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リュウトが馬に怯えながらベルに揺られること数時間。なんとか夜になる前にケランダルの城壁が見えてきて、騎士たちにも安堵の気配が漏れる。
「気を引き締めろ! まだまだ城壁は遠いぞ!」
その空気の弛緩に気づいたクォーゲルの一喝で、慌てたように騎士たちの空気が張り詰める。日は落ちはじめ、あと3時間ほどであたりは漆黒の闇に閉ざされるだろう。
「ルディ、速度をあげろ! 到着が早いに越したことはない! リュウト殿、行きますぞ!」
「了解です! 行くぞ、ベル!」
風が強くなってきた。お互いに大声をあげて伝達事項を確認しながら、一団は徐々に速度を上げていく。見渡す限りの草原に、かろうじて道のようなものが見え始めた。途中まで作られたものの、結局放棄された街道だ。馬にかかる負担を考慮しながら、それでも速度を上げていく。
こういった速度管理は騎士になるにあたって重要なスキルの1つである。目測で図れる距離から馬の体力などを計算し、適切な速度を選ぶ。こればかりは経験とセンスがものをいう世界であり、ルディはペース配分の才覚があった。遅すぎず、速すぎず、適切な速度を保って走る馬たちと黒狼。もっとも、ベルは涼しい顔で馬の速度に合わせていたが。魔獣の中でも強者の一角である黒狼にとって、馬の駆け足は早歩きくらいの感覚である。
3時間かかる道を2時間で走破した一団は、無事夕暮れ前にケランダルの町に到着することに成功したのである。
「ようこそ、ケランダルへ! クォーゲル様、こちらの方は……?」
「ああ、詳しいことは言えないが、私の客人だ。通してほしい」
「はっ、了解しました!」
「おお、これが権力……」
門を守る衛兵の誰何の声に、クォーゲルは一言で押し通した。それを問題に思うことなく敬礼する衛兵の姿に、リュウトは呆れたような視線を向ける。この世界には姿や声を偽る魔術も存在し、その程度のセキュリティでは不審人物を完全に防ぐことなどできないが――そもそもそこまで高度な魔術を操る魔術師なら、衛兵ごと門をぶち破れる。そういう意味では問題はないのかもしれなかった。
「って、ええっ!? こ、黒狼……!?」
「反応遅っ!」
リュウトが乗っているベルの姿を確認した衛兵が慌てて槍を構える。が、その槍の穂先は振るえていて、とても戦えるようには見えない。リュウトは生暖かい笑みを浮かべるとベルから飛び降りて、ベルに優しく話しかける。
「お前は戻っていいぞ、ベル。また何かあったら呼ぶからな」
ベルを町の内部に連れて入ることは、元から無理だろうと思っていた。黒狼という戦力を失うのは痛いが、ベルにも生活がある。やたらよく食べる黒狼とともに旅を続けるのは現実的ではない。
「おお、帰らせてしまうのですか?」
「はい。そもそもベルとは友人関係なので、そこまでお願いすることはできないんですよ。ベルにも生活がありますから」
ベルに甘えられ、地面に押し倒されながらもリュウトは会話とベルの頭を撫でる手を止めない。地面に押さえつけられながらも会話を続けるその様子は、リュウトがどれだけベルに押し倒されてきたのかを示しているかのようだった。
ベルは別れを惜しむかのように長々とリュウトに甘え、第二騎士団と衛兵がそれを眺めるという光景が続いた。唯一の女性であるクラリエは、ベルとリュウトのじゃれあいを羨ましそうに見つめていた。
「ではリュウト殿。この後の移動はどうされますか?」
「ケランダルには、竜御者屋があるでしょう。そこで走竜を借ります」
「……失礼ですが、お金はお持ちですか? 竜を借りるのは少々以上に値が張りますが……」
「師匠の遺産を少しもらったので大丈夫です」
「なるほど、そうでしたか。いや、申し訳ない。こちらとしても路銀が潤沢というわけではないのです」
申し訳なさそうにするクォーゲルに、リュウトは笑って頷く。辺境に住むかつての英雄を迎えに行く、という任務は決して軽視していい任務ではないが、そこまで重要な任務というわけではない。おそらくクォーゲルには各領地の貴族から路銀を受け取ることもできるのだろうが、かつての英雄であるガーゼルに路銀を融通する者はいても、その弟子であるリュウトでは弱いと考えているのだろう。
(まあそうだろうな。ある意味任務は失敗だ、そこで馬が苦手だから走竜を借りたいなんて名目で路銀が得られるとは思えない……)
いざとなったら彼らを呼び出すことも視野に入れつつ、リュウトと第二騎士団は門を潜った。
