楓13
「それ、本当ですか?」
一成がルーレットから手を放す。少し回り、6が出るが、もう誰もそれを気にする人はいない。男の子は軽くうなずく。
「うん。それもさっき見たんだ。黒いコート着てたよ。」
「なぜもっと早く言わないんだ。」
杉山の口調は責めているようだったが、ゼリーのカップを持ち上げ、ゼリーの残骸をかき集めながら言うその姿はなんだか不釣り合いだった。
「ちょっと、そんな言い方ないでしょ。」
向井が軽くうなずく。でたらめだ、と言っているようにも見えるけど、聞いてみる価値はある、と言っているようでもある。
「ねえ、もうちょっと詳しく教えてくれない?」
男の子は怖くなったのか、また黙ってしまった。私は杉山を睨む。「何で、俺?」と言わんばかりの顔が私の怒りをさらに助長させた。
「君が『烏』について話してくれるとお姉さん達、助かるのよ。ね、教えてくれない?」
私は男の子の肩をつかんで尋ねる。しかし、男の子はなかなか口を開かない。森の入口に立ち、足を踏み出すことをためらっているような色だ。パンパンと二回、手を叩く音が聞こえる。
「やっぱり、この話はやめましょう。えっと、次は誰の番でしたっけ?」
一成がそう言うと、「まず駒を動かせ。」と向井が言った。一成が駒を6つ進める。怪しい壺を買わされる。二万ドル払う。
「ちょっと、なんでよ。あんたが一番知りたいじゃないの?」
「俺らはこいつの名前を知らない。なぜだ?」
一成が二万ドルを支払い、向井の番になる。しかし、向井はルーレットを回そうとしない。私を見つめたまま、視線をそらさない。
「名前を聞かなかったからでしょ?」
「そうだ。俺たちは名前すら聞いていない。俺たちはひたすら、勝負の決まっているゲームをしたり、聞きたくもない暴露話を聞かされたり、『烏』がどうだのと騒いでいるだけだ。」
「おい、聞きたくもないってどういうことだ。せっかく俺が恥を忍んで暴露したっていうのに、そんな言い方ないんじゃないか。」
杉山が2つ目のゼリーの蓋を開けながら抗議する。なんじゃこりゃ、とゼリーの中に入っている果物を確認しようと顔を近づける。向井は杉山を一瞥するが、すぐに視線を私の方に戻す。私は視線をずらし、壁に掛けられているイルカの絵を見る。
「見えてないんだよ。俺たちにはこの少年が。」
私は向井を見る。この色は見たことがある。暗闇の中で微かに浮かぶ淡い青色の光。闇夜の蛍のような光。そして、私が最も落ち着く色。
―なんだか、お母さんみたいで嫌だ―
「お母さん。私、今日テストで百点取ったよ!」
小学校一年生の私は○だらけのテストをお母さんに誇らしげに見せる。
「本当だ。すごい、すごい。」
そのほかにも、仲良しの友達と絵を描いて遊んだこと、授業で何をしたかなど、学校であった出来事は全てお母さんに報告していた。
お母さんは、相槌を打ちながら笑顔で私の話を聞いてくれた。そのときの春の木漏れ日のような温かな色がまた私を笑顔にした。
「楓、学校で何かあったの?」
中学校二年生の私は学校で友達と喧嘩をし、機嫌が悪いまま母に挨拶もなく自分の部屋に籠った。母はずっとドアの前に立っていた。
「うるさいな。ほっといてよ!」
私がそう言って、枕をドアに叩きつけると母は静かにドアから離れていった。夕食の時間、空腹に負けた私が下に降りると、母は笑顔で手料理を振舞ってくれた。
私は泣いた。料理がおいしくて、空腹が満たされたことで心が軽くなった。
いつもお母さんは私を受け入れてくれた。高校生になった今でも、当たり前のように側にいて、私を見守っている。
私はお母さんの子供で、それでいて独立した一人の人間だった。
男の子を見る。ぶらぶらさせている足を見つめている。全く使われていないスプーンが光を反射している。私はこの男の子を受け入れてはいなかった。親切にしようとするばかりで、この子のことを知ろうともしなかった。
きっと、この子は家でも一方的な愛情を注がれるばかりで、「母親の子供」としてしか見られていないのだろう。男の子の頭にそっと触れる。
「ごめんね。」
男の子はこちらを向くと、笑顔で応えてくれた。分かってくれたならいいんだよ。青空に上る太陽に向かって真っすぐ伸びるヒマワリ畑のような色はそう言っていた。
「僕、もう帰るよ。」




