第102話・安息の部屋に潜む陰
ウシャス軍の三大幹部の内、ラクラとクドゥルは『紋付き』であり、ヤコウは『紋』を持たない。ラクラの『紋』の能力は、ある程度の光が必要という制約こそあるものの、中・近距離での戦闘において優秀な性能を持っている。これからの戦いにおいて欠かせない戦力だ。
が、クドゥルはそれ以上に重要な能力を持っている。クドゥルの『紋』が発する液体は、あらゆる物体の重量を受け止めて空中に浮かせる性質を有している。この水で船を空に浮かべ、通常では侵入不可能なサイシャの島へ向かう。それがテンセイの提案するプランであった。
「確かに、私の『紋』を持ってすればそれは可能だ。そのサイシャとかいう島へは行ったことはないが……。私を含めて五、六人程度ならそこへ連れて行くことが出来るだろう」
クドゥルは医務室のベッドに寝たまま、首だけを横に向けて話す。
「五、六人? 昨日の戦いではもっと大人数を乗せてたはずじゃ?」
会話の相手はテンセイだ。テンセイはコサメと一緒に本部へ戻ってきた後、ノームの様子を見るために医務室へ来ていたのだ。ノームの意識はまだ戻っていなかったが、ちょうど目を覚ましていたクドゥルに、次の作戦を話していたのだ。
意外にもクドゥルの対応は静かである。半日以上眠れば、怒りの感情を軍人幹部としての聡明さが上回るらしい。
「距離と天候条件が違いすぎる。この間のは、必要な移動距離がほんの二キロ程度かつ短期決戦を挑むことが前提だったから巨大戦艦を運搬出来たのだ。お前の話によると、ここからサイシャへ着くには、普通の船だと数日から一週間近い時間が必要なようだ。私の能力による飛行は海上を渡るよりも速度を出せるが……それでも一日のうちに、というのは不可能だ。おまけに年中時化が吹き荒れているような海域なら、ますます航行に消費するエネルギーが大きくなる」
仮に、体力を温存するため、ギリギリの地点まで能力を使用しないように決めても、通常の航海のままサイシャ周辺の時化を乗り越えるにはリスクが大き過ぎる。島の上部へ到達するだけでなく、時化の大波を回避するためにもクドゥルの飛行能力は必要である。
「距離や船の大きさ、武器類、そして万が一にも途中で墜落など許されない状況を考えると……やはり十人以上は連れて行けない。念に念を入れての人数が五、六人程度ということだ」
「そうか……」
反射的にテンセイは考えた。誰を連れて行く? 本来ならラクラやクドゥルが考えることだが、テンセイも少し考えてみた。
まず、能力者であるクドゥル。そして幹部のラクラ。ヤコウは……どうだろうか。幹部が三人とも国を離れていいものか? テンセイは当然ながら行く。テンセイが行かなければ意味がない。もちろんコサメもだ。ノームも連れて行きたい。と言うより、連れて行かなかったら後で散々文句を言われることだろう。他に誰かを連れて行くとしたら、レンか?
「それはともかくとして、この件、当然ウェンダ様の許可は取っているんだろうな? あの方の性格と主義からすると、主要戦力を政府や本部から遠ざけることは認められないと思うが……」
それはもちろん、許可など取っていない。今クドゥルが言ったように、ゼブから睨まれている現状で、国を防衛すべき戦力が減ることをウェンダが望むわけがない。
そして何より、ウェンダは全く違うことを望んでいる。テンセイ、コサメ、ノームの殺害処分。現時点でこの三人が生きていること自体、ウェンダにとっては望まぬ状況である。
「『フラッド』との戦闘成果の報告も含め、ウェンダ様と話がしたい。だが、私の方から出向くことが出来るようになるにはまだ時間がかかりそうだ。ラクラかヤコウからウェンダ様へ連絡してもらいたいところだが……」
「……ええ。伝えましょう」
ラクラがやってきて答えた。
「テンセイさん。あなたと話をしたいことがありますが、お時間はよろしいでしょうか? 小会議室を開けておきましたのでそこで」
「ああ。ちょうどこっちから会おうと思ってたとこだ」
テンセイが立ち上がろうとする。
「先ほど、コサメさんに会いましたわ。算数の問題を教えてあげました」
ラクラのこの一言で、一瞬テンセイの動きが止まった。
「……ああ、ありがとう。ヒマがあったらちゃんと勉強させてやりたいんだけどな」
「フン、子どもの勉強か。こんな状況で呑気なものだな」
クドゥルが余計な口を挟んだが、口調にはそれほどトゲがない。
「では行きましょう。テンセイさん」
ラクラとテンセイは医務室を出て行った。残されたクドゥルは、顔を上に向けて天井をにらんだ。ともかく、今のクドゥルに出来る事はじっくりと体を休めることだ。自分が満足に動けるようにならなければ何を始まらない。クドゥルは静かに目を閉じた。太ももを刺された傷はまだ痛むが、だいぶ楽にはなってきた。
隣にはノームが眠っている。他に患者はいない。本部から派遣された軍人達は結局ほとんど戦闘をしなかったため、負傷もない。東支部所属の軍人達は、半数以上が死亡していた。ごくわずかに生き残った者も、全員が重い負傷のため軍外の病院に入院している。もっとも、入院患者のうち無事に退院できる可能性のある者は数えるほどしかない。
(全く、とんだ大失態だ。この埋め合わせは必ずする。恥をかいたままで済ませてたまるか)
また怒りが湧いてきそうになるのを感じ、クドゥルは頭から毛布をかぶった。毛布越しに、時計の針のチクチクと夜を刻む音だけが聞こえてくる。やはり疲労が大きいらしく、昼間さんざん寝たにも関わらずすぐに眠気が迫ってきた。
だからクドゥルは気づかなかった。クドゥルとノーム以外に患者はいないはずなのに、もう一人の気配が室内にあることに。軍医でもない。招かれざる侵入者がいたことに気づかなかった。