ケランダルに入ってまずリュウトが思ったのは、活気がない、ということだった。リュウトが半年ほど前に一度訪れたときは、もう少し人通りも激しかったし、なにより商品が大量に並んでいた。だというのに今は道行く人々は項垂れ、店には閑古鳥が鳴いている。ゴーストタウン――とまではいかないが、閉塞された絶望感が漂っている。
「な、なんだこれは……私たちがケランダルを出て五日の間に、いったいなにがあったのだ!?」
ルディと呼ばれていた騎士が、仰々しく驚く。その言葉にはどこか胡散臭さが漂い、リュウトは訝し気な目線を向けた。声はまだ年若い騎士の物だが、どこか無理しているような言葉遣いだ。
だが、少なくとも五日前に第二騎士団がここを出発する時にはもう少し活気があったということだ。驚き方からすると、少しどころではない活気があったのかもしれない。
「おい、そこの者! いったいなにがあって、ここまで活気が落ち込んでいる!?」
「……ああ、これは騎士様。いや、領主様が食料を徴発したんです。なんとか生きていくくらいはできますが、これでは生活が……」
疲れたように答えた老婆。痩せこけてはいないが、活力というものを失っている様子だ。
「――フィリンダナ卿が」
住人の言葉に、驚いたように目を見開くクォーゲル。リュウトは信じがたいがあり得ない話ではない、という顔をして住人の言葉を聞いていた。
フィリンダナ・ビットフール。この南の辺境の地を治め、人となりは悪くないと聞いている。善政というほどではないが、自領の民にはそれなりの気遣いができる貴族。それがいきなり、民を困窮させかねない食料の徴発を行うだろうか。
(ビットフール家は、騎士の家系だ。兵站の重要性も、食に対する理解も深いはず。なんだってわざわざ住人の不安を煽るようなことを……)
可能性は大きく分けて2つ。
1つは、フィリンダナ・ビットフールという人間が、ろくでもない人間だった場合。食料の徴発で私腹を肥やし、亡命しようと考えている可能性。反乱、という線は薄いだろう。なにせ戦争をしている相手は魔王軍だ。魔王軍に寝返ったところでいい結果は得られない。ただ、金を稼いで夜逃げしようとしている可能性はある。しかしこれは、わざわざ第二騎士団がここにいるときにやる必要はない。帰ってからゆっくりやればいい話だ。
もう1つは、なりふり構わずに戦争の準備をしているという可能性。しかしこちらも、とち狂って帝国に反乱を起こすのであれば、わざわざ第二騎士団に情報を与えることはない。やるならもう少しひっそりとやるだろう――であれば。
「何か魔王軍との戦線で、よくないことが起きたのかもしれませんね」
それぐらいしか思いつかない。リュウトは口の中で素早く文言を唱えると、魔術を起動する。
「汝、我が耳目の代わりを果たせ――使役魔術:同期」
静かに呟いたリュウトの視界が、遥か上空から砦を見下ろす。現在魔王軍との戦争の第一線は、デガルジ砦と呼ばれる城塞だ。左右を山に挟まれ、この砦を落とさない限りは軍の侵攻などほぼ不可能。魔王軍ならその身体能力に物を言わせて山越えも無理ではないだろうが、まあそういったことは起きていないようだ。
リュウトは視界を借りている使役魔を操作し、砦のすれすれをかすめるように飛行する。デガルジ砦には多くの兵士たちがいて、とりあえずデガルジ砦が落ちたわけではないらしい。そのまま迫力を誇る魔王軍の陣容に迫る。
まず目につくのは巨大なこん棒を持ち、砦を睨みつける巨人族の一団。その数は4。数こそ少ないが、バカげた体力と膂力で暴れまわる彼らに、帝国側はいくつもの城を落とされている。身長4mに届く巨人など、どう戦えばいいのかわからないだろう。だがここに来るまでに2人の巨人が殺されており、魔王軍側も使い潰すような戦い方はやめている。
巨人族とは対照的に数が多いのは小鬼族か。額から一本の角を生やした小柄な鬼だ。身長は1mにも満たないし、装備は粗末。錆びが浮いた剣にナイフ、果てには鍬や鎌など、人間から奪った武器しか身につけていない。ぼろ布のような服しかまとっていないため、防御力はない。
しかし、リュウトは知っている。身が軽く、素早い小鬼族が多くの人間を殺してきたことを。特に追撃戦、略奪時などは小鬼族ほど向いている種族はない。匂いに敏感でどこに隠れようと彼らは人間を見つけ出す。そして錆びてようが壊れかけだろうが農具だろうが、彼らが持っているのは武器なのだ。小鬼族に見つかった人間の末路は悲惨だ。
(ふむ。特に異常は見当たらないが、せっかくだ――もう少し偵察をッ!?)
