蛍3
「何で僕まで?」
「何でって、おまえも調査員の一人なんだよ。いい加減、自覚しろよ。」
僕と杉山は学校の正面にひそかに伸びているけもの道に立っていた。今は、午前7時を回ったくらいだろうか。すっかり日も昇ったとは思うのだが、このあたりは陰になるのか、暗い。誰も通らない正門。ときたま通る車がなければ、時間の流れも自覚できないのではと思えるほど変化に乏しい風景だ。
僕と杉山が出会ったのは正門ではなく、裏門だった。どちらから声をかけたというわけでもなく、二人同時に互いの存在に気がつき、一言二言挨拶をした後、互いにこのことを言及することはなかった。何かを探していたのか、杉山はせわしなく首を動かしていた。
白い外国製の車が一台、目の前を通り過ぎたとき杉山が口を開いた。
「なあ、蛍。俺の世話していた猫、見なかったか?」
猫?ああ。この間、楓が言っていた猫のことか。
「見ていない。」
すると、杉山が訝しげにこちらを見る。なあ、なんでspreadは「広がる」っていう意味なんだ、というときと同じ顔つきだ。
「見ていない?どんな猫か知っているのか?」
確かに。僕はその猫がどんな猫なのか全く知らない。鋭いな。だからといって、問題はない。
「どのみち、今日は猫一匹見ていない。」
「そうか。いや、今日いつもの場所にいなかったからさ。見なかったならいいんだよ。」
もしかしたら、その猫は死んでしまったのかもしれないな。猫は自らの死期を感じたとき、飼い主の側を離れるという。飼い主を悲しませたくないからなのか、そもそもが一人が好きで、死ぬ時ぐらい一人にさせてくれ、という無言の抗議なのか、その思惑はよく分からない。僕は猫の言葉は話せない。
僕はそのことを杉山には伝えなかった。それから後、杉山が黙り込んだことので、しばらくの間、誰も現れそうにない正門とのにらめっこをすることになった。
「なあ、蛍。高校生活、楽しいか?」
僕はすっかり緑色の葉をつけた桜の木の下を彷徨っていた意識を自分の体に戻した。時計を見る。午前7時20分。なんだ、まだ20分しか経ってないのか。しかし、そろそろ一人くらいは来てもいいのではないか。
「えっと、なんだっけ?」
「充実しているか?」
それは一体どういう意味だろうか?傍から見ていて僕は実につまらなさそうな人生を送っているように見えるのだろうか。それを否定するつもりはない。僕が遊んでばかりいる人が大雑把に生きているように見えることと同じで、僕の人生は退屈そうに見えるのかもしれない。
しかし、それだけだ。人が人の人生を評価するには絶対的に欠けているものがある。ある人生を生きている人は、他人の人生では傍観者にすぎない。その人生を生きている人が全てを評価し、判断してしまえば、それがその人の人生の評価だ。
だから、「充実しているか?」という質問にはこう答えるだけだ。
「そう思っている。」
その言葉に杉山は、「つまらなさそうに見えたから聞いたんだ。」と言うと思っていた。しかし、杉山はこちらに視線を送ることなく、軽くうなずく。まるで、僕の言葉を一つ一つかみしめているようだ。
そのまま、特に話すこともなくなったので、僕はまた正面に広がる緑の桜並木に意識を飛ばす。すると、微かに桜の香りが鼻に突く。まだ、桜の花が残っているのかと桃色の花を探すが、濃い緑が広がるだけだった。その香りのせいか、徐々に目の前の光景に靄がかかり、景色が薄れる。
―俺、昔は学校で人気者だったんだよ―
これは杉山の声なのだろうか。僕は意識を再び自分の体に引き戻そうとするが、白い靄のせいで自分の居所を見失ってしまった。
「そうだろうな。子供受けしそうな性格だからな。」
それ、どういう意味だよ、とその声は笑う。僕は軽く押されるが、どこが押されたのかはっきりしない。ただ、何かが体に触れた。そんな感覚だった。
―でもな、それは虚構だったんだよ。上っ面だけのつながりと言えばいいのか?―
「上っ面の付き合いだって必要だろ。特に大人になるにつれて。」
そうかもな、とその声はつぶやく。その声には諦めと悲しみが滲んでいた。
―でも、それって寂しくないか?―
「俺はおまえが羨ましいけどな。俺と違っておまえは柔軟だ。誰ともつきあっていける。」
―確かに、おまえは孤独だよ。何でこんなに人付き合いが悪いんだっていうくらいな。でも、こうも思った。おまえはつながりを大事にしている。無駄なつながりがないだけなんだ―
「大人になりきれてないだけだ。」
―かもな―
僕は強く肩を叩かれる。僕は前のめりになり、危うく倒れそうになる。
「おい、一人目が来たぞ。」
僕は慌ててペンと紙を取り出し、時計を見る。午前7時40分。僕が記録しようとしたとき、杉山が軽く僕の肩を叩き、親指で後ろを指さす。記録していた手が止まる。
「何で楓まで来た?」
「本当にしてるんだ?ご苦労様です。」
楓が労いの念を感じさせることのない口調で淡々と述べる。本来なら、呆れてものも言えない状態だろう。
「言っておくが、俺は海東先生のためにしているわけじゃないぞ。窃盗犯を捕まえるためにだな―」
「こんなことしてつかまる窃盗犯なら、とっくにつかまってるわよ。」
「捜査に必要なのは、地道な努力と忍耐力だ。」
杉山が堂々と発言する。楓はその言葉自体は間違っていないと思っているためか、言い返すことはなかった。楓がきっかけになったわけではないのだろうが、次々と人が正門にやってくるので、僕は記録し続ける。
「杉山さ、剣道部なの?」
「元剣道部だ。」
杉山の代わりに僕が答える。もし今も剣道部だったならば、あの屋上での戦い方はあまりにもひどかった。そもそも、素手の相手に竹刀を振り回す時点で剣道部としてアウトだろう。
「俺は強かったんだよ。向かうところ敵なしだったな。でもな、ある日顧問の先生がな『剣道とは自らの精神を鍛えるためにするのだ。』っていうのを聞いてやめた。俺の剣は守りたいもののためにあるんだよ。」
僕はひたすら記録する。恐らく、二、三人は見逃しただろう。こうしているうちに、数が分からなくなった。12の次って13だっけ?
「そんなに立派な人間?」
うるさいな、と杉山が言う横を楓は通り抜ける。僕に疑問がわいた。一つ、何故笑わない?二つ、楓は数えたっけ?僕はペンを投げ捨てる。
「おい、放棄するな。」
僕は杉山を置いて正門に向かう。杉山が、僕の立っていたところに水で濡れた足跡を見つけたことには気がつかなかった。




