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第108話・凡人の嫉妬

 レンの生まれたイール家といえば、トゥエム一族ほどの名門ではないものの、比較的長く続く軍人の一族であった。軍人としてのイール家の評価は、中の上程度。一般兵よりは上の身分になる者は多いが、幹部にまで昇進できた者は一人も輩出していない。


 故に、若くしてイール家の当主となったレン・イールが、幹部の地位につくという目標を己に課したことは不自然なことではない。レンは自ら進んで武術を学んだ。素手での格闘技に始まり、刀剣やナイフの扱い、銃火器類、暗器と呼ばれる特殊な道具を用いる戦術など、ありとあらゆる方法で戦闘能力を高めた。かと思えば、一般兵は立ち入り禁止とされている書物庫に一週間も入り浸り、古代の兵法書を片っぱしから読み漁ったりもした。入隊して二年がたったころ、模擬訓練での戦闘成績の首位には常にレンの名があった。


 だが……それはあくまでも「模擬」の中だけの成績であった。


「オレが初めて出た実戦は、とある盗賊団の弾圧のための戦争でした。ま、相手の組織はかなり小規模で、派遣されたの一個小隊だけでしたがね」


 その戦いは、結果から見ればウシャス軍の圧勝であった。盗賊の組織が広規模化される前に叩いたことが功を奏したのだ。だが、この戦いでレンはある『汚点』をつけられた。


「先輩の軍人たちがあらかた敵のアジトを制圧して、オレはそこから逃げ出すヤツがいないかを見張る役割でした。で、捕虜の一人が、ちょっとした隙をついて建物から脱走しようとしたんです。オレはそいつを捕まえようとしました。それがオレの初めての実戦でした」


 その時のレンは銃を持っていた。相手の武器は短刀ひとつだけであった。しかも、相手はかなり取り乱して体が震えていた。一応、”敵は可能な限り生かしたまま捕獲するように”という命令が出ていたため、マニュアル通りにいくなら、まず足を撃って逃走を防ぎ、次に攻撃手段―この場合は短刀―を奪い、拘束するのが正解だ。レンはそうしようと思い拳銃を相手に向けた。


「……で、オレはどうしたと思います? 模擬訓練では、逃げる相手に対しても十発中七発は命中させられましたよ。おまけに相手はその場で震えるばかりでほとんど動こうとしなかった。足に命中させる自信は十分にありました。でもね、オレは撃たなかったんです。いや、撃てなかった」


『イール!? 何をしている!』


 背後から仲間の声が聞こえ、その直後に銃声が響いた。一瞬遅れて敵の右すねから血が噴き出した。


『何をボヤボヤしてるんだ。銃を構えたならさっさと撃て!』


 先輩の忠告をうわの空で聞き流しながら、レンは自分に起こったことを思い返していた。


「イメージが浮かばなかったんです、銃を撃って、狙ったところに当てられるイメージが、全然わいてこなかった。心の底では、できる、早く撃て、と自信を持って自分に命令してたってのに、オレの体はガチガチに硬直してました」


 初めてだから緊張していたのだろう、レンは戦場から帰還した後にそう結論づけた。


「何度か実戦の空気に触れれば、自然に体のほうが勝手に動くようになるって思ってましたよ。ところがそれからも、戦場へ出るたびに同じような現象が起こるんです。本番に弱いなんてもんじゃなかった。今みたいにそこそこ動けるようになるまでに相当長い年月がかかりましたよ。でも、本来の実力には程遠い。『フラッド』と戦闘した時も、十割の実力が出せていればもっと善戦できたはずなんです」


 模擬戦闘ならばかなりの実力を持っているし、人に指導をするのも上手い。なのに、実戦ではほとんど動けない。やがてついたあだ名が”新人教育のレン”。


「不条理でしょぉ? オレは幹部になりたくて、必死に修行を積んできたんです。その行きついた末がこれですよ。このノミの心臓のせいでオレの出世は困難を極めた。こんな話知ってますか? 三大幹部のうち、一人は必ず『紋付き』でない者に限られるっていうシステム。オレはそのワクを狙ってたんです。当時そのワクにいた幹部が引退間近だったもんでね」


 幹部になれば、逆に戦場の最前線に立つ機会は少なくなる。ならば、もしかしたら……? そんな淡い期待に頼るしかなかった。


「で、今そのワクにいるのはどなたですかぁ? 答えてください。ラクラ隊ちょ・う!」


「うッ……!」


 今、レンはラクラを力一杯に踏みつけている。いや、正確にはラクラと、男の死体を踏みつけて支配している。


「オレを退けて幹部になっちゃったクソ野郎のお名前はぁ?」


「……ヤ……ヤコ、ウ」


「イエス。ご名答」


 レンは上機嫌だった。長年のストレスと悩みを全てブチ捲けた愉悦があった。


「軍人の家系ですらないヤコウがオレを抜いて幹部になった。その時のオレの気持ちがわかりますか? エリート育ちのラクラお嬢様? えぇ? オレはあなたに対しても怒りを感じてるんですよォお? あっという間に現れて、あっという間にオレを追い抜いたんだから」


 ラクラは抵抗できなかった。背中を押さえつけられ、首筋に剣を当てられているという理由もあるが、それだけではない。頭がひどく痛むのを感じていたからだ。沸騰するような熱さが、傷口と脳を包んでいた。


「ま、その辺に関しては、ただの八つ当たりかつ嫉妬ですけどね。ええ嫉妬ですよ嫉妬! 才能のない凡人が天才に嫉妬してるだけ! オレはその嫉妬心を完璧に抑えられるほど強い人間じゃあなかったんですよ!」


 レンが吠える。が、本部にいるはずの軍人たちがやってくる気配はない。


「言っときますけど、ここには誰も来ませんよ。適当な雑務を与えたり休養を強いたりしておきましたから。不審に思ったテンセイ君が戻ってくるまで、ここには誰も来ません。周到でしょ?」


 レンの声は嬉々とした活気があった。それに反比例して、ラクラの神経は急速に衰弱していた。


「刃に薬を塗っておいたんです。なに命に別条はありませんよ。あなたは駒ですから。テンセイ君を始末するための駒として利用させていただきます」


 ラクラは悔いた。自分が幹部に昇格した際、”今日からは主従が逆転だな。というわけで、今日からはオレのことを呼び捨てて構わない。いや、構いません、隊長”と、自ら言ってきた男の真実を見抜けなかったことを。その後悔の念も意識ともに薄れていく。


「腹いせにヤコウの邪魔はしたが、テンセイ君を殺すという目的はちゃんと遂行する。それがあの方の望む結果なのだから」


 あの方……? それは、いったい何者? という疑問文を浮かべる前に、ラクラの思考は停止した。

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