第1話・小さな村の大きな男
【Dr.サナギの研究資料集・王歴46年の新聞記事より抜粋】
――ソテツの街の民家にて、奇妙な赤子が誕生。両親はともにごく一般的な平民。その赤子、生まれながらにして額に『紋』のようなアザがあり。『紋』は円形で直径およそ2センチ、光沢のある紅色をしているため平面に描かれたルビーのようにも見える。
赤子はアキツと名付けられた。
【王歴49年】
アキツ、三歳。真夜中に突然目を覚まして、大声をあげ、その声で両親の目を覚ました。両親が見たのものは、ベッドから1メートルほど体を浮かせ、眩い光に包まれて泣きじゃくるアキツの姿であった。驚いた両親が手を伸ばすと同時に光は消え、アキツはベッドへ落ちた。無傷であった。
この出来事は、寝ぼけた両親の夢物語として片付けられた。
【王歴52年】
6歳のアキツは、年上の友人たちに連れられて近所の川へ遊びに行った。アキツは幼いゆえに川の中には入らず、川原の石で遊んでいた。しかし、ふとしたことで足を滑らせ、深みへとはまってしまった。友人たちがアキツを助けようと近づいたとき、ふいに、アキツの体が光に包まれた。
「光の中に、馬みたいな四本足の生き物が見えました。額のところから大きな角が突き出ていて、本で見た一角獣みたいだな、と思いました。その背中にアキツが乗っていて、一角獣は川原までアキツを連れて行き、あっという間に姿を消しました」
目撃者の少年の一人は、後にそう述べた。
これが、『紋を刻まれたもの』の起源である。
――王歴132年――
よく晴れた朝だった。ゆるやかな風が草の上を走り、緑の匂いを運ぶ。木々は太陽の光を思う存分に浴びてその色を濃くしている。
学校へ向かう一人の少年が、土手の草むらに寝転がる男を見つけて話しかけた。
「おっさん。こんなに暑いのに、よくタバコなんて吸えるなぁ」
「んー?」
「顔のすぐ近くに火ィつけたりしてサ。熱くねぇの?」
――そうかもしれないな。
「おっさん」と呼ばれた男は、ムクリと体を起こし、タバコを口から離した。
大きな男だ。2メートルを越すか、越さないかの長身であり、その肉体はぶ厚い筋肉に覆われている。肩まで伸びた髪を無造作に結っており、アゴには無精ヒゲを生やしている。齢は32。
「暑いのに火を使うってのも、考えてみたら妙だな。……氷タバコ、なんてのがあったらいいんじゃねぇか?」
男の言葉に、少年は首をかしげる。
「氷タバコ?」
「おお。火のかわりに氷でタバコを吹かすんだ。それで、そこから出る煙も冷たく、すーっと体に沁み入るんだぞ。ま、どっちみち喫煙の習慣は今日で終わりにするつもりだしな」
「バカバカしい。そんなのあるワケないだろ、おっさん」
「だから、あったらいいなって言ったんだ。そのぐらいわかれ」
男は呆れた表情でタバコをもみ消す。男の名はテンセイ。
「さぁて、そろそろ仕事に行くかな。愛する村と家族のために」
「おっさんに家族はいないだろ」
少年が口をはさむと、テンセイはまたも呆れた顔になった。
「何言ってんだ。コサメがいる」
「コサメはおっさんの子どもじゃないだろ」
「血は繋がってなくても、同じ家に住んでりゃあ家族だ。俺の中の辞書ではそう定義してる」
何言ってんだか。とでも言いたそうな表情で、少年は肩をすくめて見せた。チチチ……と鳥の鳴く声で、自分が登校途中だったことを思い出す。
「それじゃあな、おっさん」
「おう。ケイ坊もちゃんと学校行けよ」
ケイ坊を見送ったテンセイは立ち上がり、背についた草を払う。山のように大きな男は空を見上げ、改めて言った。
「いい天気だな。本当に」
テンセイが己の職場に到着した時、一人の老人が出迎えた。
「おう、テンか。ちょうどいいところに来たな。肥料を運ぼうとしていたんじゃ」
「そいつぁベストタイミングだったな。爺様に肥料袋を抱えさせたら腰が折れちまう」
「何を言うか。ワシはまだまだ現役じゃ」
小さな村の、大きな農場。それがテンセイの職場である。この村は周囲を山に囲まれており、他の町との交流が困難である。そのため、自給自足が出来るよう、農業が発展しているのだ。
「マメの生育はどうだ?」
「まずまず良好、といったところじゃな。今年は雨が適度だったからな」
会話をしながら、テンセイは肥料袋をかついで運んで行く。肥料袋は見た目よりも遙かに重く、常人なら精々同時に2、3袋を抱えるのが限界だ。だが、テンセイは両肩に四袋ずつ乗せて運んでいる。
「不思議じゃなぁ……。お前さんには『紋』が付いておらんのに、何故そんな常識離れした力が出せるのか……」
この時代、生まれながらに『紋』を有する者は全世界の人口の二割近くにまで増加していた。”『紋』を有するものは常人離れした奇妙な力――俗に言う超能力を使うことができる”という事実は、誰もが知る常識の一つにまでなっていた。
テンセイは『紋』を持たない人間である。
「ガキの頃から……んしょっと。こうやって農作業ばっかしやってんだ。そりゃあ鍛えられるだろ」
「そりゃあ、そうだがな」
この農場の主であると同時に村長を務めている老人・ラシアは杖によりかかって考える。
「変わっとると言えば、コサメもだな。アレも奇妙なケースだ」
「奇妙でも何でもいいぜ。俺の大事な家族なんだからな」
従来なら数時間を費やする仕事をあっという間に片付け、テンセイは微笑んだ。