)


 レンは考える。律儀に時を刻む時計の歯車のように、脳内の全ての歯車を回転させている。テンセイがどう動き、こちらの攻撃にどう対応するか。テンセイは首か脳を吹き飛ばされない限り止まらないだろう。最終的なトドメをさすためにはどのような手順で攻防を展開すればよいか、考える。互いのケガの具合も大事な情報(データ)として取り入れる。新人教育のレン、一世一代の詰め将棋だ。


『まだまだ甘いな、テンセイ君。いいか? 拳銃を持った相手と戦う場合――』


 訓練ならばそう言って銃をおろすが、今回に限りそのまま引き金を引く。ただのそれだけだ。


 勝利への組み立ては完了した。後は鐘の鳴るのを待つばかり。改めて視線をよこすと、テンセイがかすかに笑ったように見えた。どうやら準備が整っているのは相手も同様らしい。


(どんな作戦を考えた? テンセイ君。見せてもらうか。一手でも間違いがあろうものなら、君を倒した後で一つ一つ指摘してやるよ)


 いつの間にかレンも笑っていた。


 鐘が鳴り響いた瞬間、笑みが消えた。

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