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第109話・ほんの少し導くだけの陰謀

 薬が効いたのか、ラクラは沈黙した。レンはそっとラクラの背から足をどける。……ラクラは動かない。完全に意識を失ったようだ。


「……ふっ、ハハ。やったぞ。天才と呼ばれ続けた幹部様を、このオレが倒した。二人も!」


 レンは額に流れる汗をぬぐった。が、拭っても無駄だった。ダムが決壊したかのように汗が噴き出して止まらない。散々手のうちを知り尽くした”仲間”が標的だったとはいえ、実戦には違いない。昔のレンだったらとっくに硬直して動けなくなっていただろう。


「フハッ。あの方に出会ったおかげで……オレはここまで動けるようになった。オレには、戦場で行動を起こすために必要な何かが欠けていた。あの方はそれを補ってくれた」


 まだレンの任務は終わっていない。まだテンセイという最大の関門が残っている。それを片付けるため、沈黙したラクラの体を起こして背に負った。ラクラの刺し傷は大したものではない。出血も初めは予想より多かったが、今はごく少量だ。決して死体ではない。背に伝わる生暖かい感触、鼻孔をくすぐる香りは、紛れもなく生きた女のものだ。

 ゴクリ。思わずわいてきたツバを慌てて飲み込んだ。今はそんなことに構っている場合ではない。こっちを楽しむのはテンセイを始末してからだ。


 レンは歩き出す。胸一杯に喜びと希望を抱き、その一方で、背中一面に震える緊張と汗を負って。


『君にしか出来ないことだ。誰にもマネできやしない……。君の才能は君だけしか持つことが許されないものなのだ。この私にさえない才能。それを、私のために使ってはくれないか?』


 新人教育というあだ名がつけられたばかりの頃、『そいつ』は言った。『そいつ』は、向かうべく道を失いかけていたレンの前に影のように現れた。レンは始めは逆らおうとした。だが、『そいつ』の誘惑はあまりに巧妙だった。『そいつ』は、自身の持つ圧倒的な力をレンに見せ付けた。その上で、君の才能は私にはない、と言った。君が心の底から必要なのだと持ち出した。レンが、ウシャスを捨てることにためらいを感じなくなるまで、長い時間は必要なかった。


 準備を済ませたレンは、単身でコサメの部屋へと向かった。ドアをノックして声をかける。


「テンセイ君、ラクラ隊長がお呼びだ」


 返事はなかったが、中で何者かの動く気配があった。気配がドアに近付いてくる。そしてドアが内側から開かれた。


 レンは努めて単調に言う。


「小会議室に来るように、だそうだ。大事な話があるらしい」


「ああ、大事なのはわかってる。だけど……」


 テンセイは部屋の中を振り返った。レンも開けられたドアの隙間から中を覗き込む。コサメがベッドで寝ているのが見えた。なるほど。あんな事件があった直後だ。コサメをここに置きっぱなしにすることに抵抗があるのだろう。出来ればラクラの方からここへやってくることを望んでいたようだ。


 用意していた言い訳を使う。


「すまないが、隊長は今かなりお疲れでな。ヤコウ様に裏切られたという心痛もある。今はそこまで気が回る状態ではないのだ」


 これはかなり事実に近い。


「そうか……」


「なんだったら、コサメを連れて来てくれても構わないぞ。わざわざここまで寝かしに来たばかりで悪いが」


「いや、そうしよう」


 実際のところ、テンセイがコサメをここへ連れてきたことは無駄ではない。そのおかげでレンがラクラを捕える時間を稼げたのだから。


 テンセイがコサメを毛布にくるんで抱えてきた。レンは率先してテンセイの前に立ち、会議室へ歩き出す。


(テンセイは強い――。いくら手がふさがっていたとしても、真正面から勝負を挑んで勝てる相手ではない。かといって中途半端な奇襲をかけてもダメだ。この男は多少の小細工などものともしないパワーを持っている。こいつを確実に仕留めるには絶対突破不可能な罠にはめる必要がある)


 そしてレンはそれを少しずつ実行している。小会議室の扉の前に到着したとき、テンセイに悟られぬよう深呼吸をした。ここまで一人も部下の軍人に遭遇していない。みな、レンの指示通りに行動・休眠をしているようだ。


「テンセイ君を連れてきました。入ります」


 声をかけながら扉をノックする。中からの返事は当然ない。扉に手をかけ、開いた。扉を開いたまま手を止め、テンセイに視線を送る。ここがポイントだ。ごくさりげなく、テンセイを先に中へ招くことが重要なのだ。


 テンセイが会議室の中を見ている。きっと、向こうむきに座るラクラの姿が見えるだろう。上等なイスに深く背をもたれ、頭を自分の肩に置いて呼吸をしているのが見えるはずだ。


「隊長、寝てンのか?」


 テンセイが口を開いて誰にともなく言った。ここで、先ほど「かなりお疲れだ」と言ったことが効いてくる。


「呼び出しておいて居眠りなんて隊長らしくないな。ちょっと近づいて声かけてみろ」


 念のためにそう言ってみる。と、目論見通り、テンセイは会議室に踏み入り、テーブルを回り込んでラクラに近付いて行った。


 このためにラクラを生かしたまま連れてきたのだ。ラクラが死亡して完全に身動きしない状態であったなら、勘のいいテンセイはすぐに不審に気づくだろう。ラクラが死んでいることに気がつけば、同時にもう一人の裏切り者の存在を悟る。そうなってはマズい。


「ラクラ隊長〜、どうしました?」


 間抜けな声を発するテンセイの後に続き、レンも会議室に入って扉を閉めた。これで邪魔ものが入る余地は完全にゼロだ。


「隊長?」


 テンセイがラクラの真横に立った。じきに彼は気づくだろう。ラクラの腹から血が流れていることに。その瞬間が勝負だった。テンセイを殺すには、一撃で急所を貫くしかない。しかも臓器へのダメージでは無意味だ。通常ならどの道治療不可能で結果的に死亡するような傷でも、この男は即座に再生してしまう。”即死”でなければならないのだ。即ち、首を切断するしか方法はない。背後から近づいて、その太い首を破壊する。


 両手にコサメを抱かせることで動きを制限し、かつ、神経をラクラに集中させる。そこまでしなければテンセイの油断は狙えない。これからのテンセイの行動は予測できる。一、ラクラの様子を見て、わずかにおかしいと感じる。二、傷に気がつく。三、裏切り者が他にいることを考える。二の段階まではテンセイの注意はラクラに集中している。それから三に移る直前までが勝負だ。


 静かに腰の拳銃を抜いた。もう後には引けない。誰がどんな審判を下そうとも。

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