201話 幕間 怨恨の上澄み
魔法協会のとある役員室――
理事のディネティーを中心に、役員のベルデータと、同じく役員のグシオンが並び座る。
魔法協会の最高権力者の三人だ。
向かいには冷や汗をだらだらと垂らしながらメモに目を通す男。
大魔法病院の責任者であり、名をヘリッポという。
一心不乱にメモを読みこんでいるのだが、実のところヘリッポはメモの内容は全て覚えている。
――――のだが目のやり場が無いのでメモという活字の世界に逃げ込んでいるのだ。
さて集まった理由だが、勿論――
グシオンが一つ咳ばらいをし「では—―始めようか」と言う。
役員三名の中でグシオンが一番若い。そのため進行は彼が行うことになる。
「こ、この度はお集りいただき……、いや……えっと……そのうぅぅ」
「御託は結構。報告をしなさい」
ヘリッポは「はい」と言おうとしたのだが、肺の酸素が足りず笛のような音が彼の口から洩れた。
首に伝わる脂汗は、彼の緊張を如実に表している。
「さ、昨日深夜…………大魔法病院に侵入者が侵入しました」
侵入者なのだから侵入したのはあたりまえだが、ヘリッポの思考回路は正常ではない。
役員の三名もそれを理解してか、少し柔和な雰囲気で彼の緊張を解こうとしている。
「お、恐らく、炊事場から侵入したと思われます……。も、もちとん、鍵はかかっていました!」
『もちとん』とやらは何かわからないが、グシオンは気にせず質問する。
「鍵がかかっているのに……どうやって入ったんだね?」
「そ、それは……わかりません。ただ……炊事場から逃げられました」
「ん? 炊事場から侵入したという話では無いのか?」
「え? あ? 炊事場から逃げられたので……炊事場から侵入されたものだと……」
グシオンは眉間に皺を寄せた。
「つまり、炊事場から逃げたのはわかったが、侵入は炊事場以外からかもしれないのか?」
「あ……あ~そうかもしれませんね」
グシオンは嘆息する。
ディネティーは身じろぎせず、見守っている。
ベルデータは黙っていられなくなり、「ゴホン」とわざとらしく咳をし――
「だが、大魔法病院は侵入者を警戒しているはずでしょう?」
「も、勿論です! 窓には格子、そして正門には一日中警備員を配置しております!
正門で異常はありませんでしたし、格子も破損はありませんでした。
す、炊事場も食材の搬入以外では鍵を開けたりしませんし……」
「だが現に侵入を許しているではないか」
「そ……それはそうですが……」
「となれば、鍵を持っている人間が手引きした可能性も考えられる」
ヘリッポは目を見開いた。
「りょ、料理長はそんなことしません」
「ではどうやって侵入したのだ?」
「そ、それは……」
グシオンが、「もしかしたら警備の漏れがあったのかもしれませんね」と口を挟んだ。
それに対しヘリッポは顔を赤くし、「そんなことはありません!」と声を少しだけ荒げる。
この事件はヘリッポにとって、平穏な生活を脅かす大事件だ。
警備に十全を尽くしているはずの大魔法病院に侵入者だ。
今までに前例が無く、責任問題にもなりかねない。
特に外部犯なのか内部犯なのかは非常に重要だ。
内部犯であれば、心証は非常に悪くなってしまう。
「警備は万全でした。当日の警備員全員から話を聞きましたが、普段と変わらなかったと。
す、炊事場の鍵は……確かに開いていましたが……それだって……なぜ開いていたかわからないんです」
その後も話は進展しなかった。
ヘリッポは自身の保身のため、涙ぐみながら状況報告をする。
それに対し、ベルデータとグシオンは重箱の隅をつつくように質問する。
だが、答えは何も出ない。
答えを出すにはあまりにも材料が不足しているからだ。
誰が忍び込んだのかもわからない。人数もわからない。
何せ目撃者はいないのだ。目撃者はナーダルに意識を奪われた男性のみ。
その男性も、「黒い影に襲われた」としか覚えていなかった。
どうやって忍び込んだかもわからない。
炊事場から忍び込んだように推測されているが、確証はない。
大魔法病院周辺の見回りに誰一人見つからず、綺麗に鍵を開け侵入することが果たして出来るのか半信半疑なのだ。
内部犯の可能性、侵入ではなく事前に忍び込んでいた可能性もある。
結局わからないのだ。証拠が無い。
一通り話し合いという名の不毛な時間が終わる。そして――
「ふむ」
沈黙を守っていたディネティーが言葉を発する。
注目は一気にディネティーに集まり、皆当然のように沈黙しディネティーが話すお膳立てをする。
「事実をまとめましょうか」
皆の背筋が伸びる。
「まず、どうやって侵入したかはわかりませんが、賊が大魔法病院に侵入した。ここは間違いないでしょう」
ゆっくり、優しい声で、皆の同意をとる。
「そして、保護中だった職員のエリッタさんを拉致した。
施錠されていた鍵は、見事に解錠されていたわけですね」
「は、はい」
優しい笑顔には、反論を赦さない強者の威嚇が含まれていた。
ヘリッポは痛いところをつかれているものの、ただ返事をするしかできなかった。
「鍵の件に関しては、専門家にでも聞いてみましょう。
内部犯の可能性もありますが…………まあ、その線も含めて調査を行いましょう。
ヘリッポ。その件はお任せしますね」
「は、はい!」
ヘリッポは任されることに安堵する。
ディネティーはヘリッポを責めるつもりはない。
油断はあったかもしれないが、ヘリッポの怠慢ではないと確信しているのだ。
ディネティーは話を続ける。
「そして、炊事場から逃げる前に、見回りの職員一名を気絶させている」
ディネティーは自身の首を人差し指でトントンと叩き「首に一撃でしたね?」と確認する。
