藤3
「ポルターガイスト?何それ?」
図書室で本棚に向かい、本を読んでいる蛍君が初めて聞いたという顔で僕に尋ねてきた。
「君が言ったんじゃないですか。本が飛んでくるって。」
蛍君は、眉間にしわを寄せ、記憶をたどり始めたのか、難しい顔をする。僕もポルターガイストに興味があるわけではない。ただ、目の前に知り合いがいた場合、何か話すのがマナーの様な気がして話題を考えていたところ、何となく思い出しただけだ。蛍君もようやく思い出したのか、眉間のしわが消える。
「ああ。それなら一成も見たんじゃないのか?分厚い本が飛んできただろう?」
僕は、ずり落ちた眼鏡を押し上げる。
「もしかして、美夜さんのことですか?」
「もしくは、図書室の魔物。」
蛍君は、手元の本に視線を戻す。僕もこれ以上言及することもないので、新聞が広げてある机に戻る。
「一成さ、確か前に会ったときも新聞広げてなかったっけ?何してるんだ?」
「無論、『烏』の情報収集ですよ。」
そうなのか、と蛍君はつぶやくと、それ以上言及してくることはなかった。僕の前の椅子に座り、再び本を読み始める。
僕は、『烏』を探している。目撃者が一人もいない。犯行手段が分からない。この二つの要素だけで、僕の興味を引くには十分だった。大概、このようなものは事件とも呼ぶことができないかもしれない。
しかし、もしこのような犯罪を可能にする人物がいるとしたら、僕はその人物に会ってみたい。そんな『烏』こそ、僕と対極の存在、つまり、『計算』することができない世界に住人であると思うのだ。
そして、その存在を知ったとき、つまり、知ることができたとき、僕は『計算可能な世界』と『計算不可能な世界』の境界に辿り着いたことになり、上手くいけば『計算不可能な世界』を知ることができるかもしれない。
「バタフライ効果って知ってる?」
その声に僕は顔を上げる。しかし、蛍君は本から顔を上げようとしない。もしかしたら、今蛍君の視線の先に「バタフライ効果」の文字があるのかもしれない。
「蝶が飛んだとき、ハリケーンが大西洋に発生するというやつですよ。つまり、一見何の因果関係もない事象が僕たちの知ることができない方法で影響を及ぼしている、ということですよ。カオス理論ですね。」
蛍君は、ふーんと感心したような声を漏らすとともに、ページをめくる。
「一成が未来を予測するのはどうなんだ?計算した、とか言っていたけど。」
僕は肩をすぼめ、新聞紙をたたみ始める。やはり、新聞では『烏』の犯行であるかどうかも判断できないし、なにより、神隠しが発覚するまで時間がかかる。
「本当は滅多にしないんですよ。なかなか当たりませんからね。蛍君の言うとおり、僕は計算することしかできません。計算するためには情報が必要です。しかし、得られる情報は『現在』のものであって、『未来』の情報は何一つ得られません。だから、未来に別な要素が思いがけない形で影響を及ぼしたとき、計算結果とは異なる結果になります。」
蛍君は、ふむふむ、と声を出してうなずくが、やはり本から視線を上げようとしない。関心があるのかないのかよく分からない反応だった。僕は少しムッとしながらも話を続ける。
「それと、人の心までは分かりませんから、その誤差で結果が異なることもあります。少しでも誤差を減らすためには、その人を知ることが大切かもしれません。」
なるほどね、と言って蛍君はようやく本を閉じる。本を机に置くと、両腕を上に伸ばし、大きく伸びをする。
「つまり、情報が不可欠なんだね。」
そう言うと蛍君は立ち上がる。本を片手に持ち、本棚に返そうと僕の側を通りすぎた。
「まさにラプラスのデーモン、だな。」
何ですか?と僕が尋ねようとしたとき、ズボンのポケットに入れていた携帯の振動が僕の太腿に伝わる。僕は携帯を取り出し、メールボックスを開く。杉山君からだ。そこには「楓の家に集合」とだけ書かれていた。僕は蛍君にそのことを伝え、図書室の出口に向かう。
「ところで、何の本を読んでいたんですか?」
僕は興味本位で尋ねる。蛍君はああ、と声を漏らすと前を向いたまま答えた。
「カラスについての本だよ。」
「そんな本あるんですか?」




