蛍2
「おい、蛍。なんでおまえ、こんなところにいるんだよ。」
学校の図書室で本を読んでいると、突然耳元でそんな声が響いてきた。相手は驚かせるつもりはなかったのだろうけど、二つの理由により驚いてしまった。一つ、放課後の図書室で人に声をかけられるとは思っていなかった。二つ、耳元だったのでこっちとしては大音量だった。僕は飛び上がる。すると相手も驚き、一歩後ろに下がる。
「なんだよ、びっくりさせんなよ。」
冷静に聞くと、聞きなれた声だ。相手の顔を見る。案の定、さっき数学の授業中に話しかけてきた奴だった。まず僕の目に映ったのは不意を突かれた顔だったが、しばらくすると、例の、なれなれしい顔になった。どこの学校のものと言っても分からないような体操着を着ている。
「おまえがいるべき場所はここじゃない。」
「それはゲームかマンガの台詞?」
そんな月並みな台詞、言う必要もなかったのだろうが思わず言ってしまった。はぁ、何言ってんだ、と軽くあしらわれる。次の瞬間、僕は両肩をものすごい力でつかまれた。
「昼間からずっと考えていたんだよ。やっぱりおまえしかいねぇんだよ。」
それは告白の台詞?とは流石に言う勇気がなかった。もしそれが事実だとしたら、僕はそれを受け入れられる自信がない。
「今日、試合に出てくれよ。」
「だ・から・ぼ・くは・や・く・に・たた・な・い・っ・て。」
あまりに体を揺すられたものだから、言葉が情けなくばらばらにしか出てこなかった。どうしてこいつは僕に執着するんだ。
「おまえは隠している。天才であるにもかかわらず、おまえはその才能を有効活用しようとしない。なんでだ?なんでなんだ?」
そう言い終わるや否や、肩が急に軽くなった。反動で僕は椅子ごと後ろにひっくり返りそうになる。
「俺は忘れねぇ。あのとき、球技大会の練習試合のときに見せたおまえの真の実力を。あの華麗なパスカット、あの俊敏なディフェンス。おまえのチームは雑魚しかいなかったのに、俺らは点数を入れることができなかった。」
そう言いながら見せたそいつの笑顔は実に気分が悪くなった。顔で判断するのは申し訳ないのだが、憧れや尊敬が含まれたものではない。こいつは、ただ利用したいだけなのだ。おそらく、自分たちの勝利のために。
何度も説明するが、僕はとても運動神経がいいとは言えない。交流するためには不都合がないが、試合で活躍できるとは思わない。こいつが言っていることが記憶にないと言えば嘘にはなるが、それは大袈裟にいえば、その場の人びとの運命がうまい具合に交錯した、簡潔に言えば、ただの偶然だ。勘違いだ。いや、濡れ衣だ。
「俺はすぐ体育館に行くけど、おまえも着替えたらすぐ来いよ。」
こちらが何も言わないうちに話が勝手に進んでいく。そいつは僕を指さしたまま、その場を離れようとする。完全に背を向けたかと思うと、フェイントをかけたようにものすごい勢いで振り返った。おかげで僕は反応がワンテンポ遅れてしまった。
「逃げるなよ。」
その言い方には懇願というより挑発に近いものが感じられた。頼んでおいて、それも一方的に話を進めておいて、「逃げるな」とはよく言ったものだ。そいつが図書室を出て行くとき、机の上に新聞を広げていた学生が顔を上げた。こちらを見ようと首を動かそうとしているのが分かったので、素早く視線を本に戻す。
そこで僕はこう思う。「一方的に頼まれただけなのだから、勝手に逃げればいい。」
そうやって僕の日常は保たれている。