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第107話・真の地獄

 こじ開けられたトランクの隙間から、かすかな寝息が漏れ聞こえた。テンセイは隙間に指を差し入れ、さらに左右へ引き離した。怪力に敗北したトランクは惨めに砕け、まな板上の魚のように開け放された。


「コサメ……よかった。無事だったか」


 予想通り、中にはコサメが閉じ込められていた。あれだけの破壊音の最中にいながら、コサメは寝息を立てたまま目を覚ます気配がない。ヤコウに睡眠薬でも入れられたのか、それとも窒息による影響が出始めていたのか、それは定かではないが、ともかく無事であった。


「いやぁ、本当によかった。テンセイ君なら助け出せると思って運んできたんだが、その甲斐があった」


 レンが頭をかきながら笑みを浮かべる。


「レン。よく彼女を発見してくださいました。あなたがコサメさんを見つけてくれなかったら、今ごろどうなっていたか……」


「なに、偶然ですよ。たまたまヤコウ様が外の倉庫のとこから出ていくのを目撃して、何をしてたのかと思って倉庫を覗いてみたってだけです。しっかし……」


 レンは息絶えたヤコウに近付く。ヤコウは、見ていて実に痛々しい死体となっていた。開かれた目は、底のない洞穴を連想させるほどに暗く沈澱している。何かを言いかけたままの口元からはなおも血が滴り、表情全体からは何十年も拷問を受け続けている囚人のような苦痛の感を放っている。


「まさか、ヤコウ様が裏切り者だとはね。オレはこの人が入隊した時からの付き合いでしたけど、こんな最期になるたぁ思ってませんでしたよ」


 ラクラとヤコウは、入隊直後はレンの部下として配属されていた。結果として、二人がレンを抜いて出世したことになる。


「コサメを部屋に寝かせてくる。ラクラ隊長、後で話がしたいんだが、いいか?」


 テンセイがコサメを抱きかかえて発言した。とにかくコサメが助かったという一事がテンセイの全てであり、この件に関しては解決したと見なしているようだ。


「……ええ。私も、……彼の、死体を、処理してから、そちらに向かいます」


 ラクラは努めて冷静に返した。だが、朽ち果てた盟友を見つめる瞳には、力がなかった。


 テンセイが去っていき、ラクラとレンだけが、何かを想いながら死体を見つめていた。凍るような時間が徐々に過ぎていき、やがてレンが口を開いた。


「隊長、ずっとこうしてても仕方ないですよ。今はとにかく死体をどこかに運びましょう。今すぐには無理かもしれませんが、いずれ葬儀をあげることになるんでしょう。このままでは死体が痛んじゃいますよ」


「……ええ……」


 返事はするものの、ラクラは動かない。


「隊長、そりゃあ、ショックなのはわかりますよ。隊長は入隊前からヤコウ様とお知り合いだったし、ウワサによるとお二人は……ああいや、これは何でもありません。ですがいつまでも落ち込んでいる場合ではないでしょう。幹部であるあなたがしっかりしてくれないと、軍全体が傾いてしまう」


 レンがラクラに近付く。今の地位で言えばラクラのほうが上だが、年齢も軍人としての履歴もラクラより上なレンの言葉は、ラクラにとって重要なものであった。ヤコウを失った今、その重みはさらに増す。


「……わかって、います。こんな事態になったからこそ、私が気を確かにもたなければ……」


 ようやくラクラは動き始めた。ともすえば震えそうになる肩を必死にこらえ、ヤコウの死体を運ぶべく一歩を踏み出した。


「そうですよ。あなたがいなきゃ大変なことになる」


 歩き出したラクラは、下腹部に違和感を覚えた。何かの衝撃が腰骨の上あたりにぶつかり、足がとまった。一瞬遅れて焼けるような痛みがやってきた。


「とても大変なこと。そう、例えばウシャスがゼブに飲み込まれちゃうぐらい、大変なことになります」


 衝撃を受けた部位に手を当てる。指先が固いものに触れた。視線を下げてそこを見ると、銀色に輝くものが、自身の腹部から生え出ていた。その付け根から血が流れ出している。ちょうど目の前に横たわるヤコウが吐いているものと同じ、生命の象徴である鮮血が、ゆるりとスーツを伝って流れている。


「これ、は……レン?」


「オレはね、隊長。”腕はそこそこたつが、実戦では実力を発揮できない。新入りに基礎を教えることだけがやたら上手い”『新人教育のレン』。そんなんだから、後輩のあなたたちに抜かされちまったんですよ」


 レンの声が耳のすぐ後ろから聞こえてくる。


「新人を育てるのが上手いおかげで、担当した部下が二人も幹部になれた。なぁーんて自惚れは言いませんよ。あなた達二人はあくまでも自分の実力で幹部にのし上がった。だから……余計に腹立たしいんです」


 突き出ていた剣先が引っ込み、背中から出て行った。ラクラは素早く精神を『紋』に集中させ、光銃を出現させた。が、遅かった。銃をしっかりと握るよりも前に、背中を思いきり蹴飛ばされた。


「うっ……!」


 ズン。腹の傷がうずき、反応を鈍らせる。気づいた時には足を払われていた。招かれるがごとく、ラクラはヤコウの死体に覆いかぶさるように倒れた。死体にまだ残ってた体温が伝わり、より生々しい死出の恐怖を感じた。


「あなたは今、悲しいでしょう? 苦しいでしょう? 逆にオレは嬉しくて楽しいですよ。そう、ヤコウ様がウシャスを裏切ってゼブについたって話を本人から聞いた時、オレの喜びは最高潮でしたよ」


 背中に重い質量が加えられた。レンの右足に踏みつけられているのだ。


「どっちみち、ヤコウ様はコサメを殺すつもりなんて微塵もありませんでしたよ。コサメに死なれて困るのはこっちも同じですからねぇ。どう転んでもコサメの命は助かることになってました。だって、あのトランクの鍵はオレが預かってたんですから」


 右足のカカトが、背中の傷にぐりぐりと押し付けられる。首筋に冷たい刃が当てられた。


「オレとヤコウ様が協力して、テンセイ君を追い詰めるってことになってたんです。でもオレはあの人が嫌いなんで、いいところで邪魔しました。ホラ、そのお陰ですっごい悔しそうなお顔をなされてるでしょぉ? 幹部さまぁあああ」


 ”狂気”。その言葉が、ラクラの脳内を激しく駆け巡った。

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