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ホタルイカ  作者: 大藪鴻大
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蛍4

 ある程度覚悟はしていたと言っても、さすがに直面すると悲哀のような絶望のような、どうしようもない気持ちに囚われた。武藤とその仲間たちは、次の日、さっそく行動に移し始めた。

 朝、僕が登校し、机の横にかけておいた学生カバンを僕が席を離れている間に奪っていたのだ。僕が困惑した表情を見て楽しむつもりだろ、くだらない、と思いつつ武藤集団に近づくと、案の定カバンを持っていた。

 僕がカバンを持っていた武藤に近づくと、武藤は体を机から乗り出し、近くの仲間に投げ渡した。「それ、パス。」「パスカットしてみろよ。」「おまえの実力はそんなもんじゃないだろ。」とかなんとか言っていたが、僕はあまり真剣に相手にしなかった。行ったり来たりを繰り返し、適当に反応していると、武藤の表情がだんだん険しくなっていった。

「おまえ、まだ調子に乗ってんのか。そんな生意気だから、ろくな友達がいないんだよ。」

 その台詞に武藤の取り巻きは笑い声を上げる。気のせいか周囲の些細な笑い声もそれに同化した。しかし、期待に添えなくて悪いのだが、みんなから疎外されているということもない。

 僕が「生意気な目」をしていたからだろうか、武藤は舌打ちをし、僕のカバンを遠くに放り投げた。カバンは誰もいない机の上にぶつかり、滑るように地面に落下した。小学生かよ。

 他にも、まあ、定番の黒板消しトラップ(ドアの上に黒板消しを挟んでおき、扉を開けると発動するあれだ)など、いろいろあったのだがはっきり言ってどうでもよかった。あまりの程度の低さに同情のような、手に負えないようなものを感じてしまった。武藤たちの「日常の退屈さ」は僕を屈服させることで解消されるのだろう。だが、あいにく屈服するどころか、あきれてため息も出ない。

 そのため、武藤たちの低レベルの嫌がらせは続く。僕はその相手をしないといけない。面倒なことになってしまった。


 昼休み、僕はそんなことを考えながら、図書室への扉を開いた。本の独特のにおいが鼻をつく。これは紙のにおいなのだろうか。とにかく、このにおいを感じるたびに心が安らぐ。僕は軽く深呼吸をし、心を落ち着かせる。

 ふと、話声が耳に入る。その方向に僕は視線をやる。そこは自習用のスペースであり、長机が2つ並べられただけのスペースだった。いつもは人がいない自習用の机に、今日は珍しく男女の二人組がいた。

「だからなんでそうなるのさ!君の説明、全然分かんない。」

 だったら俺に聞くな、と男が机をたたく前に女が辞書みたいな本を男の顔に投げつけていた。どうやら、恋人ではないらしい。というより、恋人だったら僕は今恐ろしい現場に、つまり、「喧嘩別れ」の現場に遭遇していることになる。興味がないといえば嘘になるが、困惑と気まずさのほうがはるかに濃い。興味をミルク、困惑と気まずさをコーヒーに例えると、もはやミルクの色など微塵の欠片もない。

 その後、女はノートに何やらゴチャゴチャ書き始め、とても聞き取れないような声を発し、頭を抱え机にうずくまってしまった。

 男は鼻のあたりを押さえ、大きな音を立てながら席を立ち、図書室を出て行ってしまった。痛みが残っているのか、その足取りはふらついている。

 図書室ではお静かに。定番の文句が思い浮かぶ。

 僕は昨日の読みかけの小説に手を伸ばす。そして、小説の世界に飛び込もうとするが、なかなか入り込めない。図書室の空調に音、本のページをめくる音。そんなものが僕の耳に入ってきて、集中力を奪う。何度も同じ文章を繰り返し読んでいる。もはや視覚情報としての文字しか頭に入ってこない。

 そして、無数の文字を網膜に移しているうちに、まだ心のどこかにもやもやしたものが残っていることに気がつく。武藤の人を見下す顔が浮かぶ。武藤は異様に歪んだ唇を開く。「これで終わると思うなよ。」

 僕は、本を閉じる。そのときに巻き起こった風が僕の前髪を押し上げ、静かに額に戻った。

 視線を上げ、出口に向かうと先程大声で叫び散らしていた女と目があった。この世の全てに幻滅したようなやる気のない女の目が期待で輝いた。ここでこの女にかかわると先程の男と同じ運命をたどるのかと思うとぞっとした。僕は急いで顔を背け、出口に向かい歩を進める。

「失礼ですが。」

 全身が痙攣したように震える。震えが止まったかと思うと、今度は心臓の鼓動が僕の肋骨を押し上げていた。思わずしゃがみ込む。

「ここに何をしに来たのですか?」

 声の主は僕の動作については何も言及せず、あらかじめ尋ねようとしただろうことを尋ねてきた。スラリとした体型というより、ヒョロリとした体型といったほうが近い。細身で、突風が吹けば誰よりも真っ先に飛んでいきそうだった。

 本を読みに、というにはろくに読んでいない。ページ数にして4ページだ。僕は、足をばねの様にして立ち上がる。

「本が飛んでくると思ってね。」

「ポルターガイストですか。僕は聞いたことがありませんが。」

 そう言うと青い丸縁眼鏡を中指で軽く押し上げた。眼鏡の奥の眠そうな垂れ目が疑念の影を帯びている。実験に失敗し、爆発の被害を受けた科学者のごとく、髪の毛がところどころ不規則にたっている。寝ぐせとは思えないほどの乱れようだ。

「いや、図書館の魔物だよ。君も逃げたほうがいい。」

 そう言うと、僕は足早に立ち去ろうとする。すると、肩が前に進まず、後ろに引き戻される。僕よりもヒョロリとした科学者君のほうが力が強いことにわずかに落胆してしまう。

「いじめられていますね?」

 えっ、と僕が声を発したのと同時だった。目の前の科学者の眼鏡の奥の瞳が光る。どこかで見たな、とテーマを出す。この間、新聞を机いっぱいに広げていた学生がそうではなかったか、と覚えてもないくせに適当な仮説を出す。そして、同じ学校にいるのだから見たことぐらいはあるだろう、という無難な結論に帰着する。

「ねえ、ちょっといい?」

 少女らしい明るく、軽い感じの声が聞こえてきたが、僕はすぐに分かった。魔物が声をかけてきたのだ。僕は魔物の顔を見ないようにして、科学者君の肩を叩く。

「この人が教えてくれるってさ。」

 魔物の攻撃対象が変わったのが分かった。手に持っていた本を科学者君につきつけ始めた。科学者君の表情は見なかったが、言葉にならない声が口から洩れている様子からすると困惑しているのは間違いない。

 初対面の人を魔物の生贄に差し出すのもどうか、と思ったのはほんの一瞬だった。僕は足早に図書室を出て行く。あまりに慌てていたので、透明なガラス扉に顔をぶつけた。気にせず、扉を開ける。

閉じる扉の隙間から魔物の甲高い声と短く鈍い音が勢いよく流れだしてきた。

 

 こうして僕の日常は守られるのだ。


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