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不屈の魔術師  作者: 栗
1/3

見切り発車大好きマンの登場だよ!

「とうとう来ちまったねぇ」

「天からのお迎えですか?」


 老婆の呟きに、少年が答えた。椅子に座って空中を見つめていた老婆は、その視線を鋭くして少年を見据えた。


「失礼なことを言うんじゃないよ、小僧」

「おっとそれはすみません。天からではなく地獄からですか?」

「よぉし、首出しな。落とす」


 老婆が包丁を取り出し、少年が両手を上げて降参のポーズをとる。ニコニコと笑っている少年の顔を見て、いつものしょうもない掛け合いだと判断した老婆は包丁を片付けた。


「全く。こんな老骨まで引っ張り出して、どうしようっていうんだろうねぇ……」

「相手は騎士団ですか?」

「そうだねぇ。あいつらには魔術も効きづらい、こりゃあ、あれかね? ほら、お前さんが言ってたやつだよリュウト」

「年貢の納め時?」

「そう、それそれ。魔族との戦争に参加するくらいなら、この森でひっそりと朽ちていきたいんだが……」

「まあそれは無理でしょうね。魔王軍には精鋭も多くいます。特に今回の魔王は強敵ですね。登場後わずか半年で軍勢をまとめあげ、巨人族、魔狼族、鳥翼族、鬼族、吸血鬼族、竜人族、などなど複数の種族の特色をうまく生かしています。いやぁ、巨人族の拳で城壁粉砕して魔狼族で突撃するわ城主を吸血鬼に眷族化させたりやりたい放題ですね! 師匠クラスの魔術師一人では進撃は止まらないかと」


 ニコニコと物騒な話題を喋る、リュウトと呼ばれる少年。その笑みは深く、本心から面白がっているように見える。だが、親しい人間や見る者が見ればわかるだろう。彼の眼が、全く笑っていないことに。

 優しげな外見をしているリュウトだが、その本心を見通すことは難しい。彼は常に仮面をかぶっており、師匠である老婆ですら、彼の考えのすべてを把握しているわけではない。


 老婆は人間たちの苦境を一切考えていない様子の弟子に溜息を吐き、愚痴をこぼす。


「魔王軍に人間が滅ぼされるのはちと困るな。まあさすがにここまでは来ないじゃろうが……」

「いや、来ると思いますよ。深淵の魔女、森に生きる者、大樹の守護者――師匠の名前は国外まで響き渡ってますからね」

「ぐぬ。だがこの老いぼれが行ったところでどうにかなるもんじゃないじゃろ?」

「まあ、そうですね。師匠はあんまり戦闘とか得意じゃないですし?」

「ミラの件もあるしこの森を離れたくないのぅ……」


 老婆とリュウトはキノコを採りに言っている少女の姿を思い出し、溜息を吐く。本当の孫のように溺愛している少女から離れたくない老婆は、リュウトの様子を窺う。リュウトはもう一度大きな溜息を吐くと、準備を始めた。


「わかりましたよ、師匠。僕も師匠には恩がありますから。そんな『頼む~この老いぼれ生涯に一度のお願いじゃ~これさえやってくれればなんでも言うこと聞くし秘蔵の酒もやるから~』みたいな目で見られたら断れません」

「そんな目はしとらんぞ!? あとあの酒はやらんからな!?」

「まだあったんですかあれ。国王陛下でもほいほいと開けられない酒ですよ」

「やかましいわ! 老いぼれのささやかな楽しみを奪うでない!」

「ささやか、ってあれ一本で簡単な家くらい建つ酒じゃないですか……」


 リュウトはこうなることを見越して準備しておいた旅道具を背負う。魔術用の触媒に魔法陣が描かれた羊皮紙など、一通りの魔術用具が揃っていることを確認し、さらに旅道具の中身を確認する。


「……すまんの、リュウト。ミラはこの森から離れられん。そしてミラがいる限り、わしもこの森から離れられん。魔王軍との戦い、おぬしに一任する」

「まあ騎士様がどうなるかですけどね。一回くらい実力差をわからせたほうがいいです?」

「向こうが理解を示さぬならそれもよかろう」


 老婆は椅子から立ち上がり、壁に無造作にもたれかかっていた杖を手に取る。黒ずんだ煤で汚れていた杖から魔力が走り、群青色の魔力線が輝く。内部に複雑な魔法陣を刻まれた魔道具だ。神秘的な青い光が家の中を満たし、隅々まで手入れが行き届いた部屋を照らし出す。その様子を見つめるリュウトは、ふと周囲を見渡して呟いた。


