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ホタルイカ  作者: 大藪鴻大
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藤7

「これはどういうことですか?」

 僕は下品に笑い合っている4人組に詰め寄る。こんなはずじゃない。あなた達は『烏』を捕まえるはずなんですよ。4人組は笑い声を抑え、僕を見る。僕の顔を見るとまた笑いだす。

「何がおかしいんですか?早く捕まえてくださいよ。」

「あのなあ、『烏』なんて空想なんだよ。」

「おまえに俺らをコントロールするなんざ、100年早いんだよ。」

「おまえは俺らを利用しようとしたかもしれないけど、俺らがおまえを騙したってわけ。」

 分かったか、と言ったのをきっかけに、また下品な笑い声を響かせる。僕は何度も眼鏡を触る。僕が?騙された?そんなはずはない。僕の計算は完璧だった。

 4人組はドンマイ、とつぶやきながら僕の肩を順に叩き、屋上を後にする。僕の後ろに響く笑い声は濁りがわずかに取れていたように聞こえた。蛍君が夕陽を眺め、杉山君は横になって夕空を見つめている。

 僕は蛍君に小走りで近づく。

「こんなところで何をしているんですか?パトロールはいいんですか?」

 蛍君がこっちを見る。焦点が僕に合ってない、と思ったのは一瞬のことで僕と目が合うと微かに笑った。

「悪いな、一成。『烏』は逃がさせてもらったぞ。」

 妙な言い回しだ。僕は眼鏡を押し上げる。

「逃げられた、が正しいんじゃないでしょうか。」

 蛍君は、静かに首を左右に振る。間違っていないとでもいいたいのだろうか。

「おまえの計算能力はすごいよ。未来まで計算してしまうんだからな。まさに悪魔と呼ぶのにふさわしいくらいだ。けどな、悪魔でも計算を誤ることがある。それは―」

 しばらく間があって、蛍君は人差し指を僕の前に立てる。僕はずり落ちてもいない眼鏡をむやみに触っている。

「情報が欠けているときだ。」

「何が言いたいんですか?」

 蛍君は何をどこまで知っているのだろうか?僕は思考回路をフル回転し、計算を始める。

「おまえは今日、杉山を『烏』にしようとしただろ?」

「まさか。」

 まさか。君に何が分かるというのだ。そう思う一方で、蛍君はもう全てを知っているのではないかという思いもあった。

「『烏』は目には見えない。それはおまえも気が付いていた。だから、もしそれが本当なら捕まえることは不可能だ。しかし、おまえは『烏』を捕まえたかった。自分の計算できない存在がいることが納得いかなかった。」

「面白い空想ですね。」

 杉山君は相変わらず空を見上げている。蛍君はひるむことなく続ける。

「じゃあ、どうするか。簡単だ。誰かを『烏』ということにしてしまえばいい。」

「バカバカしい。そんなことして何になるんですか?」

 僕は演技が得意ではない。ここで僕は笑うべきだったのかもしれなかったが、苦笑いになるくらいなら無表情でいたほうがいい。

「俺もそう思っていたよ。でも、それで十分なんだ。」

「全然十分じゃないですよ。例えそんなことをしても、神隠しがなくならない限り『烏』は捕まったことにはならないんですよ。」

 蛍君は僕から視線をそらす。考えをまとめているのか、しばらく言葉が出てこなかった。僕も言葉を発することができなかった。計算結果が出ていないからだ。ようやく蛍君の口から出てきたものは、たとえ話だった。

「クリスマスイブの夜、サンタさんを一度見てみたいと思った子供は、靴下にプレゼントを入れている父親を見つける。子供は父親に問い詰める。するとその父親と思わしき人はこう言った。『私はサンタクロースなんだよ。君にはお父さんに見えるかもしれないけど、正真正銘、本物だ。』子供は納得できずに次の日の朝、父親に尋ねる。父親は知らないと言い張る。」

