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第106話・不審ある最期

「グ……ッゥ……」


 ヤコウが血を吐いた。目をかっと見開き、食いしばった歯の隙間からドス黒い血液が噴き出させている。


 ラクラは見た。ヤコウのカウントがゼロを告げた瞬間、彼の身に何が起こったのかを確かに見た。だが脳で理解するには少々時間がかかった。


 カウントを終えたヤコウは、自分の頭に押し当てていた拳銃をテンセイに向けた。ヤコウの目的はテンセイの殺害。本来なら自分でテンセイを撃っても全く問題はなかったのだ。ただ、真正面から撃つだけでは一撃では仕留められない。テンセイの動体視力ならほぼ間違いなく急所を外すだろう。また、この状況では闇討ちも出来ない。だが”コサメを人質にした”という情報をあえて晒すことで、その情報が真実なのか、ブラフなのか、という方向へ相手の思考を導かせたのだ。そして五秒という短いカウントで焦りを煽る。浮足立ったところに一発撃ち込めば、いかにテンセイといえども反応が遅れる。


 事実、テンセイは動けなかった。目で銃の動きを捕えてから次の行動を起こすまでに、わずかなタイムラグが生じていた。この瞬間にヤコウが引き金を引いていればそこで全てが終了していただろう。しかし、それよりも早く、何者かの弾丸がヤコウの背に突き刺さった。


「おおおおおッ!」


 テンセイが吠え、一度止めた足を再び起動させる。怒りで固められた拳のハンマーが弧を描き、下方からヤコウのアゴを突き上げた。骨の砕ける音がにじみ、うつむきかけたヤコウの頭がぐんと後ろへ跳ねた。天井スレスレのところを頭が滑り、やがて廊下の冷たい床に倒れ落ちた。


 倒れたヤコウの近くに、一人の男が立っていた。男は左手に大型のトランクを持っていた。右手には銃を握っている。その銃口から硝煙が漂っている。


「レン……」


「途中からですけど、状況は把握しましたよ。ヤコウ様が裏切り者だったんですね?」


 ラクラの先輩であり最も近しい部下、レン・イールだった。レンが背後からヤコウを撃ったのだ。


「な……何を、レン! 彼を撃ってしまったらコサメさんが……!」


 ラクラの全身を流れていた暑苦しい汗が、瞬時に冷や汗へと変わった。ヤコウの話が本当だとしたら、コサメはいったいどうなる……?


「コサメならここです。外の倉庫ン中に閉じ込められてました」


 そう言ってレンが視線をやったのは、左手のトランクだ。旅行用のものらしく、かなりサイズが大きい。


「ま……まさかその中に?」


 黒い皮張りのトランクは中身が見えないようになっているが、その中に生物の気配が感じられた。


「……です。このトランク、よく見たら完全に密閉されてて空気が入らない構造になってます。しかも鍵がかかってて開けられません。鍵のありかはヤコウ様しか知らない、ということですね」


 ヤコウの言葉は真実であった。ヤコウが死んでしまっては、コサメをトランクから出す鍵が見つからない。トランクを開けられないまま時間が過ぎてしまえば、やがてコサメは窒息、死の淵へ向かうことになっていただろう。


「カギを他の道具でこじ開けようとしたけどムリでした。銃でブチ抜こうにも、中にコサメがいるんじゃああまり乱暴は出来ない」


「ヤコウ! 鍵を!鍵を出してください! あるいは鍵のありかを教えてください!」


 ラクラは仰向けに倒れたヤコウへ駆け寄った。コサメがこの中に閉じ込められてどのぐらい経つ? 中から全く反応がないということは、意識がない状態だろう。腕時計をはめていないので正確にはわからないが、廊下でラクラとコサメが別れてから少なくとも三十分は経っている。もし、気絶させられてそのまま目覚めていないとしたら……。


「ヤコウ! お願いします! コサメさんを助けてください……!」


「……ゥ……あ」


 床に跪き、ヤコウに覆いかぶさるようにして懇願する。


 白く美しい肌を汗がつたうのを、ヤコウは虚ろな目で見ていた。レンの放った弾丸は背中から急所を貫いていたらしい。


「ブグ、あぁ……ア」


 ヤコウが何かを話そうと口を開く。しかし、開いた口の中に血がたまり、満足に話せそうにない。ラクラは慌ててヤコウの顔を横に向けた。


「レ……ン」


 アゴの骨も砕かれてはいるが、少しはしゃべれるようだ。だがラクラの要求に応じる気配がない。


「……なに、を……? お前……」


「ヤコウ!? お願いです、鍵のありかを!」


 と、その時。野獣の咆哮が轟いた。


「……ッおおおおおおお!」


 ミシリ、と耳障りな音が聞こえた。テンセイだ。テンセイがトランクの両側を掴み、強引にこじ開けようとしている。


 鍵がないのならテンセイの怪力に頼るしかない。ラクラは祈る思いでテンセイを見守ることにした。だが無謀だ。いくらパワーがあっても、トランクには掴みどころがない。あるのは上に持ち上げて運ぶための取っ手一つだけであり、今は役に立たない。テンセイはトランクの角を掴んでいるが、皮張りでしかも角が丸いため十分にパワーが伝わらない。


「ぬううう……」


 汗をかけば、それで余計に滑りやすくなる。


「おおお!」


 無理……です。いくらテンセイさんでも……! ラクラがそう思った瞬間だった。


 バギン、と金具が悲鳴をあげた。テンセイの手はぴったりとトランクに密着している。異常な握力が掌中に真空の空間をつくったのか、万力のようなパワーが十二分にトランクを襲っている。


「テンセイさん……」


「ラク……ラ」


 ヤコウがようやくラクラに声をかけた。


「すま、ない……。わた、しは……」


 トゥエム、ではなく”ラクラ”。ヤコウは確かにそう言った。生命の糸が切れる断末魔のような声で。


「おお!」


 ヤコウの策は終わった。『紋』を持たない男の、全てがここで砕かれた。深い、深い絶望を持って……。


 だがラクラがその真の意味に気づくのは、もう少し後のことであった。まだ地獄は終わっていなかったのだ!

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