「師匠、僕がいなくなったら片付けは自分でやってくださいね」

「な、なんとかしよう」

「……定期的に戻ってきた方がいいですか?」

「い、いや、頑張る。頑張ってみよう」

「師匠、本当人間としては終わってるくらい生活力ないですよね。魔術師としては最高峰なのに」

「ええいしつこいわ! 今からちょっと荘厳な儀式をやろうとしていたのがバカみたいではないか! いいから座れ!」


 怒られたリュウトは真剣な表情になって老婆が持つ杖を見る。


 魔杖シアール。


 森の賢者、深淵の魔女とまで呼ばれた老婆が生涯使い続けた魔道具。よっぽどのことがない限りは手に取らない、老婆の最愛の杖。もはや、人生の相方とまで呼べるほどに使い古された杖だ。


『深淵の魔女、ガーゼルがここに宣誓する』


 青い光が収まる。


『我が弟子、リュウト。この者の修行・育成をここで修了とする』


 再び光り始めたシアール。その頂点に光り輝く光玉が現れた。先ほどの青い光を放っていたのが魔力線なら、この光玉は魔力の塊だ。


『師として我が弟子に最後の言葉を授ける――この者、未だ未熟なれど。その身に秘められた才覚尽きようとも。決してあきらめずに魔術の研鑽を続けるであろう』


 老婆――ガーゼルが、力強く杖で地面を打つ。その音が響くと同時、光玉がゆっくりと移動してリュウトの前で止まる。制御を失えば暴走するであろう魔力の塊を前に、しかしリュウトは動じない。


 魔術の師の魔力制御能力を疑うなど、弟子としてあってはならない。


 そして、弟子の本質を掴んでいない魔術の師など、あってはならない。


『【探求】のガーゼルより、魔術師リュウトに名を贈る。汝の二つ名は【不屈】。その精神、屈せず。壁にぶつかることもあろう。逃げ出したくなることもあろう。だが、汝はこの名前に懸けて、決して立ち止まってはならぬ。歩み続けることこそが、汝の本質である!』


 ガーゼルの力強い宣誓をと同時、魔力の玉が弾けた。無数の青い光弾となって部屋を縦横無尽に飛び回る魔力の塊。それは新たな魔術師の誕生を祝福するかのように、明るい光で部屋の中を照らす。


「……師匠。ありがとうございます」

「……ふん。これでおぬしは免許皆伝じゃ。こいつは餞別としてくれてやるわ」


 ガーゼルはどこに隠し持っていたのか、真新しい杖をリュウトに渡した。傷もない杖は、初めて持つのに不思議とリュウトの手によく馴染んだ。


「ベリドのやつがな。『弟子が巣立つときになったら私の腕を使え』とうるさくてな! 仕方なく! 仕方なく作ってやったのだ! 材料はケマの枝だ、折れることなどないだろうさ!」

「師匠……」


 リュウトは杖を一度床に打つ。多くの魔術師が愛用するアクションで、杖の中の魔術回路が動き始めた。ガーゼルの群青の光よりなお深い、深海のように黒く深い藍。見る者が見れば黒にも見えてしまう深い深い藍。


「ありがとうございます。大切にします」

「仕方なくだからな!」


 仕方なくを連呼してくるガーゼルだが、内部に刻まれた複雑な魔術回路に意識をむければどれだけの愛情と時間を込めて作られたのかくらいはわかる。最高峰の魔術師と最高の素材が合わさって、間違いなく超一級品の魔道具だろう。


「さあ、リュウト。ワシは今から死ぬ。くれぐれも気取られるなよ」

「任せてください」


 ガーゼルがあくどい笑みを浮かべると、リュウトも純真な笑顔でそれに応えた。





 ゲフェル帝国の第二騎士団が到着したとき、彼らが見たのはベッドに横たわる老婆と、その横ですすり泣く少女だった。彼らを家の中に案内した少年が、赤い目をこすりながら騎士団に説明をする。