「そ、そうです……」
「ふ~む、その方には後でお見舞いでも伺いましょうか」
「そ、それは大変喜ぶと思います!」
「ふふ、それは良かった。
何せその職員の方がいなかったら、拉致事件ではなく、神隠しになってしまうところでしたからねえ」
少しおどけて話すディネティーに、ベルデータとグシオンは同調する。
「は、はは、は」
だがヘリッポは笑っていいのかわからず、小さく笑い声を出すだけに留めた。
「しかしまあ……今後、警戒レベルを上げる必要はあるでしょうね」
「全くその通りですね」
「見回りは何をやっていたんだ!」
ベルデータとグシオンは更に同調する。
「ふふ、まさか大魔法病院に侵入者がくることなど想定していませんでしたからね。
これは仕方のないことです。ずっと平穏でしたからね」
ディネティーは水で口を潤した。
「それに屋内の見回りは、侵入者のためでは無いですからね。
責めることはできないでしょう」
「それはまあ……」
「そうですね……」
「まあ、不幸中の幸いは、例の場所に侵入されたわけではないという事ですね。
あの場所だったとしたら…………まあいいでしょう」
ディネティーは柏手を打った。
「とにかく警戒レベルを上げましょう! ヘリッポ」
「は、はい!」
「まずは一週間、警備の人員を増やしましょう。必要に応じて応援も派遣します。
グシオン」
「はっ!」
「ヘリッポのサポートをお願いします。ヘリッポは優秀ですが事態が事態です。
フォローをしてあげなさい」
「わかりました」
「宜しくお願いします」
ディネティーは微笑んだ。
「それでは一旦お開きにしましょう。次はまた三日後に」
――――
ヘリッポとグシオンは大魔法病院に向かった。
今後の警備体制の確認と、再度の状況確認のために。
そして部屋にはディネティーとベルデータが残った。
「ふう……」
「お疲れ様でした」
ベルデータはディネティーに水を渡す。
「ふふ、ありがとう」
「しかし……災難でしたね」
「ええ」
「やはり……犯人は?」
「間違いないでしょうね。エリッタだけを狙った時点で確定でしょう」
静寂――
ベルデータは考える。
(ディネティー様の命令故、死神を派遣したが……
まさか生存し、更に侵入事件とは……。例の男は何者なのだ……?)
「あの……」
「どうされました?」
「その……アカイという男はなんなのでしょうか?」
ディネティーは柔和な顔を崩さない。
だがベルデータは冷や汗をかいた。
ベルデータとディネティーの付き合いは長い。
二十年以上の付き合いであり、ディネティーの思考や判断基準は手に取るようにわかる。
だからわかったのだ。ディネティーが『全てを話すつもりは無い』ということを。
そして後悔する。踏み込みすぎたか――と。
ブライト王が四十年近く前に失踪した後、大きく荒れた王都をリーダーシップと規律で立て直したのがディネティーなのだ。
故に魔法協会の最高権力者である。誰もが認める存在なのだ。
他にも商業協会とハンターギルドがあり、形式的には三権分立体制だが、
その中でもディネティーは異質であり圧倒的な存在なのだ。
そんなディネティーに疎まれれば、魔法協会の実質No2のベルデータとて一巻の終わりだ。
「風紀を乱す者――――ですね」
「そう――ですか」
静寂が流れる。
これ以上は聞いてはいけないと思い、ベルデータは押し黙る。
「例の男……」
「は」
「例の男の動向は探れるのでしょうか?」
「う~む」
ベルデータは考える。
考えるといっても、考えている内容は動向が探れるか否かでは無い。
ベルデータの本音は、アカイという男の調査をもう打ち切りにしたいと考えていた。
何せアカイという男は、いつ現れるかわからない。
シェルナイドという商人とつるんでいることは把握しているが、シェルナイドという男は優秀であり馬脚を露すとは考えにくい。
(住んでいる場所は…………信じられないぐらいの田舎だと聞いているしなあ……。
人員を動かすのも……どうしたものか)
打ち切りたいという本音と、そうは言えないディネティーの雰囲気。
そして出した結論は――
「善処……します」
「ふむ、お願いしますね」
そしてベルデータは外に出た。
(何故…………あれほど執着しているのだろうか??
死神を切る判断も異常に早かった…………いつもは非常に慎重な方なのに……)
ベルデータは答えを出せず、一人唸った。
ディネティーの執着にはベルデータでさえ知らぬ理由があるのだが、それを知る人物は本人だけなのだ。
――――
ディネティーは自室に戻り、席に着いた。
「ふう」
魔法協会の理事としての仮面を脱ぎ、無表情な顔になる。
顔を両手で擦り、鋭い眼光でアカイという男を思い描く。
と言っても殆どがディネティーのイメージで造られたアカイだ。
なにせ赤井とディネティーは一度だけ、魔法ショップにてすれ違うレベルで邂逅しただけだ。
勿論顔は覚えていない。170センチ程度の身長、黒い頭髪、田舎臭い衣服。
その程度しか覚えていない。覚える必要など無いと思っていたのだから仕方がないだろう。
魔法協会職員がエリッタに対し聴取した際――
エリッタは「そういえば、ディネティー様とも会ってますよ~確か」と発言したのだ。
それを聞いたディネティーは、薄まりきった記憶を繋ぎ合わし、なんとかアカイという対象を作り上げた。
明確に【敵】として。
ディネティーは呟く。
「あの男は始末せねばならない……。余りにも……危険だ」
赤井は知らない。
殺意の対象になりうる十分な理由がディネティーにあることを。
そして理由を知るのは、ずっと先であることも。