 「だからなんですか。」とも、「なるほど、そういうことですか。」とも言うことができなかった。何も言えなかった。その話の先が見えなかった。

「『おまえが『烏』だ。』『そうだ。俺が『烏』だ。』こんな会話が続いたら、そいつは『烏』だといえるんじゃないか?特に、裏付けがあればなおさらに、な。」

「裏付けってなんですか?」

 知っている。僕はそれを利用しようとしたんじゃないか。そして、多分今から発表される蛍君の推理も当たっている。

「杉山は自転車を盗んだ。杉山は窃盗犯だ。窃盗犯=『烏』に違いない。杉山は『烏』だ。そんな具合だ。杉山が『烏』だということを証明することは難しいが、窃盗犯であることを証明するのはそれよりはるかに容易い。」

「いや、それはおかしいですね。確かに、杉山君は窃盗犯であることは認めるかもしれませんが、だからといって『烏』であることを認めるでしょうか?」

 ふと、目の前にチェス盤が浮かぶ。僕はキングを一マスずつ逃がしている。相手はクイーンとキングを使い、徐々に僕を追いこんでいく。駒に触れる手が黒い毛におおわれていることに気がつき、顔を上げる。駒を動かしていたのは英語が達者なあの黒い猫だった。


―Come on, boy. I advised you that you can’t see IT. IT lives in another dimension.―


 目を強く閉じ、首を大きく横に振る。目を開けると、夕陽を眺める蛍君の横顔が変わらずにあった。

「なんでおまえが杉山を『烏』にしようとしたか。その理由の一つに答えがある。杉山は『烏』になりたかったんだよ。おまえはそれを知った。」

 Checkmate. 流暢な発音が頭の中に響く。その振動が僕の思考回路を静かに停止させた。この一ヶ月近く、僕は全てをコントロールしていたと思っていた。いや、途中まではコントロールできていたのだろう。しかし、最後の最後にそれはひっくり返った。

「いつ気がついたんですか?」

「美夜がおまえの手帳のコピーを持っててな。見せてもらったよ。そこに書いてあった『烏』の条件。あれは俺にも当てはまるが、実は杉山にも当てはまるんだよ。そして、それが分かるのは、ずっとあいつの側にいる俺と一成だけだ。他人が見ても、あれが杉山だとは夢にも思わないだろうよ。」

 そうじゃない。蛍君は、おそらくずっと前から気が付いていた。いや、感じていた。杉山君が『烏』になりたがることも、僕がそれを利用しようとすることも、僕が『烏』がこの付近に現れたと言えば杉山君がその決心をすることも、それ以前から感じていた。だからこそ、最後にひっくり返すことができた。

 蛍君はそこまで言うと、口角を上げ、笑みを浮かべる。その笑みは勝者の笑みのような、相手を見下すようなものではなく、ただ、相手との距離を近づけるために作った笑みのように見えた。

「というよりも、あれは当てはめようと思えば、全ての人間に当てはまるんじゃないか?」

 僕には、蛍君の言った言葉の真意がよく分からなかった。全ての人間に当てはまる?もし、そうだとしたら、みんな同じような人間じゃないとおかしいじゃないですか。でも、蛍君は決してでたらめを口にしたのではない。きっと僕には分からない、彼なりの考えで発した言葉なのだろう。

「あなたがあの人たちにカラスを持ってこさせたのですか?」

 おそらく僕より前に手を打っていたのだろう。僕があの4人組に話を持ちかけたとき、その4人組は心の奥で大笑いしていたに違いない。

「カラスはカラスだからな。カラスを逃がしたかったんだよ、俺は。」

 僕は蛍君の側に座り込む。座り込むとちょうど夕陽の光が目に飛び込んでくる。

「杉山君が『烏』になりたがった理由、何でか分かりますか?」

「さあ。こいつの考えることはいつも分からないからな。」

 杉山君は先程から黙ったままだ。腹部が一定のリズムでゆっくりと上下に動く。眠っているのだろうか?考え事をしているのだろうか?

「ホタルイカですよ。」

 いつか、杉山君が言っていた。「俺にはすごい友がいる。そいつは次元が高いんだ。俺達の見えないものを見て、泣いたり、笑ったりしているんだよ。」

 そうかもしれない。やはり、『烏』役は向井蛍が適任だったかもしれない。しかし、蛍君を『烏』にしたところで、僕は彼を追い詰めることができただろうか。僕は寝っ転がり、細長い雲の漂う夕焼け空を見る。そこには一羽の鳥も飛んでいない。


「逃げられちゃいましたよ。僕の負けです。」


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