リュウトがさらに詳しく偵察しようとした時、魔王軍の遥か後方から無数の炎が飛んできた。ちらりと発射点を見れば、金色の髪に背中に背負った弓。前に突き出した両腕からは、新たな魔術を準備する気配を感じる。その特徴的な耳を見れば、彼らがなんなのかはすぐにわかった。
(耳長ッ……精霊族か!)
リュウトがそれを確認した瞬間、使役魔に炎が着弾。一瞬で焼き鳥になった鳥が墜落し、リュウトの意識はケランダルの町に戻ってきていた。
「とりあえず、ジガルデ砦が落ちたということはなさそうです、クォーゲル殿」
「なんと! このような遠方から確認する術があるのですかな?」
「まあ、はい。使役魔と呼ばれる、一種の魔術生物です。実際に生きている生物ではありませんので、意思を持たない現象と考えてください」
「うむ、さっぱりわからんが、すごいですな!」
魔術に対する理解度は、なにもクォーゲルが特別というわけではない。明確に区別されている呪術も、魔術と混同されている。これは魔術を扱う者が情報を秘匿し、かつその魔術内容は多岐にわたり個々人の資質に左右されることが大きい。
得意分野において無類の力を発揮するが、それ以外はてんでダメ。それが魔術師という存在だ。
例えば、【探求】のガーゼルが『調査』に特化した魔術系統を持っているのであれば、【不屈】のリュウトは『生物』に特化した魔術系統を持つ。魔術の訓練を受けていないミラだが、実はその身に魔術の素養を秘めている。彼女の魔術系統は『空間』であるが、いまだその系統は制御下にない。あまりにも理解と行使が難しい分野であるからだ。
閑話休題。
「つまり、決して焦るような戦局ではありません。もちろん、私が確認したのはうわべだけの情報です。もしかすれば、貴族様でしか知り得ない情報があったのかもしれません」
「ふむ。その可能性は大いにあり得ます……ともあれ、とりあえずはフィリンダナ卿のもとに向かうとしましょう」
「そうですね……現状把握が優先されると思います」
「【探求】のガーゼル様の情報もお伝えしたい。心苦しいが、同行していただけますか?」
「ええ、それは問題ありません。汝は我が元より飛び立ち、世界を知る道しるべとなれーー使役魔術:二重構成、形式『鳥』――『鼠』」
リュウトは魔術によって使役魔を2匹生み出すとそれぞれを解き放った。鳥は勢いよく飛び立ち、ジガルデ砦――北の方向に飛んでいく。指定ポイントに到着すれば、あとはこちらの指示を待つことになる。魔力の塊である使役魔は、魔術や精霊術による探査にめっぽう弱いが、逆に言えば魔術の素養がないものには気づかれる心配が少ない。
放たれた『鼠』もすばやくその身を隠した。
周囲の騎士や住人は、飛んでいった『鳥』に注意が向いており、もう片方の『鼠』には気づいていない。リュウトも細心の注意を払って小声で呟いたので、気づかれてはいないだろう。
(辿れ)
使役魔である『鼠』は何も答えず、ただ主の指示に従って行動を開始した。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか……)
リュウトは少しばかり気分が高揚してくるのを感じながら、第二騎士団とともにビットフール家の屋敷へ向かった。