「現在の帝国の現状は存じております。師であるガーゼル様も、魔王軍の脅威に日々晒される帝国領の住民たちを心配しておりました」

「そ、それでは……森の賢者殿は……本当に、亡くなられたのか……?」


 騎士の一人が思わず、と言った様子で呟くと、少女のすすり泣きの声が大きくなった。床には少女が拾ってきたであろうキノコが散らばり、急な訃報だったことがうかがえる。


「私としても信じられない気持ちですが。ガーゼル様は、ただ一人の弟子である私に、こう言いました。『魔術師リュウトよ。【不屈】の名を持って、帝国領の民を救うのだ』、と。その準備をしている中、急な病で倒れ……」


 リュウトは顔を覆い、首を横に振る。名高い魔術師の訃報に、騎士団たちも呆然としていたが、やがて意識を切り替えた者がいた。


「……私は第二騎士団団長のクォーゲルという。リュウト……いや、【不屈】のリュウト殿。我らにその力を貸していただけるということでよろしいか?」

「……本音を言えば、私はここを離れたくはありません。師匠の亡骸もちゃんと葬ってあげたいですし、ミラはまだ幼い。やり残した研究もあります」

「そんな! それでは、帝国は……!」


 悲鳴のような声をあげかけた若い騎士を、クォーゲルが制する。右手をかざすだけで、その騎士は静かになった。その様子を見ていたリュウトは表情には出さずにクォーゲルという男性の評価を始めた。


(……統率力は、悪くないね)


「部下が失礼した。私も、貴殿の師であるガーゼル殿が亡くなられた直後にこんなことを頼みたくはない。頼みたくはないのだが、それだけ我ら帝国が切羽詰まっているのも事実。恥を忍んで申し上げる、【不屈】のリュウト殿。我らに力を貸していただけないだろうか」

「……弟子は師に従うもの。帝国の民たちのことには心を痛めておりました。もちろん、微力ながら私の力をお貸ししましょう」

「……ありがたい。それでは、さっそくで申し訳ないのだが――」


 言いかけたクォーゲルの発言を、遮る者があった。地響きによって空気が震え、咆哮が周囲を薙ぎ払う。


「魔獣……!? レオン、クラリエ、状況を確かめてこい!」

「了解!」

「りょ、了解!」


 二人の騎士が家を飛び出し、外に出る。それを見ながらリュウトも家のドアを潜った。今の咆哮、リュウトの耳が狂っていなければ。騎士数人でどうにかなるものではない。続いて金属の音を鳴らしながら残った騎士たちも外に出る。重厚な金属鎧に身を包んだ彼らよりも、軽装のリュウトの方が動きは素早い。


「鮮血熊……! 団長、鮮血熊です!」

「うろたえるな! 総員剣を抜け!」


 レオン、というらしい騎士が悲鳴のような報告をする。爛々と赤の眼光をまき散らし、黒毛におおわれたその体は3mを上回る。その偉容に、騎士たちの腰が引けているが――彼らは職業軍人である。団長であるクォーゲルの一喝で戦意を取り戻した。


 だが、鮮血熊は生易しい相手ではない。


「クォーゲル殿。倒せるか?」

「……犠牲は覚悟のうえで、なんとかといった感じですね」


 二人は一瞬たりとも鮮血熊から視線をそらさずに言葉を交わす。鮮血熊もまさかこんなに人間がいるとは思っていなかったのか、目移りするように騎士たちを見回している。


「クソ。もう少し連れてくるべきだったか……?」


 クォーゲルが率いてきた騎士は、クォーゲルを含めても5人。森の賢者に威圧感を与えないように、練達の騎士ではなく、女性や年若い騎士も連れてきていたのが裏目に出ている。彼らも問題なく騎士の実力はあるが、鮮血熊との戦いは初めてだ。その実力のすべてを発揮できるとは思えない。


「っ、来るぞ!」


 クォーゲルが叫んだのと同時、鮮血熊は身を屈めて飛びかかる。その先にいたのは、先ほどクラリエと呼ばれた女性の騎士だ。かろうじて剣を構えてはいるものの、とても戦う者の姿勢ではない。


(よりによって……! いや、それが狙いか!)


