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ホタルイカ  作者: 大藪鴻大
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向井1

 友人同士で笑い合う。一緒に食堂で飯を食う。放課後にときに部活に打ち込み、ときにゲーセンかどこかに遊びに行く。そんな奴らを幸せそうだと思ってしまう。たわいのないことで笑い合い、いつか別れが来るにもかかわらず、今というときを楽しむ。いまを生きる。それがたとえどんな形をしていようが、幸福というものにつながっていることは間違いない。

 だが、大半の奴らはこのことに気付かない。どこかで何か事件が起きないかと血眼になって探しているものさえいる。愚かだ。そんな奴は、きっと不幸なままだろう。不幸であることを呪い、他人を道連れにする。陥れる。


 俺は昼休みになり、それぞれが休暇を過ごす場所に落ち着いてきたころにコンビニの袋を引っ提げ、そんなことを思った。俺の足は自然といつもの場所に向かっていた。誰にも干渉されない、俺の場所。その場所に向かうにつれ人の数もまばらになる。

 すれ違う奴は、訝しげに俺の顔と俺の手元を見比べる。この学校では、下校時刻まで外に出ることが禁じられている。そのため、コンビニの袋を引っ提げる俺を一種の犯罪者のようにとらえているのだろう。しかし、この程度なら実行する奴は他にもいる。その点では、俺は特別ではないので、優越感も罪悪感も特にはない。

 やがて、閑静な階段に辿り着く。もはや、人の声さえ聞こえない。そのためか、階段の上からいつも何の情緒も不快も感じられない無機質な風が流れてくる。俺はその空気を肺いっぱいに満たし、階段の一段目に足をかける。

「なにをやっているの?」

 いきなり聞こえてきた声に反応し、思わず足を引っこめる。野生動物が自らの巣の場所がばれてはならないように、俺もこの場所の存在を知られたくはない。

「ここから先は立ち入り禁止だよね?」

 注意を促すというよりは、確認するような口調だった。俺は振り返り、とりあえず顔を確認することにする。

 そこにいたのは、高校生の平均身長よりやや高い俺より頭一個小さく、大きな目と少し大きめの前歯が特徴的なリスみたいな女子生徒だった。その顔にはまだ幼さが残っているため、中学生と言ってもおかしくない。

「なによ、その目は。」

 どうやら無意識のうちに俺はこの少女を睨みつけていたらしい。俺は人を観察するとき、眉間にしわを寄せしかめ面になる。いつものことだ。

「いつまで待っても来ないから、ずいぶん探したわよ。おかげでお昼ごはん食べられなくなりそうじゃない。」

 お昼ごはん。その表現に懐かしさを感じる。上品な言い方ともいえるし、幼さが残るともいえる。それより、俺を探していたとはどういうことだ?

「何の用だ?」

 その一言はどうやら言ってはいけない類のものだったらしく、目の前の少女はその場に凍りついてしまった。ナンノヨウダ。この呪文であらゆるものが凍りついてしまう光景を想像してみるとなかなか面白かった。だが、俺は当然、魔法使いではない。

「数学教えてくれるって約束したじゃない!」

 氷が砕け、破片が飛び散る。鋭く甲高い声が俺の鼓膜を震わせ、麻痺させた。雰囲気に会わず、なかなかの剣幕だった。

 残念ながら、俺はその約束を覚えていなかった。おそらくあまりにもやかましいから、適当に返事をしたのだろう。そんな事とは関係なく、教えられるなら教えてやるのが人の道理なのだろうが、今はそんな気分ではない。飯の時間、消化活動に集中したいときに頭は働かせたくない。

「だいたい、君だったら高校の数学なんてあっという間に解けるでしょ。ササッと教えてよ。」

 そう言って、少女はどこから取り出したのか、辞書みたいな数学の問題集を目の前に開き、突きつけてきた。一応覗き込んでみると、「三角関数の積分」と書かれた項目のいたるところに「?」が書き込まれていた。先程、授業をしていたところだ。授業を聞いていなかったのか、それとも聞いても分からなかったのかは俺の観察でははっきりしなかった。  

 ただ俺が言うべきことははっきりしていた。

「そんなに教えてほしいなら教師に聞け。」

 そうすれば、あの人にものを教えることにすっかり自信を失った教師はどれほど喜ぶことか。きっと、理解するまでつきっきりになり、家にまで付いてきて教えてくれるのではないか。ただ、そこまでされると別の問題が生じるが。

 気が付くと少女はまた凍りついていた。そして、言葉にならないようなことを怒鳴り散らした後、問題集をさながらタンバリンのように勢いよく閉じた。残念ながら、響いてきた音は鋭く空気を貫くものではなく、鈍く空気を震わせるものだった。そのまま少女はつかつかと早歩きで帰って行った。

 どうやら、凍りつくのは『ナンノヨウダ』のせいではなく俺の心が冷たいからのようだ。ふと風を感じる。俺は階段の上を見る。一つ疑問が残る。

 ここにいるとどうして分かった?


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