二つ目の題材 曖昧な定義。
希望的観測を述べるには、まだ早い。
おとな【大人】。
(1)十分に成長して、一人前になった人。成人の事を指す。
大人。そう大人とは、それは酷く曖昧な定義だ。いったい何がどうすれば社会では『大人』と定義されるのだろ。
二十歳を過ぎれば大人なのか。では、成人式後に暴れまわる者は大人と呼べるのか。
立派に就職している者は大人なのか。では、無職やニートなどは大人ではない?
家族を養っていれば大人なのか。では、独身者は大人ではないのか。
人のことを思いやれれば大人か。では、相手のことを思い遣れる小学生は大人なのだろうか。
仮に誰かに迷惑をかければ、大人ではなくなる。ある時まで大人でも、その時を境に大人でなくなるという。
分かっているつもりで、実は大人という酷く曖昧な存在を理解していない。
誰もが当たり前に享受するその大人という存在。そもそも私には、未だ大人というヤツを形容する存在を、はっきりと認識し、理解しているわけではない。でももし、個々の主張を押し込めて集団になる為の前座なら。そんなものが大人の正体だとするなら。
「それはなんて下らないものなのかと、私は思うよ」
「ごめんなさい。あの、もしかして、いつもそんな間抜け面を下げていると思っていたけれど、そんな顔でいつもそんな小難しい事を考えていたの?」
夕陽も沈む時間。部活に所属していない人なら帰宅するにはやや遅く。所属している者なら少しばかり早い、そんな時間に。カウンターを覗いても司書の教員や、図書委員すら見当たらない。そんな誰も存在しない比較的静かな広い図書館で、お互い顔を背けあって、そうして反対側に座っている。なんとも不自然な二人がそれぞれの時間を、一人は本を読む事で、もう一人は教科書と問題用紙を広げ、その空白の欄をすらすらと埋めていた。自分の時間をそれぞれに過ごしながら、しかし偶に共有しながらも過ごしていた。
「そんな下らない事を考えるよりも、もっと授業に集中なさい。成績が泣くわよ」
淡々と彼女はそう答える。まるで最初から用意していた言葉を読み上げるように容易に。実際彼女にとってこの問いは聞くまでもない程に下らないことだったのだろう。
「流石、全国模試の万年一位の言うことは貫禄があるなぁ」
そこまで伸ばす話でもないので、この話題はこの辺で打ち切る。
また静寂を取り戻しつつある図書館で、彼女が本のページを捲る音だけが響く。本当に読んでいるのだろうかと疑ってしまう程の速さで読み進めていく。私の問いに答える時ですら本を捲る手は休まらなかった。
「こんなことをやることに何の意味があって、これからの人生の何の役に立つのか…よくそう言う人たちが居るけど、実際の所どうなんだろうね。人生の役に立つ立たないはこの際別として、これをやる理由って何なんだろう」
未だ白紙の感想用紙を見やり、ぽつりとそんなことを零す。
「そんな事でも人生においては必要なものよ。いいえ、逆に言いましょうか。”そんな事も出来ずに、貴女は社会の何の役に立つというの?” そもそもそんな小難しい事は大人が決める事よ。少なくとも私たちが『今』考える事ではないわ」
本を読み終わったのか背後でパタンと本を閉じる音が響く。鞄を肩に背負い、彼女はこちらを見据えて一言「そんな下らない事を考えるよりも。自分のやるべき義務を果たしなさい」と大変厳しい事を仰った。本当に、その通りだった。正論というやつだった。認めるしかない。まだ机に残る埋まらない答案用紙を見て嘆息する。
「相変らず国語や歴史はてんでダメね。語彙力は呆れる程に無駄にあるというのに。感想文の一つもかけないなんて。理数は得意なのにね」
「科学者だからね。答えが明確なものを解き明かすのは得意なのさ」
「あら、そう」
彼女はつまらなさそうに適当な相槌を打ち、じっと私を観察するように黒い眼鏡から覗く鋭い目が垣間見える。
「そんなんだから何時までたっても大人になれないのよ。万年二位止まりの倉淵箕郷くん」
「これは手厳しい」
私の言葉を聞き、彼女は小さな溜息を吐く。そして相変らず足音を感じさせないまま図書館から出て行った。
さて、まずはこの目の前の課題を終わらせる必要があるだろう。
「…………」
そうして自分の意見や、思考。そんなもろもろな個々人としての”正しさ”を押し潰して生きていかないといけない。たぶん、それが大人になるということなのだ。確かに素直なことを言いことだろう。正しいことが間違っているとは言わない。正しさとは、最も尊ぶべきものなのだから。しかしそれは呆れるほど愚直なものだ。目の前にある景色だけが。世界ではないのだから。
時には自身の主張を曲げて、寛容し、譲歩することもしなくてはならない。個々人の主張なんて、周りにとっては関係ないものなのだから。集団の輪に入ってしまえば、嫌でもそれを理解させられるだろう。それは別に悪いことではないし、逆に子供が大人になる為に必要な前座なのかもしれない。
そうして誰しも大人という曖昧な存在になっていくのだろう。曖昧であるが故に、それが正解とは言えないが。ただ、そうなるんじゃないかとぼんやりと思う。流れ流されるままに、結局はそうなっていくのだと。
「本当に、下らない」
私は半分まで書いた嘘だらけの作文を破り捨てた。