 この集団の中では最も経験が浅く、実力不足の騎士。それを、この鮮血熊は見てとったのだろう。くみしやすい相手から襲い掛かることにしたのだ。クラリエは迫りくる鮮血熊の右腕を見ながら、必死に剣を振るう。


「あっ……!」


 鮮血熊が振るった右腕はなんの抵抗もなくクラリエの持つ剣を弾き飛ばした。遠くにある木にぶつかって落ちる剣の音が、やけにうるさく響いた。丸腰になったクラリエに対して、鮮血熊が身構える。100㎏をゆうに超えるだろう重量による、渾身の体当たり。


 そんなものを食らえば、いくら鎧に守られていても、無事では済まない。


(私、ここで死ぬのか――)


 一瞬でクラリエの脳裏をかすめていったこれまでの人生の走馬燈。ゆっくりと鮮血熊が動き、クラリエの華奢な体躯に向けて体当たりを――


 しようとした瞬間、何かに気づいたように身構える。その目はもはやクラリエではなく、別の何かを見ていて。次の瞬間、クラリエは、一生忘れられなくなる声を聴いたのだった。


「汝、全てを戒める鎖となれ――拘束術式:茨」


 地面から、土を破り石を巻き上げ、無数の茨の蔦が姿を現す。急速に成長した茨たちは、まるで意思を持つかのように鮮血熊に向けて襲い掛かる。腕を縛り、足を縛り、胴体に絡みつき、動きを封じていく。最初は鬱陶しそうに力任せに引きちぎっていた鮮血熊だが、徐々に絡みつく茨の数が増えていくに至り、ついに動きを完全に封じられた。


「ここは僕と師匠の庭だぞ。暴れるんじゃない」


 トン、とリュウトが杖をつくと、術者の意思に反応した茨たちが動く。足を縛る茨が横に引っ張られ、上半身を抑える茨は下へ。結果として地面にうつ伏せの状態になった鮮血熊にむけて、さらに無数の茨が地面から伸びて縛り付ける。


「お、おお! 【不屈】のリュウト殿、これは素晴らしい! 鮮血熊をこうもあっさり……!」

「ん、そう? ありがとう。でも、これ時間稼ぎだから、そこの騎士の人、早く逃げたほうがいいよ?」

「え」


 声をかけられた、とクラリエが気づくよりも早く、鮮血熊の咆哮が響き渡る。その音は耳から侵入し脳を揺さぶり、騎士たちがふらついた。


「な、なんだこれは……!?」

「ボイスシェイカー。咆哮に意思と魔力を込めて、相手の意識を奪うのさ」

「ば、バカな!? 鮮血熊にそんな力は……!」

「まあ、ここの魔獣たちは特別性だからねぇ。どいつもこいつも一癖も二癖もある奴ばっかりさ。ボイスシェイカーなんてマシな方で……汝、空間を裂く水の流れになれ――防御術式:滝」


 リュウトが杖を振るうと、クラリエの前に大量の水が落ちてくる。鮮血熊が口から放った炎のブレスは、水の壁にさえぎられてクラリエまでは届かない。だが自分をも巻き込む勢いで放たれた炎のブレスは鮮血熊の体を包み込み、その身を拘束していた茨を焼き払う。鮮血熊の黒い毛皮もところどころ焦げてはいるが、大したダメージではなさそうである。


「今のはいわゆるブレスってやつだね。炎のブレスなんてありきたりだけど、ここには毒だの酸だの挙句の果てには種とか吐いてくるヤツもいるから、そこまで脅威ではないかな」

「クラリエ! その化け物熊から離れろ!! そいつは、私たちが知っている鮮血熊ではない!」

「は、はい!!」


 呆然としていたクラリエも団長の指示を聞いてようやく体を動かした。慌てて鮮血熊から距離を取る。それとは対照的に、リュウトが鮮血熊へと近づいていく。


「お、おい、リュウト殿!?」

「悪いね。君に恨みはないんだけど……運が悪かったと思ってくれ」


 リュウトが杖を力強く地面に叩き付ける。同時、鮮血熊が愚かにも近づいてきた哀れな獲物に襲い掛かり――


「汝、揺らめく世界の礎となれ――」


 深い藍色の光が周囲を埋め尽くし、リュウトが嗤う。誰もが目を覆い、光の嵐が過ぎ去るのを待つ。


 しばらくすると、光も収まり――そこに、すでに鮮血熊はいなくなっていた。

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